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何かありましたらどうぞ

1 名前:スナドリネコ:2006/09/27 17:33 ID:B/xPwuQ2D2
湯沢の話題などありましたら、書き込んでください。

2 名前:暇な人:2006/09/27 19:49 ID:hLPCZa51iY
また、脊髄反射で乱入させていただきます。
湯沢市の裏掲示板がどんどん増えていくのは楽しいです。
裏掲示板の数では日本一の自治体かもしれませんね。

3 名前:スナドリネコ:2006/10/08 09:16 ID:.IMpK/ORtg
なかなか話題がありませんね。
わっぱがさんが書き込みやすいように作ったのですが、見る人がいないというのもネックですね(笑)
今のところ、新規スレッドの規制はしていませんので、誰でもスレッドを立てられます。

4 名前:暇な人:2006/10/08 20:46 ID:j9UUFXnTIU
asahiさんをお誘いしたみたいですね。
やはり、スレッドの伸びが違います(笑)

5 名前:スナドリネコ:2006/10/09 10:48 ID:wFsyMwZFPk
やはり、荒らし対応の方がアクセスも多いようです。
書き込み数も多い=見る人も多いということなのでしょうね。

6 名前:わっぱが:2006/10/14 03:35 ID:RxDu00wCd2
 来ました(笑)
 うちのブログもついに日閲覧IP数20〜30となり、
ロボットサーチくんも来てくれなくなりましたので、
マイ・メモ帳と化しています。
 まあ、Blog(web log)の本来の使われ方ですね。

 湯沢以外の話題を書くつもりでしたが、
作ってみたらあんまネタがないすね。

 いずれにせよ、2行で終わる書き込みって、
自分には無理だなあ、と思うしだいです。
 (なので、キーボードがついていないケータイメールも苦手なのです)

 というわけで、まちBにはご迷惑をかけないために
基本的はROMしてます。

 asahiさんの避雷針ができたのは良いことですね。

7 名前:Horus:2006/10/15 23:03 ID:Zvu97YMX9Y
あにゃ
わっぱががカキコしてるよ。
おめでとー(w

8 名前:スナドリネコ:2006/10/16 09:59 ID:ROKrJQA./o
一応、文字数としては湯沢市の掲示板と同じくらいは書き込めるのですけど、
有る程度で行を切らないと、読みにくくなってしまうのが長文しにくいですね。
また長いと、全部読むときはここというのがでてしまいますし(笑)

アクセス多いと書いたら、急に減ってしまいました。
昨日は休みだったからでしょうか?

9 名前:さすらいの名無しさん:2006/10/16 10:04 ID:ROKrJQA./o
Horusさん、宣伝するときには
http://yuzawa.grats.jp/
でお願いします。

10 名前:スナドリネコ:2006/10/16 10:05 ID:ROKrJQA./o
↑キャップ入力するの忘れました。

11 名前:Horus:2006/10/17 23:58 ID:OH7mPw3qc.
そりはなんですか。
ミラーサイトとか?
こっちがミラー?

とりあえずわかりますた。

12 名前:スナドリネコ:2006/10/18 10:45 ID:yGyy5g6Z0U
同じところなのですが、慌てたので元のURLを先に公開してしまったのです。
どちらも同じですが、その方が湯沢っぽいかと思いますので、正式にはそちらでお願いします。

13 名前:スナドリネコ:2006/10/23 19:02 ID:PThS3wfqf.
モノポリー秋田版なんですが、湯沢市の値段は240じぇんこでした。
これは、その地域の値段が微妙で、クレームとか来そうな予感が(笑)
普通、各自治体一個なのですが、なぜか仙北市だけが角館と田沢湖の2つでした。
そのおかげでなのか、美郷町が六郷の湧き水ということで、水道局扱いです。

鹿角市が60じぇんこなので、ちょっとかわいそうです。

14 名前:スナドリネコ:2006/10/24 16:35 ID:9hz8puT7C6
そうそう、まちBBSに書き込みできるようになりました。
今のところたいした話題もありませんけど、書きたいときに書き込めないのは
かなりストレスたまりますからね。
まずは、めでたしめでたしです。

15 名前:暇な人 ◆Mvw2MqlXdY:2006/11/04 20:16 ID:NeSYEdscso
世界の警察活動ご苦労様です。
悪の枢軸がまた暴れておりますので、国連決議を待つことなく制裁に踏み切ってください(笑)
昨今の書き込みを見ると加盟国の皆さんもスナドリさんの活動に賛同しているようですから、
ならず者国家以外の支持を十分得ることができたと判断してよろしいかと思います。
後方支援はさせていただきます(笑)

16 名前:スナドリネコ:2006/11/07 09:47 ID:c5lX5n8/UU
支援よろしくです。
タコちゃんは私怨ですね(笑)

17 名前:わっぱが:2006/11/15 03:21 ID:zkC7i0YGc.
まちBはサモハンさんがいるので、
アラシにも上限があって安心して読めます。

アク禁/解除も迅速的確だと思います。
(むしろISP側の極悪さが分かって面白い)

18 名前:スナドリネコ:2006/11/15 16:23 ID:e.1g1aeWlg
湯沢市の掲示板も、そういう風に管理して欲しい出すね。

19 名前:スナドリネコ:2007/02/25 11:58 ID:Ygty4LSiAE
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2007/02/20070224t41030.htm

これには驚きました。
秋田に戻るのを躊躇してしまうような内容です。

20 名前:杉の子:2007/04/25 22:30 ID:sFLMy6jMCc
 このほど、湯沢市掲示板を早期退職した杉の子です。
 脱サラしましたので、このスレッドにできれば「ゆざわ昭和史」専門の
古本屋「杉の子堂」を開業し、細々と営業したいのですが。
 元の会社は、公設だったので、いろいろ神経が使えましてね。
 たぶん、本は売れないので店賃は払えません。
 清彦ちゃんと同じ放し飼い営業の許可もらえるでしょうか。
 スナドリネコさん、よろしくご検討をお願いします。
 
 

21 名前:杉の子:2007/04/27 08:26 ID:/TSgR5J.7s
やはり需要が見込まれないので、出店計画には無理があるようです。
 ほかの転職先を探しますので、許可申請を取り下げいたします。
 すみませんでした。

22 名前:スナドリネコ:2007/04/27 15:35 ID:MFblNFOrmo
ごめんなさい、見ていませんでした(笑)
最近書き込みもなくて、対策本部に目がいていました。
本当は、普通のネタはこちらに書いてもらいたいと思っています。
どうぞご自由にお書きください。

23 名前:スナドリネコ:2007/04/27 15:37 ID:MFblNFOrmo
スレッド立てもOKです。

24 名前:杉の子堂:2007/05/06 18:17 ID:iT7AvxbZG2
この度、大家さんのご好意により、
  昭和の湯沢を主体とした小さな古本屋を開店することにしました。
 何分、昔話なので細々と商いをします。
 気が向いたら見てください。
                           店主敬白

25 名前:杉の子堂:2007/05/06 20:34 ID:iT7AvxbZG2
■同姓番付(昭和30年9月、行司・旧湯沢市、勧進元・戸籍係)

 横綱 高 橋 1,177人、佐 藤 1,084人
 大関 佐々木   409人、伊 藤   308人
 関脇 柴 田   229人、藤 原   209人
 小結 斉 藤   190人、鈴 木   173人
 前頭 渡 部   165人、松 田   160人
    宮 原   131人、小 松   126人

 以下、石川、柿崎、菅原、藤田、大山、武石、遠藤、新山
    近藤、三浦、赤平、大野の順でした。

 あなたは、関取ですか。職場の電話で、「佐藤さんお願いします」
                   「佐藤は、3人います」
 なんか、ありそうな光景だんしな。
 平成になっても、上位は固そう。

 

26 名前:杉の子堂:2007/05/07 09:00 ID:5GwsAFNeKU
■道具の進化・着火

 昔、家に使い込んだ「火打ち金」と「火打ち石」がありました。
「火口(ほくち・火薬をまぶした綿など)」と「付け木」はありませんでしたが。
火打ち金は、かなり磨耗していました。

 それが、馬印の「BEST SAFETY MATCH」になり、チャッカマンになりました。

 バーベキュー用の着火材なんか売っているようですが、
  杉の葉と消し炭があればOK。

27 名前:スナドリネコ:2007/05/07 10:36 ID:Gz/aaWIRwI
最近は、着火剤がないと火を付けられない人も多いようです。
10年以上前に聞いた話ですけど、妹夫婦が子供達とキャンプに行ったときに、
旦那に、火をおこすように頼んで炊事場に行って帰ってきても、かまどに火がついていなかったそうです。
新聞紙を入れて、その上に小枝を置いて火を付けると教えていったのですが、
旦那は、新聞紙を平らに敷いて、その上に小枝を乗せていたそうです。
旦那は都会っこだったので、スイッチ以外で火を付けたことがなかったのでしょう(笑)

28 名前:杉の子堂:2007/05/07 22:15 ID:5GwsAFNeKU
 ■いらっしゃいませ

 話を聞いて、元祖お嬢様「朝丘雪路」を思い出しました。
 彼女は、マッチを点けることができないと聞きました。
 子どもの頃、どこに擦っても着火する「ろうマッチ」をアメリカ映画で見て
 目を丸くし、普通の安全マッチで挑戦してみましたが、無理でした。
 (ばかー!)
 (良い子は、まねしないでください。)

29 名前:杉の子堂:2007/05/07 23:00 ID:5GwsAFNeKU
■広告マッチ

 湯沢の飲み屋さんでも、かつて宣伝用のマッチが、かなり流通していました。
 新装開店のときに貰ったりしましたが、普段でもカウンターに置いていましたね。
 それが、やがて広告100円ライターになり、今は、それもなくなりました。
 そもそも、感覚的にタバコを吸う人が減りました。でも、夜の飲食街の女性喫煙率は高いですねー。
 鼻から煙出している女(ひと)いますからね。(ギョ!)
 

30 名前:スナドリネコ:2007/05/08 08:40 ID:oaV8GGPbYs
私は昔、出張で各地を廻っていたので、行く先々のホテルや飲み屋などのマッチを集めました。
今でも、箱に入って大量に取ってあります。
うちにはライターがありませんので、ろうそくや固形燃料に火を付けるときに使われています。

実は安全マッチでも、西部劇のようにマッチを擦ることができます。
マッチ箱のマッチを擦る茶色の部分に水を付けて溶かし、マッチの頭にこすりつけるなどして、
塗るのです。
それを乾かすと、うまくいけばどこに擦っても火がつきます。
ちょっと面倒くさいので、大量に作るのは無理ですけどね。

31 名前:杉の子堂:2007/05/08 19:32 ID:1FdibX8.5k
 ■毎度ありがとうございます

 そうですか。そんな方法があったとは!
 でも、お子様だったから知らないで良かったかもしれません。

 大家さんのツッコミがあると、話を展開できるので、正直に言って助かります。

 マイペース人間なので、ここはホント居心地の良いところだんしな。
 なぜ、もっと早く気づかなかったのか。
 

32 名前:杉の子堂:2007/05/08 19:52 ID:1FdibX8.5k
 ■マッチ一本家事の友

 これは、昭和50年代前半に発行されていた「月刊ビックリハウス」の今月の教訓
カレンダーに投稿された名作です。しかし、味わいのある作品ですなー。

 昭和53年12月の最優秀賞作品
  「健康のため、生きすぎに注意しましょう」
          準優秀賞作品
  「トンネルをすると、そこは笑いの渦だった」
 昭和54年3月の最優秀賞作品
  「気をつけよう、ジョークに交じって飛び交う本音」
          準優秀賞作品
  「働けど働けど我が煙草ラークにならず」

 杉の子堂推薦作品
  「バカは休み休み来なさい」
  「百聞はいっぺんに聞けず」

 

33 名前:スナドリネコ:2007/05/09 09:54 ID:07lXdDsnLM
そのカレンダーは、日めくりにまとまった物を買ったことがあるかも知れません。
その中で、今でも印象に残っているは、
「昔食った貝塚」
「モガ夢中  作者モボ」
など、標語やことわざなどをパロディーにした物だった気がします。
日めくりで捨ててしまうのももったいなくて、そのまま保存していたのですが、
今ではどこに行ったのかわかりません。

34 名前:杉の子堂:2007/05/09 20:29 ID:xyNHfgj1hY
■火の用心・夜警団

 古〜い話ですが、昭和30年に湯沢地区野口町の少年夜警団が国から
表彰を受けたそうです。
 昔は、夜になると「火の用心、カチカチ」「火の用心、カチカチ」と
夜警団の人が町内を巡回していました。
 拍子木の音、結構響きました。

35 名前:杉の子堂:2007/05/09 20:37 ID:xyNHfgj1hY
 ■湯沢の大火

 明日5月10日は、大正14年に旧湯沢町の横町から出火し、200戸
以上の家屋が焼失した大火が発生した日です。
 昔の火災原因で、時代を感じるのは「煙突からの飛び火」。
我が家も、古い家は小屋の部分が杉皮葺になっていました。
(危ない、危ない。)
 明日は、消防署のサイレンが鳴ります。「火の用心!」

36 名前:杉の子堂:2007/05/09 20:45 ID:xyNHfgj1hY
 ■モガ、モボ

  これは、昭和史上級編で、クイズ番組のファイナル級ですね。
 おっと、投稿が3つになりました。でも、清彦ちゃんには及ばないでしょう。

37 名前:杉の子堂:2007/05/10 19:07 ID:tERh8GhpGA
■御神酒

 一昨日、吹張の槻ノ木さん(一里塚)の前を通りかかったら、根元に祀られている神様の
祭日のようで、お酒が奉納されていました。
 小さなお堂の前には、ゴザが敷かれて銀紋の2本セットが。
 やっぱり、御神酒をいただくと何かありがたい気になります。
 お賽銭だして、御願いすればよかったかなー。

38 名前:スナドリネコ:2007/05/11 09:52 ID:DrUxGm/wvU
清彦さんは、相変わらず頑張っていますね。

昔は杉の皮の上に、石を置いた屋根がありましたね。
昔は、うちの風呂場もそういう屋根で、火の粉が燃え移ったことがありました。
たまたま通りかかった人が教えてくれたので、火事にはなりませんでしたが、
危ないところでした。

39 名前:杉の子堂:2007/05/11 19:24 ID:w2Zz6qimJQ
■私が「清彦ちゃん」と呼ぶ理由(わけ)

 今日は、店じまいをして脱線します。
《理由》湯沢市掲示板に勤務していた時代に、私のスレッドにブラ下がったときの
ハンドルネームを「清彦」又は「清彦含み」にしていたことが多いからです。

 暇なので過去ログで検証してみました。

 ■過去に「清彦ちゃん」が絡んできた投稿数と七色ハンドル

  ゆざわ原人時代 河童G、あじゃB、河童とTシャツ日米祝いA
          河童とTシャツ@、清彦@、NEC清彦@
          清彦プロデューサー自称@、河童清彦@
          テーマ水清彦@、テーマ水尾崎清彦@
          東鳥海山@
          総数21−清彦がらみ出現率28.6%
 
  杉の子時代   清彦D、清彦いかがですか〜よしやるか〜B
          清彦40すずめB
          総数11−清彦がらみ出現率100.0%
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

40 名前:杉の子堂:2007/05/12 18:06 ID:l3D2UZBGX6
■道具の進化・炊飯

 昔住んでいた家には、かまどがありまして、UFOみたいな羽釜(はがま)で
ご飯を炊いていました。
 当時はTVもなく、子どもだった私は早々と寝てニワトリといい勝負で起きて
ご飯を炊くのが仕事でした。
 枯れた杉の葉っぱや消し炭を使い火を起こし、薪をくべて。
 ハイできました。
 「こげ飯(まま)」や釜の底の「へそび(すす)」を思い出します。
 
 それが、いつしか電気(ガス)炊飯器になり、そしてIH電気炊飯ジャーに進化しました。
 
 消し炭入れる火消し壷は、まだ当時のものを大事にしています。

41 名前:杉の子堂:2007/05/13 09:27 ID:6CijeAi2QA
■ブドー酒

 ワインじゃなくてブドー酒です。
 「ビタミン入り森永ブドー酒(森永醸造)」
 「粒よりのブドーからうまれたハチブドー酒(合同酒精)」
 「若々しい奥様お嬢様に赤玉ハニーワイン(サントリー)」

 昭和40年ころ、赤白2本セットで600円くらいでした。
 すごい甘口のブドー酒で、子どもながら何かあるとコップに
 注いでもらい飲んでいました。(すこしクラッとしたかな)

 今でも、ワインじゃなくてブドー酒を買うときがあります。
 関係ないけど、昨日は塩クジラ汁でした。(ガラガラ本日閉店)

42 名前:スナドリネコ:2007/05/14 10:18 ID:PPfBFGLkgg
そうそう、私も葡萄酒とはそういう甘い物だと思っていました。
高校生の時に、ワインという物があるのを知って、葡萄酒と同じ物だと思って
買って飲んでみたら、これが酸っぱい(笑)
その後は敬遠していたのですが、大人になって飲んでみたら、けっこう美味しい
と言うことが分かり、今ではワインと日本酒を主に飲んでいます。
ワインは、シュタインベルガーがお気に入りです。

43 名前:杉の子堂:2007/05/14 16:07 ID:P64lqouiCg
■酒の遍歴

 最初の飲んだ酒は、「サントリーレッド(720ml500円」で「カッパえびせん」を
食べながら、痛飲し泥酔しました。(スタートからコケル)
 その後、「ビール、ウィスキー」→「日本酒」→「焼酎」とかわり、今は日本酒を楽しんで
います。(もうバカ飲みはしていません。)

 ■危険な香りがする酒
 「ウィスキーのビール割り」は、飲むと必ず正体をなくした。
 「アブサン」をショットグラスで飲み干すと、必ず正体をなくした。
  昔のピンキャバの大瓶入り業務用ウィスキーは、何となく怪しかった。

 今度は、ブドー酒を卒業してワインを飲もうかな。

 

44 名前:杉の子堂:2007/05/14 16:26 ID:P64lqouiCg
 ■食品のデパート「すぎやま」

 湯沢駅前の国道13号交差点の角に、杉山ビルがあります。
 (居酒屋「慶」や肉の高長などが入居している建物です。)

 あそこに「食品のデパートすぎやま」はありました。
 当時の湯沢市としては画期的な「総合食料品店」で、1日平均1,500人
くらいの買い物客で賑わったそうです。

 私の母も「んだ、んだ、あそこが湯沢で一番早がった。」
 (何でも売っている店のことを言っています。」

 風化しそうですが、覚えています。
 (古い写真をみると、看板に「エスビーカレー」とありますなー)

45 名前:スナドリネコ:2007/05/15 16:48 ID:0OtlXQfXPs
「すぎやま」ありましたね。
未だに、あの建物は「すぎやま」と言われた方がピント来ます。
バス停も近かったので、買い物には便利なところでした。

昔は、ウイスキーは凄い高級酒で、ジョニ赤ですら7000円以上しましたよね。
当時はものすごい税金を取られていたのですね。

46 名前:杉の子堂:2007/05/15 22:56 ID:8i0vyssMzM
■杉山食品かどに信号機

 湯沢警察署管内では交通事故が多発したため、さまざまな安全対策を
 講じましたが、その一環として杉山食品かどに信号機が。
 昭和42年のことです。

 当時、湯沢地区の中心部は、車が道路脇に駐車しているため、ますます
 狭くなっていました。
 これは、柳町〜大町が都市計画道路として改良されるまで続きましたが、
 しかし、道路ができたら、人通りも駐車する車も減ったのは皮肉ですなー。

 どうでもいいですよ!七夕絵どうろうは、昔の通りのほうが風情豊かだという身勝手。

47 名前:杉の子堂:2007/05/15 23:08 ID:8i0vyssMzM
 ■杉の子堂情報掲示板

  従業員募集

  一、高卒以上 女子10名
  一、詳細は面接のうえ
  一、希望者は履歴書(写真)を送付してください
  一、締切日 昭和41年8月25日
  一、面接日 昭和41年8月26日午後1時

    湯沢中央デパート人事課 湯沢市柳町電話(代)2195

    今、昭和40年代前半を研究しています。

48 名前:杉の子堂:2007/05/16 19:50 ID:1ljWvXwBaU
■えっ!

 秋田電報電話局の番号案内の1コマ

「はい、番号案内です。」
「スズキトシオさんの電話番号を教えてください。」
「トシオさんのトシは?」
「47歳です。」
「?… … …」

あきた雑学ノート(無明舎出版)から

湯沢市長のことではないと思います。

49 名前:杉の子堂:2007/05/17 08:28 ID:gzd6lxktpo
 ■やっぱり端午の節句は旧暦で

 今年は、6月19日が旧端午ですね。
 端午の節句といえば、ショウブが思い出されます。
 しょうぶ湯に浸かったねー。
 ところが、この「ショウブ」最近なかなかありません。
 (アヤメ科の花菖蒲と勘違いしている人います。こちらは、サトイモ科です。)
 私だけのmy生息ポイントがあります。

 新暦5月5日にスーパーマーケットで売っていたことあったけど、みたら茨城産だと。
 この時期、秋田で育つことないので、おかしいと思ったよ。

 だから、やっぱり旧暦じゃないと。
 ショウブを耳に当ててクルクル回して「いいごど聞げ」「いいごど聞げ」
 良いことがあるようにとの「おまじない」です。
 

50 名前:スナドリネコ:2007/05/17 11:10 ID:it0fAC5bsQ
募集は、給料がいくらだったのかが気になりますね(笑)

電話の話は、五城目のトメさん?とか言う話にも似たような物がありました。

電話局の人「どんな漢字ですか?」
トメさん 「スラッと背が高くて、優しい感じです」

正確には覚えていませんが、みたいな話だったと思います。
 

51 名前:杉の子堂:2007/05/17 20:12 ID:gzd6lxktpo
■伝説のトメさん

 おおー、バスの運転手の耳元で「ピンポーン」と言った伝説の人ですね。

52 名前:杉の子堂:2007/05/17 20:23 ID:gzd6lxktpo
 ■アベストア

 「食品のデパートすぎやま」の次は「アベストア」でしょう。
 田町に移転する前は、今のサンロード「ニュー長寿軒」のところが店舗で
 開店当時、すごく繁盛していた記憶があります。
 小規模なスーパーマーケットの草分けですか。

 次に、「なかよし湯沢店」、「主婦の店」時代を経て「タカヤナギ」
「アイマート」「ジャスコ」時代になりますか。

 「なかよし」のブルーチップスタンプが懐かしいですね。
 50円で1枚だったかと。

 日専連スタンプなんかもあったなー。

53 名前:スナドリネコ:2007/05/18 10:29 ID:EbC6IqmDLY
その中に「よねや」がありませんね(笑)
一時期、「ヤオハン」もありましたね。
なかよしの店舗は、その後「電工堂」になりました。
今は何なのかは、注意して見ないのでわかりませんが。

54 名前:杉の子堂:2007/05/18 19:24 ID:xFpIhkCsis
■謝罪広告

 「よねや様大変失礼しました。(おおぶちょほしたんし)」
 そういえば、家内は今でも「よねや」のチラシの割引券切り抜いています。
 「苦労をかけて、おおぼちょほしたんし。」

 「カメラセンターシモダ」と昔流に言えば婦人洋装店ですかね。
 東隣の藤野ビルまで伸びていたかな?

55 名前:杉の子堂:2007/05/18 19:36 ID:xFpIhkCsis
 ■大衆車
 
 お待たせしました!トヨタの話題の新車がいよいよ登場します。
「トヨタ カローラ 1100」
 プラス100ccの余裕!
 4段フロアシフトです。最高速度140キロ。強力60馬力水冷4気筒。

 このゼイタクな車がこの価格!
 スタンダード 450,000円
 デラックス  515,000円(ラジオ、ヒーター標準装備)
 秋田店頭渡し現金正価(標準タイヤ、工具つき)

 カローラのお取り扱いはトヨタパブリカ秋田

 私が最初に乗った車は、カローラの1200CCでした。あまりにも力がなかったなー。


 

56 名前:杉の子堂:2007/05/19 12:56 ID:2djldhmUeI
■紫蘇パン

 紫蘇パンみつけたぞー!ビックフレックの菓子コーナーで。
 もちろん買いです。
 次は、五色バナナを探すぞ。(どっかにあったんだよなー)

57 名前:スナドリネコ:2007/05/19 13:50 ID:V4TPc0kjRY
シソパンとは、シソが入ってるパンですか?
もしかして、湯沢で流行ってるとかでしょうか。

よねやの割引券は、前はよく使いました。
毎週土曜日に、卵が安いというのも計画的に消費できて良かったです。
今は、広告を見てチェックしなければならなくて、買い逃すことが多いですね。

1100とは、今思えば中途半端ですよね。
最近は区切りが良いのか1000とか1500とか2000になってきている
気がします。
税金とかの面で、中途半端だとパワー的に損な気がします。
特に1600だと2000と税金が同じですからね。

58 名前:杉の子堂:2007/05/20 05:15 ID:2uI5wWbfh2
■早朝開店

 古本屋ですが、「シソパン」に関する参考書を紹介します。
 
 本の名前は「まだある。」
  副題は「今でも買える懐かしの昭和カタログ〜おやつ編〜」
 大空ポケット文庫\730です。

 第1弾「食品編」第2弾「文具・学校編」第3弾「生活雑貨編」
 第4弾「駄菓子編」第5弾「玩具編」第6弾「おやつ編」
 第7弾「キャラクター編」は2007年7月刊行予定

 さて、「おやつ編」によると、小麦粉にタマゴ、重曹、白砂糖
 そして粉末のシソを加えて焼き上げたものとあります。
 もともと仙台駄菓子だそうですよ。

 まあ、このシリーズで話題提供したら1、2年は投稿できるでしょうね。
 

 

59 名前:杉の子堂:2007/05/20 05:35 ID:2uI5wWbfh2
 ■残念!ようかいけむり

 玩具編に「ようかいけむり」が紹介されています。
 ブロマイドのような形の薬品を塗ってある部分を人差し指でこすると
 指がベタベタしますが、親指とつけたり、離したりしていると煙が出る
 というもの。(子どものころ、やりました。)

 これが、ゴールデンウィークの秋田ふるさと村で開催された「おもしろ
 昭和あそび館」で売っているというので出かけてみたんですよ。
 したら、売り切れ。

 昔のテレビや調度品を置いた居間のセットに上がりこんで記念写真撮っている
 親子づれとかいましたね。
 となりの、蚊帳と布団セットで寝ている人は、さすがにいませんでした。(笑)
 
 

60 名前:杉の子堂:2007/05/20 22:01 ID:2uI5wWbfh2
■高吉座にニセ俳優

 これは、かつて投稿したことがありましたが、数時間で削除しました。

 高吉座は、馬喰宿(人馬一体型宿泊施設)を営んでいた高橋吉五郎氏が、
 明治の末期に、宿を改造して芝居小屋にしたものです。
 300人くらい収容できる芝居小屋で、舞台や花道があり、芝居、娘義太夫
 浪曲、手品、無声映画などが興行されたようです。

 昭和26年5月のこと、長谷川一夫の触れ込みで乗り込んできた一座が、
 観客の目を誤魔化せず、ニセモノであることが発覚し、公演中に逮捕される
 事件が発生しました。
 この男、興行師と共謀し、各地でボロ儲けしていたとのこと。

 高吉座は、映画の常設館となり一時期「電気館」の名称になりました。
 確か、北都銀行湯沢支店の昭和8年町並み鳥瞰図にも「電気館」と。

 明日21日(月)は、店主不在により休業いたします。

 

61 名前:スナドリネコ:2007/05/21 09:53 ID:hCKL.IbVl.
けむりが出るのは、私もやりました。
あれは、出ている物をよく見ると、けむりというよりはゴミのような物でした。
昔の駄菓子やというのは、今思えばインチキ臭い物が多かったですね。
穴の開いた紙テープという物があったのですが、あれってコンピューターにデーターを
読み込ませたり、記録するために使っていた物を売っていたのだと思います。
それを折り曲げたりして遊びましたが、今思うと意味がわかりません(笑)

62 名前:杉の子堂:2007/05/22 08:07 ID:7vil3wnka6
■思い出

 「穴の開いた紙テープ」記憶にありますねー。やっぱり、交互に折り曲げていたような。
 引っ張って伸ばして遊んでも、どうにも意味ないね。

 おもしろ昭和あそび館で、ゴム動力のB級模型飛行機「オリンピア」が売っていたので
 よほど買おうかと思いましたが、止めました。(作る気力ない。)

 中学生のとき、この模型飛行機の競技会があり、仲間と参加することにしました。
 そこで、模型界の巨匠「柴田玩具」のおじさんを講師に、それはそれは一生懸命
 に作ったんですよ。
 木製プロペラのバランスをとったり、胴体部分を軽量化したり。
 学校のグラウンドでの試験飛行は、予想以上の出来。
 急上昇水平滑空機というやつですたい。

 大会当日は、風が強い悪天候で、我が愛機を手から上空に向けて離した
 ところ、突風にあおられて無残にも地上に激突。
 プロペラが折れ、再飛行も不能となり、私の模型飛行機甲子園は終わりました。
 あーあ! 
 

63 名前:杉の子堂:2007/05/22 19:12 ID:7vil3wnka6
■秋空に歓声響き(昭和41年10月)

 (旧)湯沢市の第1回模型飛行機大会は、このほど湯沢北中学校で開かれ、
  約100人の小・中学生が愛機をたずさえて参加、記録にいどんだ。

  小学校の部1位 1分41秒3
  中学校の部1位 2分30秒2

  うーむ、我が愛機では小学校の上位すら苦しいかも。
  (記憶によれば、1分30秒くらいだったと思う。)
  胴体下部についた垂直尾翼が懐かしい。

  予備のゴムをたすき掛けにし、ゴムを巻く道具を使っていました。
   



 

64 名前:杉の子堂:2007/05/23 07:27 ID:WqNKJbS8cM
■おつかいブル公

 グリコアーモンドチョコレートに「おつかいブル公カード」がついて
 いまして、カード30枚と切手60円分で「おつかいブル公」がもら
 えるわけです。
 
 ラジコン操縦で自由自在。おつかいに行き口でモノをくわえてくる。

 ゲットした同級生が学校に持ってきたわけですよ。
「どーだ!」という感じで。
 羨ましかったなー。チョコレート30個買う資金が必要だった。
 

 

65 名前:スナドリネコ:2007/05/23 15:40 ID:PDRuJItXEM
オリンピアは、私も記憶にあります。
そういえば、当時の竹籤系の飛行機は、垂直尾翼が下に付いていましたね。
私は、その辺がどうにも納得できなくて、上に付けて作っていました。
ゴムを巻きすぎて切れた時は、手にぶつかってイタタタでした。

66 名前:杉の子堂:2007/05/23 17:27 ID:WqNKJbS8cM
■菅公学生服お買い上げの方に

 発売50周年・2000万着突破記念
 世界のメーカー「セイコー」の高級腕時計を

 中学入学のとき、学生服買ったらセーラーのノック式万年筆がついてきました。
 アホ中学生には、無用の長物だったですね。(笑)

 腕時計は、自動巻き、カレンダー付きが流行していました。
 しかし、人というより、ダブダブの学生服が歩いている感じでした。
 このころの、成長スピードを考えると親としてはねー。

67 名前:杉の子堂:2007/05/24 20:22 ID:G7zaBlOT5c
 ■ゴム長くつ

 これから、夏に向かう時期の話題ではありませんが。

 雪の中でも活動的!新発売「トップスター」月星靴
 (月星ゴム株式会社) 
 それから、弘進ゴム株式会社。

 なんと、フクスケまでゴム長界に。足袋だけだと思っていた。
 (福助株式会社)

 三馬を忘れていたか。

 クツとカサなら協働社 湯沢大町店 電話2530

 はき口の飾りは、ヒョウの模様なんかオシャレ感じかな。

 
 

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

68 名前:杉の子堂:2007/05/25 19:14 ID:0mVfXFrkxM
■本当に国体があるの?

 昭和36年の秋田国体に向けて第1回秋田県ハンドボール大会が
 昭和33年10月5日(日)に男子4チーム、女子2チームが
 参加して東小学校グランドで開催されました。

 前回と同じハンドボール競技が、湯沢市の開催種目になっています。

 秋には、国体があるというのに、この冷めた空気はどうしたことでしょう。
 まったくと言っていいほど、盛り上がりがありません。
 すごく心配です。

69 名前:杉の子堂:2007/05/26 17:41 ID:eZq4IQry5.
■学び舎は?

 今日の秋田さきがけ

70 名前:杉の子堂:2007/05/26 17:46 ID:eZq4IQry5.
 ■書き込みミス

 湯沢市の小中学校統廃合計画の中間報告について書き込むつもりが
 ミスってしまいました。
 行政関係については、投稿しない方針なのに、余計な事をしようと
 したからでしょう。
 だから、止めます。 

71 名前:杉の子堂:2007/05/27 16:36 ID:NpYP.DXt5k
■スロットレーシング

 昭和40年代の前半のこと、大町のとみや文具の2階にスロットレーシングの
 巨大サーキットが出現した。
 コースの溝から車載モーターの電源をとるやつで、当時は田宮模型のフェラーリ
 やマクラーレンの人気が高かったですなー。
 私が選んだのは、ホンダF1で白い車体に日の丸が印象的でした。
 ホンダチームの「ジョン・サーティース」思い出します。
 かなり無理をして、ヘヤピンカーブでコースアウトはよくあることで。
 モーターを買い換えて動力性能を向上させたかったのですが、
 F1は資金がいりますよ。当時の資金力ではねー。

 

72 名前:杉の子堂:2007/05/28 12:43 ID:0o.O5fJBw6
■紙風船

 昔、富山の薬を置いていました。
 大きな行李を担いだおじさんがやってくると、紙風船をくれました。

 今は、「秋田スパーク」に「三光丸」、そして農協までやっています。

73 名前:杉の子堂:2007/05/28 12:48 ID:0o.O5fJBw6
 ■臨時休業

 29日から31日まで臨時休業いたします。
 しかし、いい天気だなー。

74 名前:スナドリネコ:2007/05/30 09:42 ID:3Zo237Jm8I
昔は、うちにも複数の置き薬がありました。
たぶん、6種類はあったとのではないでしょうか。
当時は、気軽に医者に行ったり薬を買いに行けなかったので、重宝しました。
紙風船をもらうのは楽しみでしたね。

75 名前:杉の子堂:2007/06/01 19:42 ID:Rv/wZkT1I.
■昔の月給

 bS7で中央デパートの女子従業員募集を掲載しましたが、どれくらい
 の月給か不明でした。
 そこで、同じ時期の他社の状況を調べてみました。
 
 秋田市 ダイナミックスーパー「マルナカ」
 男子高卒14,000円 女子高卒12,000円

 千葉市 川崎製鉄女子給食員
 女子中卒17,000円

 東京都 大和運輸株式会社
 大型運転手 32,000円〜45,000円
 助手    28,000円〜38,000円

 してみると、19型カラーテレビの190,000円は、かなりですね。
 やっぱり月賦かなー。

 三洋電気は、昭和42年に16万円台の普及型を販売し、他社も一斉に右ならえ。
 それでも高いねー。 

76 名前:スナドリネコ:2007/06/02 16:37 ID:fpiDMbKVpU
給料は今の10分の1くらいでしょうか。
テレビは、ブラウン管としては10倍?
液晶テレビとしても、今の2倍くらいはしてますね。
給料との比較では、かなりの高級品です。
今だったら、クルマを買うくらいの値段感覚ですね。

77 名前:杉の子堂:2007/06/02 18:03 ID:olx14rZpsA
■貨幣価値、物の値段

 忘れて思い出せない感じですね。(貧乏だったという実感を除いて)
 もっともお子様だったので、無理ないでしょうか。
 私は、子どものころ1円札を使った記憶があります。
 手元に日本貨幣カタログ2006年版がありますが、出ている出ている。
 二宮尊徳の図案で真ん中にニワトリがいるやつです。
 近所の駄菓子屋でアメの大玉が1個50銭でした。さすがに何銭は使いませんでしたが
 2個1円で使いました。
 
 昔、上京したとき板垣退助の百円札使ったら、むこうは100円硬貨が流通していて
 ものすごく恥ずかしかったです。(田舎者コンプレックス全開でした。)

 家では、普段菓子の買い置きがなくて、お客さんが来ると買ってくるのが私の役目でした。
 「はーえ」「この煎餅30円あで(値)ください。」
 薄くて白い紙袋に入れられた煎餅を家に持って帰りました。

78 名前:杉の子堂:2007/06/03 18:18 ID:gpf9JlYbjA
■湯沢時間追放運動

 昭和33年ころ、旧湯沢市では長年の悪しき習慣を打破しようと
 新生活協議会を組織して、市を挙げて取り組みを進めていました。

 目標のひとつに悪名高い「湯沢時間」の根絶がありました。
 ということで、標語を募集しています。

 ● 時守る市民がつくるよい湯沢
 ● 集会も汽車に乗る気で5分前
 ● 集合時間守れる人は伸びる人
 ● きめた時間にそろって笑顔 (以上入選作品でした。)

 しかしーーーー!


 

79 名前:スナドリネコ:2007/06/04 09:12 ID:gG3LrrePbM
さすがに、1円札の記憶はありません。
貧乏だったからか、小学生までお金を意識したことがありませんでした。
ふきのとうを取って、買い取りするところに持っていって、穴のない5円玉を
もらった記憶はあります。
お小遣いをもらえなかったので、ふきのとうやふきをとって売ってお小遣いに
していました。
秋には、ハタギを取って売りました。

確かに、田舎は時間を守りませんね。
時間厳守は、文化の程度と比例しているような気がします。
発展途上国などに行くと、時間はあってないような物ですからね。

80 名前:杉の子堂:2007/06/04 20:33 ID:owocFg.ZA.
■現金収入

 昔は、本当に現金収入がありませんでした。
 母親の実家は農家ですが、干し柿をつくって売っていたそうです。
 養蚕もやっていたそうです。
 食べることは食べていたでしょうが、お金がないのです。

 ■パートさん・アルバイトさん募集

 昨日の新聞折込チラシ
 薬王堂湯沢店 7月中旬ビッグオープン!
 秋田県内13店舗目ですと。
 時給制676円〜 勤務は、週20時間程度

 合併湯沢市の人口が4万を割り込むのは時間の問題、購買力は
 急速に落ち込みますよ。
 後には大型店舗の残骸だろうね。たぶん。

 元電巧堂の店舗、なにやら工事していますね。解体でしょうか?
 様子を見てみましょう。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

81 名前:わっぱが:2007/06/05 01:15 ID:qkotjQD0pE
re:25 名前:杉の子堂さん:2007/05/06 20:34
>■同姓番付(昭和30年9月、行司・旧湯沢市、勧進元・戸籍係)

 んー、いかにも同じクラスの中に複数いる苗字ですね。

横綱「たがはっさん」と「さどさん」は、確実に複数いましたね。
 中には同姓同名も1学年に2組くらいいたような。

大関「ささぎさん」と「いどさん」も店屋関係でも多そうでしたね。
以下、「しばださん」「ふづわらさん」「さいどさん」「すずくさん」「わだなべさん」「まったさん」あたりもクラスに1人はいましたね。

旧市内は屋号もあんまなかったので、町内で呼んでましたね。
今も順位は変わってなさそうです。

82 名前:わっぱが:2007/06/05 01:23 ID:qkotjQD0pE
re:26
■道具の進化・着火

> 昔、家に使い込んだ「火打ち金」と「火打ち石」がありました。
>それが、馬印の「BEST SAFETY MATCH」になり、チャッカマンになりました。
> 杉の葉と消し炭があればOK。

 火打ちはありましたけど、うちらのころはもうマッチ全盛でした。
 で、おやじが毎晩飲み歩いてましたので、箱マッチ買わねったっていいくらい、飲み屋のマッチがあふれてました。
 それに昔は湯沢の成人男子の喫煙率はほぼ100%なので、とにかくマッチだらけのイメージです。
 それにどこの食堂とか店屋にいっても、ご自由に、という風にマッチがおいてありました。
 ちょっとシンプルでこじゃれたイラストに店名+電話番号(昔は(3)だけだったんだよね)

 ミンジャははやいうちにプロパンガスになりましたけど、お風呂はながく薪がまでした。
 なので、火つけのための鉋屑とか藁とか短い木屑とかは必要でした。
 山に近い家ではやっぱ茶色くなった杉の葉でしたね。あれはよく燃えます。

 豆炭とか練炭(品川練炭)とかも使いましたね。
 東小は、鉄筋コンクリートの近代建築でしたけど暖房は石炭でした。

83 名前:わっぱが:2007/06/05 01:31 ID:qkotjQD0pE
re:35
■湯沢の大火

> 明日5月10日は、大正14年に旧湯沢町の横町から出火し、200戸
>以上の家屋が焼失した大火が発生した日です。

 湯沢も何度か大きな火事を経ていますね。
 駅前・湯沢劇場の火事とか、マルトヨの火事、近年では湯沢病院の火事なども怖かったでした。
 最近は、なぞの放火みたいなのが多いようですね。

 サイレンが、うぉぉぉーーーん、うぉぉぉーーーん、と旧市内全域に響き渡るのは、子供ごころに怖かったです。「ああ、戦時中ってこんな感じだったんだべなー」とか。

 昔は商店でも泊り込みの若勢(わがじぇ)がいて、消防団の人数には事欠かなかったんですが、いまや店主でさえ店に住んでいないので、今、旧市内で火事が出ると怖いですね。
 町内には何箇所か消防小屋があってポンプとか置いています。
 子供のころ見たポンプはまるで戦前のような代物で、たぶん買い替えとかしてないでしょうから、いよいよ次の大火事の時が怖いですね。

> 昔の火災原因で、時代を感じるのは「煙突からの飛び火」。

 煙突の壁の出口の部分は、石膏とか石綿のようなものでしたけど、あそこが加熱して、ということもあったと思います。
 駅前の湯劇の前の商店も看板はブリキだけど、裏に回るとかやぶき屋根だったので、火が飛んできたらひとたまりもなかったとおもいます。

84 名前:スナドリネコ:2007/06/05 10:13 ID:H9Xi0n5GSg
デンコードーの店舗は、携帯電話だという情報がまちBBSに書いてありましたね。
薬王堂よりも、カワチが来てくれれば良いのですけどね。

85 名前:杉の子堂:2007/06/05 17:46 ID:xj1tW3ZHdc
■お久しぶりです

 わっぱがさん、お久しぶりですね。湯沢市掲示板のほうはROMになりましたが、
 こちらのほうもよろしくお願いします。

 大正8年3月に雄勝繭市場と劇場を兼ねて建築された湯沢劇場は、木造二階建て(一部三階)
 定員500人、回り舞台に楽屋もあり県南一の規模を誇ったそうです。

 いまでも、鮮明に覚えています。昭和45年10月19日。
 紅蓮の炎で焼失した劇場は再建されませんでした。
 最後に見た映画で記憶にあるのは「大魔神」でした。

 まちBBSは見ませんが、その手の情報は早いようですね。
 (手抜き書き込みですみません。)

86 名前:杉の子堂:2007/06/05 17:53 ID:xj1tW3ZHdc
■きゅうりの冷やしみそ汁

 今日の湯沢は気温が上昇し、半袖族が急増しました。
 暑くなるると、きゅうりの冷やしみそ汁ですね。
 薄切りのきゅうりに、刻んだ紫蘇の葉がさわやか。

 みずの塩クジラ汁が終了すると、ナスの塩クジラ汁ですね。
 「みず」と「ナス」の相乗りもいいですね。

87 名前:わっぱが:2007/06/05 20:01 ID:qkotjQD0pE
杉の子堂さん、しゃしぶりなんす。
 つっこみタデなんねネタの放出、うれしく思います。
 多少の時差が出てしまいますが、ときどきresりに参りますので、よろしくです。

 今日も首都圏は気持ちのいい日でした。
 キュウリの冷やし汁はいいっすねえ。
 めんどくせ朝には、昨日のばんげの冷えマンマに、これも冷えたお汁っこかけて、猫マンマで食べるのがけっこうオツでした。
 仕上げには、シソの葉っぱ入った梅漬けを茶碗にいれて、ここだけはお湯で米粒とかをガーっと流し込んで、ミンジャの金ダライに茶碗コうるがして、だーっと登校するのです。

 ヤマコのあたりに、干したカスベっこ(というかあれがクジラのあぶらだったかな)つるしてたような・・・
 うちでは食べませんでしたけど、イルカも売ってたと思います。

88 名前:わっぱが:2007/06/05 20:08 ID:qkotjQD0pE
re:27 スナドリネコさん
 確かに最近はアウトドアブームといっても、火のつけ方がなってない若げ衆も多いですね。
 新聞紙は、いぐモジャグネど、空気ひゃらねんすよねー。
 で、それどご紙玉にして、細け棒っこ木切れを上に積んで種火を作らないと。
 して、おっきい木に火が移るほどに火を育てて、ひたすら扇ぐ。
 なので、備長炭とか使う場合には、ジャバラの鞴(ふいご)があると楽なのです
(※最近は、キャンプ用品店などで、フイゴが売られてたりしますね)

 火を起こして大きく育てる、ってのはやりがいのある行為ですよね。
 ほんとはマッチすら使わず、縄文人みたいにすりこぎで火を作るともっと満足感があるのかもしれません。

89 名前:わっぱが:2007/06/05 20:13 ID:qkotjQD0pE
 昔の少年雑誌には、実験のコーナーが結構ありましたね。
 その中には「マッチをつくろう」などの特集もありました。今思うと危ないよねー。
 で、マッチには赤りんと黄りんがあって、西部劇で床を引きずって火をつけるのは黄りんマッチだとか覚えています。

 あと、小学館の「小学N年生」という雑誌の付録には、よく日光写真がついてきました。オバQとかドラえもんとかの半透明のシートがあって、太陽に当てると印画紙がやける、というもの。
 今の子供たちはそういうのってぜんぜん、興味がないと思いますが、我々のころは日光写真だけでも十分に丸一日遊べました。
 なかには、熱をかけると再利用できる日光写真印画紙とかありました。

 虫眼鏡で火をおこしたり、夏の日差しを利用してピンホールカメラを作ったり、昔の少年は実験が大好きだったのです。

90 名前:わっぱが:2007/06/05 20:19 ID:qkotjQD0pE
re:29,30 飲み屋のマッチ
 中には、ブックレット形式といって、箱に通常のマッチがあるのではなく、厚紙に固定してあるマッチもありましたよね。
 小さくてコンパクトでカラカラ音がしない。ちょっとおしゃれで、スナック系でよくあった方式です。
 取り出して使うのが本当なのですが、慣れた人だとマッチの軸をホルダにつけたたま、片手親指でジュッと火をつけてました(失敗すると全部に火がついて危険かも)

 マッチの火のつけ方=マッチ箱は、マッチの頭の方を上にしておき、マッチ棒をタテに持ち、下に向けて擦る、という作法がありましたね。理科の実験の本に出ていました。
 昔の子供は、マッチや刃物を使うのは日常でしたね。それでケガも火事も少なかったのはやはり経験のせいだと思います。

91 名前:スナドリネコ:2007/06/06 11:03 ID:Z3yvmvNYe2
危険な遊びといえば、ナットに火薬を詰めて両方からボルトを入れて、
コンクリートに叩き付けると爆発するというのもありましたね。
瓶の中にダイナマイトを入れて爆発されると、瓶が粉々に飛び散って刺さって
かなり危険でした。
2B弾に缶詰をかぶせて、爆発すると缶が高く上がるというのもやりました。
最近は、そういうことをする人はいないでしょうけど。

92 名前:杉の子堂:2007/06/06 19:28 ID:Xm9KW4wDH.
■イルカを食べるなんて

 イルカは牛蒡と煮付けると絶妙の味で大好物です。
 湯沢の飲食街でも年配のママさんは、作ってだしてくれます。
 ところが、ある店でチョコチョコ同席した御仁は宮城生まれの方で
 何とイルカを食べる習慣がなく、どうにも受け付けないとのこと。
 食習慣がないと、どうにもなりませんね。

 旧雄物川町造山のトラストでは、刺身用のクジラ肉のブロックをよく売っています。
 これを買ってきて、しょう油づけにして焼いて食べるのです。
 昔食べた味です。少年の日々がよみがえります。

 閑話休題
 今日の朝、ドカンドカン花火が鳴ったので、何かと思ったら
 旧湯沢市のシルバー大運動会でした。(中央公園グラウンドにテント多数)
 恐るべし、じさまの脚力、早い早い!もちろんヨタヨタの人も多いです。

93 名前:スナドリネコ:2007/06/07 10:22 ID:Gc9fDuXrsM
私もイルカはダメです。
食べても、そんなに美味しいとは思いません。
くじらでしたら美味しいのですが、今のはミンクくじらですので、昔食べた
ナガスクジラやマッコウクジラとは味が違うような気がします。
くじら類は体長が大きいほど、美味しいのではないでしょうか。
イルカとくじらの違いも、体長が5m以上か以下かということらしいので、
どうしても、小さいイルカは美味しく感じないのかも知れません。

94 名前:杉の子堂:2007/06/07 19:06 ID:lL3cBV8r66
■それは残念

 味覚は個体差じゃなくて、個人差が大きいので(笑)
 今から30年も前に東京のある大衆食堂で「金カツ」なるものがありました。
 クジラ肉のカツのことで、「金」は店の名前である「金ちゃん食堂」に由来
 するものでしょう。
 良く食べました。懐かしいなー。
 

95 名前:杉の子堂:2007/06/07 19:26 ID:lL3cBV8r66
■ぶっきらぼうで親切

 昭和40年代、秋田市の料亭「あきたくらぶ」で通いの女中さんとして
 働く「さかえ」さんは北海道の出身。
 そんな彼女の秋田人評
 「初めは、とっつきが悪く意地悪に見えたが、秋田の人ほど親切な人柄
 は珍しいんじゃないですか。
  欠点といえば、楽な暮らしでもないのに、何かゼイタクな感じですね。」
 
 彼女によると、酒癖の悪い人間が少なく、一般におとなしいとのこと。
 でも、高級な料亭に足を運ぶ人は、いわば名士ですからねー。
 私は、飲んでも羊のような性格で、けっして他人に絡んだりしないこと
 を自ら証明します。(これは本当です。)

96 名前:杉の子堂:2007/06/08 19:09 ID:DJ06ACj4hQ
■やめてほしいステテコ乗車

 昭和40年ころ、秋田市に住む女子学生さんから、こんな新聞投書がありました。

 「所用のため上京したときのことです。列車内が蒸し暑かった事もありますが、ステテコ姿
 の多いのにあきれてしまいました。
  車中は、自分の居間のようにくつろぐ場所ではありません。
  いかに新しくても下着は下着です。
  車内放送のついでにステテコ乗車を止めるよう放送できないものでしょうか。」

 うーん。若い女性が困っている姿が目に浮かぶようです。
 世のお父さん、家庭内でも娘の前でパンツ姿でウロウロしてはいけませんぞ。

97 名前:杉の子堂:2007/06/09 18:02 ID:QPerHMWhR2
■危険な湯沢の山田二井田橋

 こんな新聞投書もありました。
「所用があって山田へ行きました。途中、山田二井田橋(いわゆる山田街道の中川原橋
のことを指している)の手前にきたとき、乗客がゾロゾロ降りだして、ずいぶん乗客が
降りる所だと思ったら、とんでもない。乗客を乗せたまま渡ると危険なので、空車にして
向うに移動して、また乗るのだと知ってびっくりしました。
聞けば毎日とのこと。永久橋に架け変えるか、せめて補強工事をしてほしいものです。」

す・ご・い・で・す・ねー。次回は結末編です。

98 名前:わっぱが:2007/06/10 05:08 ID:ewe.c2rr42
 昭和40年代半ばまでは、まだあちこち木橋が多かったですね。
 農家の裏はかならず小川が2つあり、1つの川は大根洗いや洗濯、後ろの川が農機具洗いでした。
 で、木橋に土を盛っただけの橋が多かったので、雨のあとには穴が開いたり、農機具がぬかったりしてました。

 洪水のたびに、けっこう大きな橋も浮き上がって流れていったことも多かったです。
 というわけで、山田街道の橋もそんなもんだったんですかねー。
 西馬音内線の橋も、たんに線路だけみたいな橋が多かったですもんね。

99 名前:杉の子堂:2007/06/10 22:43 ID:OV3KO6S2kE
■いらっしゃいませ

 最近、湯沢市掲示板に行夫さんという方が戸沢川での思い出を投稿されて
 ていますね。水上(みずかみ)のお寺のことも出てくるので、関口の水上
 か、となりの馬場のご出身なんでしょう。
 このお寺の前を流れる小川はまさに野菜洗いの川で、戸沢川はオシメを洗
 う川ですね。(笑)

 ところで、投書があった1年2月後の昭和42年11月25日に橋の完工
 式が行われました。「旧橋より50m上流に位置し」と広報にあります。
 (湯沢生コンの工場脇の道路が山田街道の旧道ですね。)
 再三にわたる水害で補修するも、木橋で老朽化がひどかったとあります。

 昔の山田街道は、砂利を運ぶ馬車が往来し、馬糞街道でもありました。
 夏には、この橋の下流に水浴びをする場所が設けられていました。
 今度は、水泳場についてほんの少し。

100 名前:わっぱが:2007/06/11 01:45 ID:7.JE1DPlGM
 馬糞=まんくそ、ですな。
 蕎麦饅頭のことを、トショリは「まんくそまんじゅう」と言ってました。失礼な。
 まあ、確かに似てなくはないですが。。。

 岩崎の常盤饅頭(湯沢旧市内では「いわさきまんじゅう」)はいまだに健在で嬉しいです。
 早く行かないと売り切れてしまうのも、昔どうりです。

 西馬音内の橋のたもとの饅頭やさんも健在ですね。弥助そば食って、橋渡って、酒屋さんでご推薦のよさげな小瓶を仕入れて、向かいのお菓子屋さんでお饅頭をおみやげに包んでもらうのです。
 冬であれば、川に鳥がいたりするし、橋のたもとの駐車場には犬がいたりしました。そばのおうちでは猫が退屈そうに外を見てたりしてました。
 というわけで、あの橋の周りだけはやたら歩いたりします。

 松やのそばの農協のあたりにも、焼餅だが焼き饅頭だか売ってませんでしたかね。

101 名前:スナドリネコ:2007/06/11 11:53 ID:oJXkf7L4X.
昔の橋は、自動車が通ることを想定していなかったのでしょうか。
昭和40年代だと、自動車を持ってる人も少なかったですからね。
そういえば、車のドアの所に「自家用」とか書いてたし。

102 名前:杉の子堂:2007/06/11 17:28 ID:eEwSoYbgm6
■西馬音内の饅頭(RE:100)
 この饅頭はウマイですね。
 形がべったりしていて、牛(べご)の糞にそっくりなのはどうしたことでしょう。(笑)
 湯沢雄勝を代表する銘菓に共通点が。

■車もないし、家族全員免許もなかった(RE:101)
 我が家にマイカーが納車されたのは、昭和50年になってからです。
 だから、昔はバスを借り上げて行く町内PTAのレクレーションが
 楽しみでした。

103 名前:杉の子堂:2007/06/11 18:15 ID:eEwSoYbgm6
■子どもを水魔から守ろう
 昭和32年7月の広報に雄物川水泳場の記事が出ています。
 それによると、開設時期は7月21日から8月20日まで。
 遊泳時間は午前10時から午後3時まで。
 泳げる日は、山田街道(田町のハズレ)に旗がでた模様。

■事故皆無で水泳場閉鎖
 同年9月の広報に出ています。8月21日に反省会を開催したようです。
 三関地区
 ●監視台が必要だし、監視員も増員してほしい。
 岩崎地区(皆瀬川)
 ●休憩所の一部を雨宿りできるよう屋根を葺いてほしい。
 湯沢地区
 ●監視台と更衣所は恒久的な組み立て式にしてほしい。
 ●救助用浮樽と休憩用むしろが焚かれたし、更衣所と便所の囲い板がはがれた。
 ●瀬戸かけやガラスかけで足を痛めた者が多かった。

 私も、子どもとき大堰で水浴びをしていてガラスの破片で足に怪我をしました。
 いまでも、足に傷跡があります。
 次回はプールについて少し。 

104 名前:杉の子堂:2007/06/12 19:38 ID:rshHmMvN8w
■連日賑わう岩崎水泳場(昭和30年8月広報)

 岩崎鉄橋下流、初代市長伊藤仁右衛門氏が市に寄付した千年公園のすぐ下にあったそうです。
 飛び込み台、競泳場、脱衣場などが設備され、河川利用の水泳場としては県内一の折り紙が
 つけられていたそうです。
 キャッチコピーは「ケダニのいない安心して利用できる岩崎水泳場」です。
 写真で見る飛び込み台は、高さありますねー。 

105 名前:杉の子堂:2007/06/13 19:11 ID:NZD01w8OqE
■プールができた(昭和35年7月25日)
 湯沢地区PTAの熱望により、西小学校が移転した跡地にプールが開設
 されました。(現在は商工会館の敷地になっています。)
 子ども専用プールで大人は使用できませんでしたが、夜間に無断で泳ぐ
 人も出現したようです。
 プール使用上の注意、「入る前に大小便の用を足す」やっぱりねー。 
 

106 名前:わっぱが:2007/06/14 01:26 ID:8e6TkfDIW2
 あー、なんかうっすらと覚えています。>市役所の前のプール
 ガッコ山の斜面の道路とか階段の位置も違ってましたね。(でも、もとのルートは覚えてなかったり)
 渡部病院さんからお社に向かって登っていくルートが、昔のガッコ山の道に近い感じです。

 水泳は岩崎衆が一番うまかったです。やっぱ大きな川があって水に親しんでたのが大きいですね。
 むかしは、公衆マナーが酷かったですから、湯沢大堰も汚かったです。大根やリンゴの皮とか流れてたし、ちょうど大堰のあたりって飲み屋がお買ったので、酔っ払いがションベまけるのがごくごく普通の姿でした。
 酔っ払いはタチ悪かったし(帰りに大声で騒いで、あちこちの看板けって壊してたり)、墓場のあたりには野良犬もいたし(徒党を組んでた)、飲み屋は平気でボったり、と暗黒な感じでした。
 タチの悪いオトコも多かったせいもあるけど、タチの悪いオナゴがいる小さなスナックとかもたくさんあって、よく騒ぎをおこしてました。

 なので、私としては、必ずしも今の湯沢が悪くて・昔は良かった、と主張するものではありません。
 まあ、カマきゃすまで飲み歩いてた親父がわんさかいたからこそ、湯沢の夜の景気も良かったわけですけどね。
 ・・・というわけで、トッチャがたは、罪の意識から、オリっこに詰めた寿司とかタナイで家さ帰って来るわけだんす。
 んで、夜中にカヤの中で寝てるワラシだじ起こして「起ぎれー! 寿司買って来たから・ケー」と言いつつ、勝手にミンジャの小豆色の食器ダンスから一升瓶出して迎え酒やっちゃうわけです。

107 名前:わっぱが:2007/06/14 01:41 ID:8e6TkfDIW2
 昔、昭和40年前後は、主にトラックが自動車の主役でしたもんね。
 写真を見ると、泥湯に行く途中の、三途川の橋であっても幅2mぐらいで、トラックが1台くると人間も渡れない、みたいな幅でしたね。
 それでも、奈落に落ちそうな旧道からすれば、天国みたいなものでしょう。(旧道は湯沢から行けば道の左側・川沿いに横の壁、削ったような感じであったと思う。
 いま、あの三途川橋から真下みてもオッカネもんね。

 西馬音内の蕎麦饅頭は、ふかすとよりおいしいです。
 あの甘さは黒糖ですかねー。 町場のお茶用の菓子のような涼しげな透き通るような甘さ(和三盆?)でなく、口全体に広がる素朴さと感じさせる甘さですよね。

 今は、湯沢のお祭りでは、羽後町の若返り饅頭屋さんが必ず出店して好評です。「くらた」を除き、湯沢のお菓子屋さんはあまりイベントに出ようとしないので(むしろ祭りの日はお休みになったり)、それはそれでいいことなのかな、と思ってます。
 外から来た人ががんばる、というのが湯沢の定番なのかもしれません。

 ガンジギもいいよね。

108 名前:杉の子堂:2007/06/14 08:56 ID:xjrYOfx.9Y
 ■市民プール

  おはようございます。珍しく午前中の開店です。
  106及び107については、パワーがないので分割返信します。

  なにしろ市民プールは画期的でした。(市役所の完成は翌36年8月)
  川の場合、水の事故が本当に心配だったと思います。
  もっとも、去年だったかプールで女児が死亡する事故が発生しましたね。
  このプールでは、幼きころの杉の子堂も何回か水浴びをしました。
  (当時は、泳げなかった。)
  

109 名前:杉の子堂:2007/06/14 09:03 ID:xjrYOfx.9Y
 ■湯沢市川をきれいにする会

  当時の大堰はかなり汚く、とうとう「湯沢市川をきれいにする会」まで組織されました。
  当然のようにゴミを川に捨てていたと思います。
  不衛生な思い出としては、ネズミ捕り器を川に沈めて、死体をそのまま川に流していた
  ことです。
  富谷家のご先祖もきっと無念だったと思います。

110 名前:杉の子堂:2007/06/14 09:17 ID:xjrYOfx.9Y
 ■傷害事件発生

  昭和40年代の前半「こ●●」という店で、店の客が包丁で刺される事件が発生しました。
  犯人は店で調理を担当していた男でした。
  刺された客は、店の中でTVふさぐようにみていたため、ホステス(加害者の妻)が注意
  したところ、逆ギレして店の外にホステスを連れ出し殴る蹴るの乱暴を働いたため、
  夫である加害者が背中を包丁で刺したものです。
  この、被害者(?)を知っていますが、ヤクザがかったような男です。
  とにかく、昔はささいなことでも、よくケンカしていました。
  こうなると、酒害者ですね。 

111 名前:杉の子堂:2007/06/14 19:12 ID:xjrYOfx.9Y
■川の荷舟

 子どものころ、舗装されていない「きゃんど」をオート三輪が闊歩するのを
 見ていました。
 そのころ、御囲地町の裏を流れる大堰には荷舟がみられました。
 これは、主に御囲地町の人が畑にいくとき利用したもので、いわば川の軽トラックです。
 「やご」が羽化するのをみたり、そのまんま「自然観察教室」でした。

112 名前:杉の子堂:2007/06/14 19:20 ID:xjrYOfx.9Y
■ファミリーマート雄勝インター店開業

 今日の午前7時にオーポンしました。サンドイッチ、おむすび、お弁当
 寿司、スパゲティ、そば、うどんなどが3日間50円引きだそうですが、
 横堀まで行くのはちょっと。芍薬をみるついでならわかるけど。
 チラシには、開店記念100円割引券がついていますね。
 (湯沢地区の新聞折込はなかったなー。)

113 名前:杉の子堂:2007/06/15 08:45 ID:Xo8ENpWGPo
■家具のデパート「マルトヨ」(楽しい暮らしのパイオニア)

 「家具のデパートと称するだけあってマルトヨの商品の豊富さには目を
  みはるばかり。」
 これは昭和41年に秋田魁新報に掲載された長崎抜天の「ばってんシリーズ」
 の一節です。
 マルトヨは、秋田、横手、大曲にも支店を展開していました。
 柳町の店舗は地階と中二階があったことを、かすかに記憶しています。
 この「ばってんシリーズ」には、秋田木工も登場します。
 次回は、日敷について少々。
 
 

114 名前:杉の子堂:2007/06/16 10:55 ID:mAxk67vGdY
■笹巻き

 今日、笹巻きをもらいました。「そんな季節になったかー。」
 旧暦節句で「しょうぶ」について書き込みしましたが、「笹」
 も同じ、旧暦じゃないと両方とも育たないですよ。
 

115 名前:杉の子堂:2007/06/17 06:28 ID:XndndsBDq.
■白鳥映雪さん逝く

 今日の秋田さきがけ朝刊に、日本画家で芸術院会員の白鳥映雪さんの訃報が
掲載されていました。
 95歳とのことで、すばらしい作品を残されて天寿を全うされたと思います。
 白鳥氏といえば、「日展日本画出品作家湯沢展」の開催に尽力されたことで
知られていますが、七夕絵どうろうが縁となって、第1回からすばらしい作品
を鑑賞できたことに、湯沢市民の一人として感謝申し上げます。
 晩年は、脳梗塞の後遺症で画家の命ともいえる右手が不自由だったようです
が、絵筆を左手に持ち替えて、なおも作品に取り組み姿をドキュメンタリー番組
で拝見し、その気迫に深い感銘をうけたものでした。
 今年から、残念なことに湯沢展は中止されますが、これまでのご尽力に感謝申し
上げますとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。
 

116 名前:杉の子堂:2007/06/17 18:28 ID:XndndsBDq.
■家具のマルトヨさん再び

 「小田原畳工業株式会社」
 この社名から分かるように本業は畳製造でありました。
 小田原畳本店さんは、柳町北通りにありますが、何でも創業は安政3年
 だそうで、かなりの老舗です。
 マルトヨは、大正5年に小田原豊治氏が独立して開業したもので、家具類
 は大正14年から兼業したようです。
 私が、かすかに覚えている柳町の店舗は昭和31年に完成したもので、
 当時としては、モダンな感覚のお店だったと思います。

117 名前:杉の子堂:2007/06/17 18:37 ID:XndndsBDq.
■畳と家具のデパート日敷

 「日敷」の呼び名でおなじみの「日本敷物工業株式会社」は、小田原豊治氏の
 二男である小田原豊太氏が、昭和25年に独立し、前森町14番地に畳工場を
 設立したことに始まります。
 (戦後の復興期で需要が増加し、波に乗ったようですねー。)
 昭和32年ころ家具部門を併設し、「畳と家具のデパート」を作り上げたようです。
 次回は、道を挟んだ酒造会館について少々。

118 名前:杉の子堂:2007/06/18 06:56 ID:Vc/S0zKsrU
■酒造会館

 昭和23年11月、湯沢酒造協会が設立され、初代事務局長に下橋治助氏
 が就任しました。(初代理事長は伊藤仁右衛門氏)
 白井晟一氏の設計による酒造会館は、下橋局長が各醸造店を説いて回り、
 資金集めに苦しみながら完成したもので、総工費は1,300万円だった
 そうな。
 この会館で、毎年「両関杯将棋大会」をやっていましたね。
 私も、C級に出場し、参加賞でハイカップもらった記憶があります。
 

119 名前:杉の子堂:2007/06/18 17:44 ID:Vc/S0zKsrU
■メタボリックな野菜はどうもなー。

 育ちすぎて実がパンパンになった「よさく豆」はどうにも苦手です。
 (好きな人もいます。)
 キュウリもちょっと目を放すと「へちま級」に育ちます。
 昔、我が家の庭には「へちま棚」があり、ブラブラしていました。
 体は、もちろん「へちま」で洗っていました。

120 名前:杉の子堂:2007/06/19 08:45 ID:36lkC6jVOY
■番傘

 去年は、東北北部の梅雨入りが6月15日でしたが、番傘のことを
 フト思い出しました。
 玄関から裏に抜ける通路の途中に、丈夫な番傘が何本も何本も吊るされて
 いました。
 子ども用は見たことがないですね。あの大きさじゃ大変だ。
 子どもは雨が降ったら家にいるということでしょう。
 

121 名前:杉の子堂:2007/06/19 19:05 ID:36lkC6jVOY
■書店でつばをつけるな

 「立ち読みの人は、書店でつばをつけて本をめくることを絶対やめて
  ください。」
 うーん。お気持ちは十分わかります。
 書店ではやりませんが、自分の蔵書はつい。
 昔、鉛筆なめていたのは、何の意味があるのか解せません。

122 名前:杉の子堂:2007/06/20 09:03 ID:afOW/Ysh7c
■街頭有線放送

 昭和42年2月1日(水)から街頭有線放送が湯沢地区一円ではじまりました。
 配線延長10km、75個のスピーカーが設置されました。
 そもそもは、事故防止を呼びかける交通安全のための設備ですが、防犯、災害情報
 停電、水道の断水などの情報提供にも利用されたようです。
 (設置者は、湯沢市商店会さんで、費用は230万円だったそうです。)

123 名前:杉の子堂:2007/06/21 09:33 ID:X2qgMPO2rQ
■ドブロクシリーズ@

 昭和40年代のはじめ、ドブロク醸造愛好家と税務署の取り締まり官との
熱い闘いがくりひろげられていた。

 「あとを断たぬドブロクー道遠い王国返上」
 密造シーズンは秋の取り入れ時期からで、高げゼンコだして買うより、造った
 ほうが安上がりだー。

 今年は、皆瀬産をいただきました。けっこうなお手前で。

124 名前:スナドリネコ:2007/06/21 11:24 ID:I9EwdHBVOI
昔は、村の麹屋に税務署が来ていましたね。
うちでは、山にどぶろくの瓶を隠していたと言います。
当時は、作る人が醸造愛好家とは言えなかったのではないですか(笑)
今なら、醸造愛好家くらいしかどぶろくを作ろうなどと思わないと思います。
作るのは結構めんどくさいですし、お酒は買った方が安いですからね。

125 名前:杉の子堂:2007/06/23 06:19 ID:3VcdRWdwmk
■摘発を巡る攻防戦

 大家さんの言うように大切な原料を提供する「麹屋」は、税務署にとって要チェック
 だったようです。
 あとは、酒の小売店も。酒好きのオヤジなのに酒を買わないのはおかしいとか。
 取締官は、「いんぺかまし」と呼ばれていました。
 私が知っているT・Kさんは、自身一滴も飲まないのに、最高峰の技術をもって
 いました。その名酒を飲みすぎて倒れた人を知っています。私ではありません。(笑)

 

126 名前:杉の子堂:2007/06/23 06:32 ID:3VcdRWdwmk
 ■少年剣士

 チャンバラに使う愛刀は、少年剣士にとって武士の魂でありますから、
 自分で作りました。
 棒の柄にあたる部分に、短い棒切れを釘で打ちつけ鍔の出来上がり。
 大小2本差しの剣客もいました。

127 名前:杉の子堂:2007/06/24 06:06 ID:ju050nXXJw
■ドブロクシリーズA

 ドブロク愛飲者が減少した一因として、出稼ぎ説があります。
 つまり、出かせぎ先で清酒を飲む習慣がついてしまったというもの。
 しかし、常飲者にとっては、あのこってりした飲み口が最高とのことですなー。
 秋の取り入れ時期が終わると正月用の仕込が。あくまでも昔の話ですよ。

128 名前:杉の子堂:2007/06/24 06:15 ID:ju050nXXJw
■学生帽

 私が子どものころは、小学生から高校生まで学生帽を被っていました。
 今でも、小学校と中学校の帽章のデザインを覚えていて、即座に描くことができます。
 冬用の布地はラシャでした。
 中学のときは、白線が2本入っていました。
 マンガ「サザエさん」に出てくるアイスキャンデーを売ってバイトしている大学生も
 被っていましたね。
 

129 名前:杉の子堂:2007/06/24 18:40 ID:ju050nXXJw
■酒のオートコーナー

 昭和42年の秋田市の広告
 「酒コなら丸丹銘酒オートコーナーへ 一日の疲れをいやす」
 秋田駅前金座街
 実は、このオートコーナーが、かつて湯沢にもあったことを先輩から聞いています。
 未成年だったため、残念ながら利用したことがなく、話を聞いただけです。
 コインを入れると酒が出てくるそうです。たぶん、60歳以上の酒が好きな人は知っているかも。

130 名前:わっぱが:2007/06/25 00:27 ID:ljlPxxVLsk
>■街頭有線放送

 大昔からあったように思ってたら、そんな大昔でもなかったんですね(といっても40年前ですか)。
 湯沢の「かまくら」=犬っこ市・お堂ッコまつりが、「犬っこまつり」として観光イベントとして
再生したのが、昭和39年2月といいますから、
厳寒期の2月に開通したのは犬っこまつりなどのカラミがあったのでしょうかね。

 昔は市のお知らせで頻繁に使われていたと思います。
 40年前の230万円ですから、今ならその10倍2000万円以上の大事業ですね。
 (それでもコンクリ使う事業よりは安いか)

 今はADSLがあるので、電話線さえあれば、オフトーク通信テレビとか、
常時双方向「有線放送」が、安く・簡単にできますね。
 もしくは、町内に1個・無線LANのHotspotをおいて、全世帯にPSPを配るとか。
 枕元や、炊事場に、PSPをいつもお供に。とかね。

131 名前:わっぱが:2007/06/25 00:33 ID:ljlPxxVLsk
 ドブロクをめぐる攻防はあちこちで展開されてたようですね。
 田舎だと、農機具小屋の屋根裏とか、土に埋めてた、とかがあって、それでも見つけたといいますから、
取り締まる側も相当の本気だったみたいです。

 なので、昔、村の入り口に門番がいて、税務署(らしい人)が来ると、
「ゼムショ来たどぉー」と触れを出したそうです。

 なんにしても、飲むときは、浴びるほど・有るだけ・全部空ビンになるまで・
タヤネグ飲み明かしたおやじども・ジサマどもが沢山跋扈してた時代の話です。

132 名前:杉の子堂:2007/06/25 08:49 ID:Hn4jLwtU5g
■おはようございます

 ●「犬こまつりのうた」追伸
  かつて湯沢市掲示板に「犬こまつりのうた」について返信したことがありましたが、
  その際、あえて投稿しませんでしたが、この機会にちょことだけ。
  (当時は、広報も新聞も「犬こ」でした。話し言葉も「っ」音が希薄だったような気が。)

  作詞をした高橋喜八郎さんですが、実は心当たりがあるんです。
  私が知っている「高橋喜八郎」さんは、当時湯沢中学校で教鞭をとっていました。
  大野先生も、当時、湯沢中学校で音楽を担当していたので、偶然かな。
  でも、十中八九あたっていますよ。
  
  昭和42年1月26日(木)付け秋田さきがけ(広報にもあるけど)
 「湯沢市の犬こまつりの歌を募集」
  湯沢市の犬こまつりは2月16日行われるが、これを前に市では「犬こまつりのうた」
  の歌詞を募集している。歌詞の形式は自由で、2月6日まで、湯沢市内舘町、市商工
  会館内、湯沢市観光協会犬こまつりのうた係に応募すること。
  賞金は入選一点に5千円。

133 名前:杉の子堂:2007/06/25 09:03 ID:Hn4jLwtU5g
 ■摘発件数による不名誉ぶり

  昭和40年度に県内で摘発された件数は2,148件で、東北全体の半数
  を占めているそうな。(2位青森の2倍で、まさに独走体制)
  これは、もちろん全国一で、関東甲信越7県の総数を上回るそうです。
  県内のある部落では、摘発隊が現れると有線放送で警戒警報が発令されたそうです。
  まさか、そのために設置したものではないでしょうが。(笑)

134 名前:杉の子堂:2007/06/25 18:14 ID:Hn4jLwtU5g
■風化する遊技場の記憶

 昭和40年代のはじめ、清水町に遊技場があって店の前に停めた自転車が
 交通の妨げになるので「けしからん」「危ない」という新聞投書があります。
 (清水町にあったことは、まったく記憶にない。)
 昭和42年2月19日(日)に「失火のおわび広告」が。
 「17日当方の不注意により、災をおこし、市民の皆様ならびに近隣を
  お騒がせいたしましたことを………」
 湯沢市 浦町 モナミ会館(共栄商事)
 (中央通りにパチンコ屋があったことは記憶している。)
 柳町の栗駒会館は、手動の台で遊んだ。
 ●問題は栗駒会館の北側にあった「東京会館」です。
  経営者は、キム・エイケイという「とぼけた親父」。
  この親父が、なかなかで人を喰った男でした。

 客「おい、親父、入る台おしぇれ。」
 金「この台入るよ。」

 客「おい、親父、さっぱり出ねど!」
 金「玉が(穴に)入ると言ったけど、玉が出る(たまる)とは言っていない。」
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

135 名前:わっぱが:2007/06/26 00:49 ID:QUqiQCJhnY
▲「犬こまつりのうた」追伸

 「踊る いぬこの 目は優し」「むーかしーを いまに この ゆーざーわー」

 あの歌はいいですね。 犬っこまつりの時期しか掛からないのはもったいないです。
 市内の小学校の音楽の時間とかに歌ってみてもいいほどに、良い歌詞&良いメロディーラインです。
 かなりの計算を経たような・韻を踏んだ非常にテクニカルな詩でありながら、聞くと素朴さとゆかしさと親しみを感じさせますね。
 それにアレンジ(編曲)も裏メロディが琴のアルペジオ、人の声と琴が掛け合いのような感じで対位してるのがまた凝ってますね。
 これはメジャーコードですけど、マイナーコード化すると大曲の着物の有坂のテーマ曲ですな。(むかし飛行機で音楽を流しにきたもんでしたね)

 ヤフオクに出ててビックリです。
http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b75049850

 高橋先生歌詞に、大野先生作曲ですか。
 これも昭和42年ですね。この年にはずいぶんやる気のある観光課長さん(or市長さん)がいたんですねえ。
 確かに中央デパートが出来て2年目で、ますます柳町どおりの渋滞・混雑がすごくなってきた時期でもあります。
 羽後交通のバス・電車客と、南高・北高による学生文化の開花による、湯沢の黄金時代の始まりですね。

136 名前:杉の子堂:2007/06/26 07:25 ID:vabL.jtVH.
■社長が出るCM

 有坂といえば、社長自らローカルCMに出演していたことを思い出します。
 かつて、サンロードに支店がありましたね。
 (秋田版の「あの人は今」をやってほしいですね。)
 全国区で思い出すのは、ピップエレキバンの社長です。
 (ワシが出るとか言い出すと、広報宣伝担当の方もダメだと言えないのでしょうね。)
 でも、この2つは失敗作ではないと思いますよ。

137 名前:杉の子堂:2007/06/26 07:38 ID:vabL.jtVH.
 ■虫に悩まされた日々

 昔、市役所では各町内に殺虫剤を配布していました。
 配布された殺虫剤を行政員(市役所と町内のパイプ役)は、班毎に分けて配布するか、
 又は町内会費で人を雇って薬剤を散布していました。
 私の町内では、毎年人を頼んでやっていました。
 水で希釈した殺虫剤を背負い式の噴霧器に入れて、側溝に散布していました。
 あの芳しい香りが独特で、衛生的な気分になりました。
 (衛生的な気分て何なの。一人ツッコミ悲し。)

138 名前:杉の子堂:2007/06/26 07:56 ID:vabL.jtVH.
 ■女王が憤激

 しかし、下水道の供用区域が拡大してからハエや蚊がいなくなりました。
 私の母校である湯沢中学校(その後、家政学校として使用)は、汲み取り便所で
 消毒の香りがかぐわしい校舎でありました。
 そんな母校の体育館で、女王「美空ひばり」の歌謡ショーが開催されたのです。
 後で聞くと、トイレ臭が漂うような会場に「二度と来ない」と言ったとか。

 この体育館では、クレージーキャッツのショーを見ました。
 泊まりは、大町の柳沢旅館か高田屋本店でしたが、どっちだったか覚えていません。
 北高の体育館も、よく使われていました。
 商店街の売り出しで、歌謡ショーがよくありました。
 ほとんどは、昼の部、夜の部の二部構成だったね。
 近在からも、ゾロゾロ人が来て、開演を待つ人の列がありました。

139 名前:わっぱが:2007/06/27 03:59 ID:bM9dW3DNNk
 速攻の消毒のニオイ懐かし、ですね。
 あのニオイはン10年たった今も思い出されます。けっしていやなにおいでないです。

 あと、砂利道のあちこちを文明社会に変えていったアスファルトの敷けるニオイもすきでした。
 昔のバスの車内やエンジンのでぃぜる排気も香ばしい感じで、好きでした。

 歌謡ショーは、家政学校体育館、というイメージですね。
 山口百恵+藤まさきの組み合わせでした。そこでも同様のうわさを聞いたことがあります。
 靴を自分でたないで、ひらばに座って歌謡ショーを見るのです。
 テレビに出てる人がナマで見れる、ということだけで、超満員でした。

 考えてみれば当代きってのアイドルでも、湯沢くんだりまでドサを回らされてたことから、
芸能人も恵まれない人生を送っていたのだと思います。
 (実際、ひどかったらしい。フツーの奥さんの幸せがつかめてよかったですね>百恵さん)

140 名前:杉の子堂:2007/06/27 08:47 ID:KH2WILW/fo
■「湯沢まちなか歴史資源マップ」

 こんなタイトルのマップができたようですね。
 なになに、発行は「湯沢市都市再生モデル調査懇談会」で、協力が
 「ゆざわ井戸端会議」と「湯沢観光ガイドの会」ですとー。
 「どれどれ」、湯沢地区の見どころマップだな。(●●小路が表示されている)
 ほー!享保13年(1728)の湯沢のまちなみ&昭和8年の湯沢の
 まちなみがあるではないの。(杉の子堂推薦家並み)
 @両関酒造 A両関酒造第二工場 B湯沢酒造会館 C料亭石川 D桐谷呉服店
 E高久酒造の蔵 F蔵々(居酒屋)G雄勝郡会議事堂記念館 H力水 I旧高田屋旅館
 (湯沢駅前ー正確には高田屋分店だと思うけど) J上遠野家(内舘・旧士族) K三貴(中華料理店)
 L木村酒造 M木村酒造の倉庫(これは、旧高常商店<倒産>が設置した秋田県初、米の低温貯蔵庫の
 こと、そうすれば現在は木村酒造のものですか〜これだけで独立スレッドになる)
 N帯三支店の蔵(中井沢川「なかじゃがわ」沿い)
 26番まであるよ。蔵造りがかなり採用されていますね。
 疲れたので、とりあえず止めます。 

141 名前:スナドリネコ:2007/06/27 16:29 ID:UDa/Qxa8D6
そのマップ、すごい見てみたいですね。

昔は、家政学校に歌謡ショーなるものが来ましたね。
その後、羽後町の体育館などにも歌手が来てました。
今は文化会館があるから、学校の体育館とかは有りえませんけどね。

142 名前:杉の子堂:2007/06/27 22:50 ID:KH2WILW/fo
 ■そう来たんですよ

  普通、補助券10枚で、御招待券1枚のパターンでした。
  どうしても見たい人は、必ず商品買いますからね。
  売り出し効果抜群でした。

  朝の投稿は途中で切れたので、続きを。
  O太古(田町の飲食店) P旧京山合名会社 Q蔵、黒板塀(内舘と下町の境界・下町分)
  R京野家(上町の洋館) S山内家の門(下町) 21奥山家(吹張) 22旧奥山家(吹張)
  23奥山儀助商店(金時) 24旧瀧の音(田町) 25山内家(吹張・帯三)26愛宕町の一里塚

  番号は付きませんが、「湯ノ原の一里塚」と大工町の「藤兵衛清水」があります。
  最近、山内家が注目株ですね。帯三は呉服屋さんで、私がかなり大きくなるまで店をやって
  いました。もっとも、お客さんがいるのを見たことはありません。
  父親の話によると、若いころ北海道に移住したおじさんが、湯沢に帰省したとき
  帯三(山内家住宅)をみて、こんなすごい家は札幌では見たことがないと感嘆したそうです。
  湯沢の大きな商家には、必ず小作米を入れる米蔵がありました。
  何しろ、農地解放されるまで大地主でしたから。

143 名前:杉の子堂:2007/06/28 19:17 ID:PJlpuFNLXM
■列車からお金がバラバラと

 昭和42年2月の朝、湯沢の須川駐在所に中学生が次々と現れ、現金を
 届けたそうです。総額で57,000円。
 現金が拾われた直前に、下り急行「津軽」が通過していて、併せて給料明細
 も拾われていたため、列車からバラまかれたことが判明。
 落とし主は、トイレでしゃがんだ時、後ろポケットから穴の中に落としたもの
 で、昔の汽車は用心が必要でした。
 そういえば、穴の中からすごい勢いで流れていく線路面が見えていました。
 しかし、正直な中学生ですね。今でも、そうだと信じたいね。
 

144 名前:杉の子堂:2007/06/28 19:20 ID:PJlpuFNLXM
 ■副業が忙しくなり、しばらく閉店します。

145 名前:わっぱが:2007/07/01 17:06 ID:jt8Kjo5KhY
 正直な中学生のはなし、いいですね.
 湯沢旧市内の停滞振りの原因は、お屋敷に代表される「おぼっちゃま」感だと思います.
 増田、浅舞と親方衆のところも同様に沈滞し、新しく商業床を開いた十文字が栄えた、というのを思い出します.
 市長や市会議員が旧市内から出ないのも同様の理由かなあ.
 公家の位倒れとありますが、まきこまれるほうもたまらない気がします.
 (なんせうちは、田畑も山も全部なくなってしまったので.思えばジサマ以前のジサマがたは偉かった)
 大正ー昭和の好況で、ずいぶん贅沢したもんだなあ、と思います.(そんで昭和10年の恐慌から以来、カマキャシの家続出)

 結局、今の湯沢旧市内って、現役の給与以外の現金収入のツテがある家のみが残っている、といえるのかも(嫁さんの実家が在の「ある家」だったり、ジサマのジサマが買っていた財閥系の株の上がりで暮らしてるなど.県北がそうですよね)
 今の旧市街地の人口って、見た目で測れば、昭和40年の1/5になってると思われます.
 (表札残っていても、冬は仙台か東京のマンションで暮らしている多し)

146 名前:わっぱが:2007/07/01 17:07 ID:jt8Kjo5KhY
■杉の子堂さん、
 本業、おつかれさまです.
 復活されるまで、順々に辿って読み返してみます.

147 名前:杉の子堂:2007/07/02 19:04 ID:XIPIbRDSn.
■ORAブランド

 ほぼ毎日書き込みしているので、3、4日中断すると「しばらく」という感じになります。
 今回は、平成の領域に足を踏み込みます。

 今年の1月25日に地場産品創出コンクールの審査会が行われ、菊芋焼酎「太陽の花」と
 「了翁さんおやき」が最優秀賞に選ばれました。
 このあいだ、ある飲食店で「太陽の花」を試飲してみました。
 ママさんの話では、出入りしている小売店から1本置いてみてと勧められたとのこと。
 で、結論としては悪くはないです。(何か消極的な評価ですが)
 というのは、ほのかに甘みがあって、マイルドなので、たぶんスーパー左党向きではないかと。
 ただ、私のような「ナマクラ左党」はうまいと思いました。

 「おやき」は、物好きな母親が買ってきました。
 正直に言って和菓子に福神漬けをやや強引にドッキングした感じ。
 たぶん、苦戦するだろうな。

 このあいだの、「たんせ市」で去年開発した「こまち弁当」が売られる
 ことは知っていましたが、残念なながら行けなかった。

148 名前:杉の子堂:2007/07/02 19:19 ID:XIPIbRDSn.
 ■歌謡ショーの補助券と招待券

 昭和42年の5月に秋田県民会館ホールで「久保浩・三条江梨子・天知茂ショー」
 が行われたときは、こうでした。

 ●300円お買い上げごとに補助券1枚進呈
  補助券5枚で招待券1枚と引き換え

 想いのほか貨幣価値といいますか、私の金銭感覚がずれていました。

 今度は、当時、画期的だった新国道(湯沢バイパス)について調べたので投稿します。

149 名前:杉の子堂:2007/07/03 19:49 ID:e77ENlE.to
■新国道物語@

 昭和24年、湯沢町は県内12番目に都市計画法の適用地域に指定されたそうです。
 そこで、翌25年からから都市計画道路の整備に着手して、西松沢(愛宕町)から
 山田街道、前森公園下から平清水、駅通りから平清水新町までの2.45kmを
 合併後の昭和33年までかかって結びました。
 次回は、新国道難産する編です。

150 名前:わっぱが:2007/07/04 00:43 ID:kGySHziy6s
■ORAブランド

 始めるのは易く、続けるのは難し。まして、受賞作をフォローアップするのは更に難しいですね。
 それだけに、主催者側が、受賞後のケアがどれだけできるかが、無駄な予算づかいと批判されない要所だと思います。

 菊芋焼酎「太陽の花」は、今は変わりモノ焼酎がブームなので着眼点は悪くないと思います。
 もちろんポイントは変わった味とか変わった由来ということだけでなく、長く飲み続けられる「親しみ」かと思います。
 変わった味、では、最初の1回しか売れないですしね(残るインスタントラーメンとそうでない銘柄の差はまさにそうですね)
 焼酎の場合、基本が無味無臭(アルコール分はあり)なので、個性はつけやすいのですが、2度目3度目と買ってもらうためには、好ましい個性が必要になってくると思います。
 湯沢産で各地でも人気の「ブラックストーン」の場合、水で割った際のまろやかさが魅力のような気がします。
 個性的な焼酎でいえば、「百年の孤独」(琥珀色の焼酎)などは、程よいところで踏みとどまった点なのかな、と思います。桃色焼酎とか、強めの芋焼酎などは、飲むほうに覚悟と気力がないとなかなか手が出ませんし。
 「太陽の花」どんな味でしょうね。こんど試してみたいと思います。市民が1度でも試せば、万単位ではけますしね。
 甘みがあるとのこと。「銀紋」の甘口ぶりや、納豆に砂糖をかける土地柄からすれば、甘めというのは親しみやすさが出るかもですね。

151 名前:わっぱが:2007/07/04 00:43 ID:kGySHziy6s
 「了翁さんおやき」は、想像するに、了翁→福神漬けなので、福神漬け入りおやき、でしょうか。
 私はわりと甲州・信州に行くので「おやき」はポピュラーですが、秋田人には「淡白な饅頭」「肉まんでない何か」という感じかと思います。塩っぱ口・濃い口の秋田人の場合、味のない「皮」を食べるのが苦痛でしょうから、「皮」の部分に1ミリぐらいに裁断したガッコとか入れてるとアクセントになるかもです。

> このあいだの、「たんせ市」で去年開発した「こまち弁当」が売られることは知っていましたが、残念なながら行けなかった。

 なるほど、たんせ市では、「こまち弁当」出たですか。
 湯沢市内どこの旅館でも、昼用に詰め合わせてくれる、あるいは、一人暮らし老人向けの給食センターなどで、まとめて作ってくれるといいかもですね。
 いずれ、このまま高齢化が進むと、高齢者のみ世帯では火事が怖くて家事をして欲しくないという状況になるでしょうから、西小横にある給食センターを、小中学生のみのものでなく、湯沢市全体の高齢者向けの給食センターにする、というのはいかがでしょうか。
 比較して、朝と昼には、休閑状態になるでしょうから、その施設の空きを活用して、ローコストに高品位の弁当が作れる場貸しにしてもいいかもです。「福富」さんとか協力してけねがなあ。


152 名前:わっぱが:2007/07/04 00:56 ID:kGySHziy6s
■歌謡ショーの補助券と招待券

 うちの場合、電機屋ルートが多かったです。
 電化製品は価格が高いので、料金比例でなく、「テレビ1台で・・・」みたいな感じでした。その代わり、枚数は複数以上きました。
 昔は1型あたり1万円が1つの壁でしたので、19型という大型テレビの場合(今は大きくない)、20万円近い=現在価値で200万円ぐらいか?=のものになりましたので、当然のようにアンテナ設置無料(木造の家が多かったので旧市内だと室内アンテナでも映ったが)、ワイン色のビロード風の「テレビ掛け」つき、松下であれば干支の瀬戸物プレゼント・日立であればオウムのポンパくん人形付き。

 横手駅の操車場には、日立ポンパ号とかが来て、列車のなかが万博風の展示をしてた、とかも見にいったことがあります。
 コロムビアのレコード・ラジオ一体型ステレオ、ラジカセ(パディスコ)、テレビ(キドカラー)、ステレオ(LoD)と、隣近所ではなぜか日立製品が卓越していたので、ご相伴で何度か歌謡ショーのおすそわけに預かりました。
 おそらくテレビ1台につき、3〜6枚ぐらいくれたようでした。今思うと、テレビを買うキッカケづくりとして歌謡ショーは絶大な効果があったと思います。
 ただ、家の中の電化製品が増えるほど、出稼ぎの家が見る見る増えていったのはわかりやすい相関とはいえちょっと悲しかったです。
 農家の場合は、農協がローンを組んでくれるし、収穫直後は気が大きくなってるので、市街地の貧乏な地域(若勢のアパートが多かった)よりもラジオやTVの普及はわりと高かったと思います。しかも小さいのでなく、木の扉と木の足がついてて、ワイン色のカバーがついているアレです。
 ところで、昔のテレビとか冷蔵庫とか、カギがついてましたね。あれって、やっぱ貴重品だから、ということでしょうか?
 それとも、家長の許可なくして使わせない、という最後の抵抗への保険だったのでしょうか。


153 名前:わっぱが:2007/07/04 01:09 ID:kGySHziy6s
■新国道=湯沢パイパス
 なるほど。工事期間は昭和25年から昭和33年ですか。
 でも、ぶつきりだったようにも思います。
 中央デパートができた昭和40年ごろにも、羽後交通のバスのメインルートは旧国道で、一方通行の中央通りを東上して、桐谷呉服屋さんの交差点で右折、タジリ前のバス停に何台も渋滞してて、前の店でバスの切符を売ってました(町場以外では、バスの車内で車掌さんから買う)。
 まだ、北高の前の道路ができてなかったので、稲川行きのバスは、中央通りを直進、山田眼科の前を右折、次に松下医院の角を左折、中央グランドの北側を通って、湯の原の槻の木さんのところを通って、さつき町、山谷、岩の沢、児童公園前のスノーシェッド(トンネル)に至る、という感じだったと思います。
 新国道は、材木町から旧中央病院のあたりまでは道があったと思いますが、総合庁舎のあたりとか、桜どおりのあたりはいつごろ開通したのでしょう?
 北高前の道路が旧国道・新国道まで突き抜けたのは、昭和45年あたりだったでしたかねえ?
 力水の前のカーブの道も、あれが完成したのは昭和52年ぐらいでしたかね。しばらくガッコ山のしたのあたりにガードレールがあって、そこでテニスしてた記憶があります。

 とにかく、昭和40年代はまだ、砂利道とか土のタタキの道が多かったでした。
 国道もコンクリート舗装が主流で、その名残は、六郷バイパスのあたりで体験できますね。(丸石とコンクリによるスラブ舗装)

154 名前:わっぱが:2007/07/04 01:36 ID:kGySHziy6s
 金池(かないげ)とか内廓(うじぐるあ)、さつきちょう、とかがなくなって、佐竹町とか愛宕町とかになったのは何年だったでしょうね。
 最初は、「さたけちょお??」と違和感ありまくりでしたけど、今は逆に「さつきちょお、かないけ、って?」といわれる始末です。
 ましてや、裏町(うらまぢ)とか稲荷町(いなりまじ)とかは、知らない人の方が多いでしょうね。
 かくいう私も、友達とか親戚とかがいない町内名は分かりません。
 つい最近まで、おかだちょう、とか、どこだべ?という感じでしたし。
 カックイ沢山、とか、わからんですもん。

 小豆田。幸町とかも意外に駅至近なのですな。
 鶴館、両神ってのも、誰も地名として知らなかったけれぞ、いまや湯沢で一番、地価が高い場所になってしまいました。
 前囲(桜通り踏切のすぐ南)、赤土(大島通りの道の東側)
 タコちゃんがいる根小屋町も、住居表示として残ってるんですね。(佐竹町になったものとばかり思ってました)
 上町も内町に吸収されたかな、と思ったら一部残ってて、上町屋敷裏とかあるようです。

 ・・・というわけで、地図を見てると楽しくてキリがないですな。
 昔の地名はバス停に残っています(トロ橋とか)

155 名前:杉の子堂:2007/07/06 07:43 ID:Rusp/E3Gy6
■す・ご・い

 自分で店頭に古本を出しておいてなんですが、すごい投稿量ですね。
 感想、話題提供、提案、疑問な点・質問など内容が多岐にわたりますので、
 店主としては、主に質問と思われる項目について返信したいと思います。
 大まかに括れば、@都市計画道路「新国道線」と「湯ノ原線」、A住居表示関係
 になりますか。
 (とりあえず編)
 
     「でも、ぶつぎりだったようにも思います。」(そのとおりです。)
     「昭和40年代はまだ、砂利道や土のタタキ道が多かったでした。」
      (昭和40年のはじめころ、未舗装道路で難儀している新聞記事あります
       ので、改めて紹介いたします。)
     「カックイ沢山、とか、わからんですもん。」
      (これは、湯沢検定とかあれば、漢字検定1級並の問題です。
       これは、私の勘では山谷住宅(行政区・岩ノ沢)にある「字名」ですね。
     「小豆田。幸町とかも意外に駅至近なのですな。」
      (「小豆田」は、山田街道沿いの「中野」が圃場整備(土地改良)される時点で
        すでに宅地だったところが、虫喰いのように地名として残りました。
        「幸町」は「湯沢雄勝の地名」に誕生秘話が出ていた気がします。)
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

156 名前:杉の子堂:2007/07/06 19:58 ID:Rusp/E3Gy6
■了翁さんおやき

 これは、福神漬が入っているおやきですが、皮のもっちとした感じと福神漬けの
 パリポリとした食感、そして甘い皮と塩分のある漬物のバランスを絶妙と感じるか
 否かでしょう。私としては「うーん」。

157 名前:杉の子堂:2007/07/06 20:06 ID:Rusp/E3Gy6
■カギはガキ対策?

 テレビ、冷蔵庫のカギについては記憶がありません。
 唐突ではありますが、昭和50年代に乗っていたマイカーのアルミホイール
 が、盗難防止のためのキー付きボルトだったことを思い出しました。
 これはあきらかに、防犯ですが、カギ付き家電は家庭内ガキ対策でしょうか。
 昔のテレビジョンの宣伝に「チャンネルをガチャガチャ回すお子さんを叱るより
 故障に当社の製品を」というものがありました。
 

158 名前:杉の子堂:2007/07/06 20:16 ID:Rusp/E3Gy6
■新国道物語A 新国道の難関工区その1

 旧湯沢市が町村合併後の昭和29年7月10日に発行した記念すべき
 広報ゆざわ第1号に次のような記事が掲載されています。
 ●「未来の銀座 材木町平清水線に着手 都市計画地元の協力で着々進捗」
  昭和28年度事業分が出来上がり去る6月15日午後1時より現地で竣工式
  を行いました。
  (平清水側から前森公園方面を撮影したと思われる写真が載っていますが、
   田んぼの中にできたかなり広い農道という印象です。まるっきり田んぼ)

159 名前:杉の子堂:2007/07/06 20:28 ID:Rusp/E3Gy6
■新国道物語B 新国道の難関工区その2

 ●昭和29年度の計画は、材木町と平清水線を結ぶ市内中央部の最も困難な
  箇所に着手することに決定しました。
  工事費860万円のうち80%は家屋の移転補償費と土地買収費に支払はれます
  ので、道路の延長は100m前後と予定されています。
  (続く)
  湯の原線が旧国道まで開通したのは昭和48年の12月で、国道13号まで開通したのは
  昭和49年7月でした。
  御屋敷線については、次回にいたします。
 

160 名前:杉の子堂:2007/07/07 07:13 ID:bMD.E8C5gk
■新国道物語C 新国道の難関工区その3

 広報第1号で輝かしい将来像を謳いあげたわけですが、10月10日の
 第4号で早くも弱音がでます。
 ●「南新町・平清水線難行す」(難コースのシャレですか、す、すまんですのう)
  本文は「関係者としばしば交渉をなしてきたのでありますが、現在まで工事
  着手に至らず遅滞のやむなきに至り、降雪期を目前に控え担当課では焦燥に
  かられております。(昔の広報の文章は面白いね。)
  (途中省略)
  この路線の開通に伴い一変する交通の緩和と美観は都市形態の発展に大きな
  役割を果たすものであり、この際大局的な立場から特段の御協力を切にお願い
  いたす次第であります。」

  もう、何とか頼みますよという哀願モードあふれるひとコマですね。
  野口町における土地買収は、かなり難儀したとみえます。
  結局、完工は昭和34年になるのでありました。
  (続く)

 

161 名前:杉の子堂:2007/07/07 07:25 ID:bMD.E8C5gk
■新国道物語D 初代伊藤市長の心残り

 昭和33年5月15日の広報ゆざわ第48号で、初代伊藤市長は退任に
 あたり「山積する新市建設事業については、完成した事業があったにせよ
 都市計画道路、上水道事業等、未完成に終わったことは残念なことの一つ
 です。」と述懐しておられます。(無念だよー。)

 昭和33年に湯の原線の予算がつき、走り出したようです。少ないけどね。 

162 名前:杉の子堂:2007/07/07 07:32 ID:bMD.E8C5gk
■新国道物語E やっぱりないよ!

 昭和31年8月8日の広報ゆざわ第26号に七夕まつりの通行禁止区域
 と迂回道路の地図が出ていますが、駅前角「杉山ビル」から平清水新町
 「元の小林スポーツ」までの新国道区間が、スッポリ抜けています。
 (この年の七夕まつりは、11、12日開催で、まだ旧暦開催でした。)

163 名前:杉の子堂:2007/07/07 07:39 ID:bMD.E8C5gk
■みつけちゃいました

 昔の広報を見ていたら、歌謡ショーの写真をみつけちゃいました。
 ●昭和46年・第94回秋田県種苗交換会
  「連日人気を集めた演芸会場(家政学校体育館)」
  《種苗交換会だよ!ピンキーとキラーズ》TVカメラ入っています。
  キラーズ演奏中で山高帽なし。そうだよなー。

164 名前:わっぱが:2007/07/07 16:26 ID:XsQ9Exabxk
 すばらしい!
 ナイス情報満載ですな。
 resはおいおい。

165 名前:わっぱが:2007/07/08 01:10 ID:PMGQX5KPMc
■着てはもちろん眺めてむろん
>有坂といえば、社長自らローカルCMに出演していたことを思い出します。
>かつて、サンロードに支店がありましたね。

 おお、有坂、偉大ですね。
 あの飛行機でブーンと飛びながら、テーマソングを延々と流しまくってたのは
いつのことでしたでしょうか。(昭和46年あたりかな)

166 名前:わっぱが:2007/07/08 01:10 ID:PMGQX5KPMc
■湯沢中学(家政学校)校舎
 湯沢中学というと旧湯沢市街地の方々が一同に会した学校でもありますね。
 その校歌と楽譜は、鈴木邦夫さんのHPに張られています。

1.紫匂う 鳥海を
 遥かのあなた ふりさけて
 我等は競う 春と秋
 ああ風雪を 堪え凌ぎ
 勉学一路 励みゆく
 若竹 湯沢中学校

2.緑の風に 水光る
 雄物の流れ 清らかに
 我等は鍛う 身と心
 ああ双肩に 国興す
 理想を担い 進みゆく
 若駒 湯沢中学校

3.茜の雲に 昇る陽に
 希望の翼 うち振りて
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

167 名前:わっぱが:2007/07/08 01:11 ID:PMGQX5KPMc
 鈴木さんのHPでは、湯沢ナショナルのお父さんと同級生で相撲をとってた、とかいうエピソードもあったように思います。
 鈴木さんのHP愛読しています。
 湯沢人なら読もう。共産党支持者であっても朝日新聞読者であっても。エセ右やネットうよの人は怒りそうだから見ないほうがいいぞ。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2004/shuchou0216.html

168 名前:杉の子堂:2007/07/08 17:34 ID:sH/RdB1dQ6
■鈴木さんのHP

 紹介状がありましたので、はじめてみました。
 でていますね校歌。
 「わかたけ、ゆざーわちゅうがっこう」
 が
 「わかたけ、ゆざーわみなみちゅうがっこう」
 ということで
 「みなみ」ちゃんが入るとかなり違う感じですね。
 今日はパワーなくROMモードです。

169 名前:杉の子堂:2007/07/09 04:59 ID:TTGFxMWWHc
■新国道物語F ひどい泥とデコボコ

 昭和42年ころの話ですが、新国道は幅15mから18mに拡幅改良工事
 が施工されようとしていました。
 ところが、またしても家屋移転が多くなかなか工事が進捗しませんでした。
 改良工事を行ったものの、砂利を敷いただけのデコボコ道で雨の日は、毎日のように
 泥を浴びる人が出たようです。
 「早く改良工事が出来ないときは、簡易舗装か防塵舗装くらいすべき」と
 市民から不満がでましたとさ。
 建設省湯沢工事事務所の弁
 「舗装までできるかどうかは、本予算が決まらないと…」

170 名前:杉の子堂:2007/07/09 05:09 ID:TTGFxMWWHc
■新国道物語・完 新新バイパス要望

 このように大難儀して完成した道路ではありましたが、昭和50年には
 平清水町内会から「一日も早くバイパス新設を」との陳情が市議会にあり
 採択されています。
 まあ、採択されれば国や県の関係機関に要望する訳ですが、あまり効果はないですね。
 とにかく、交通量の飛躍的な増加と深夜の騒音は沿線住民悩みのタネ。 

 

171 名前:杉の子堂:2007/07/09 05:20 ID:TTGFxMWWHc
■両神

 両神は、湯沢地区の「山ノ神」と倉内の「才ノ神」を圃場整備したので
 両神になったと記憶しております。
 昔の清水町は、ほとんど「字山ノ神」だった記憶があります。
 材木町は「字清水尻」、千石町は「字石名塚」、愛宕町は「字東松沢と西松沢」。
 
 

172 名前:杉の子堂:2007/07/10 08:10 ID:nAHbeL0QPU
■御屋敷線物語@

 昭和35年3月に湯沢総合計画が策定されましたが、「街路の追加及び変更」が
 計画の大きな柱になっていました。
 ここに、都市計画道路「御屋敷線」誕生の原点があります。
(この総合計画で策定された街路については、かなり実現しています。)

 次回は、すんなり実現しなかった御屋敷線について、住民側と市役所側
 の言い分を紹介します。

173 名前:杉の子堂:2007/07/10 08:23 ID:nAHbeL0QPU
■湯ノ原線番外編・大工町通学路に信号機が

 昭和50年6月15日広報ゆざわ第439号に出ていました。
 大工町通学路は、湯ノ原線が開通して交通量が激増し、横断する
 東小学校や北中学校の児童生徒が危険にさらされていた場所だった
 とのこと。
 (東小学校PTAの校外部のみなさんが、湯ノ原線大工町交差点の
  交通量を4日間調査したところ、30分で平均490台の自動車
  が通行することがわかったそうです。
  子どもの安全を願う、この熱意が公安委員会を動かしたと思います。)

174 名前:杉の子堂:2007/07/10 08:34 ID:nAHbeL0QPU
■街頭有線放送・場外編

 昭和50年に招集された市議会一般質問で、
 「街頭有線放送区間の拡大を望む声があるが…」と市議。
 当局の答弁は「何分、商店会の所管のことで…」

 商店会で設置したことをわかっていて質問する市議も市議。これは場外でしょう。
 ちなみに、市議会の議事録は永年保存のはずなので、見識ある発言に留意しましょう。
 おっと、俺も場外。

175 名前:杉の子堂:2007/07/11 08:43 ID:l5LgGsiamE
■御屋敷線物語A 市議会に反対の陳情が

 計画が具体性を持ち始めた昭和48年の6月市議会に道路建設に反対する
 2件の陳情がありました。
 ●金池住民36名
  @16m幅の道路は不要 A中央公園の遊園地としての目的が損なわれる
  B市民広場が道路建設によって危険 C事前説明がなく、地元の意見が反映
  されていない
 ●日本キリスト教団湯沢教会代表ほか700名
  交通混雑により幼児教育の環境と市民いこいの風致地区を破戒し、交通公害
  をまねく。即刻計画を中止してほしい。

  この陳情は議会のたびに継続審査となり、昭和50年の6月議会で新たに参入
  した反対陳情ともども、3件がまたしても継続審査になったとさ。
  ●秋田県教職員組合雄勝支部
   反対理由は、湯沢教会とほぼ同じ

  さて、この3件の陳情は昭和51年9月議会で姿を消します。
  採択、不採択、継続審査のいずれでもないので、たぶん取り下げ。
  最初に陳情してから3回も花見をしているんだから、すごいね。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

176 名前:スナドリネコ:2007/07/11 11:53 ID:..XlPPunLc
うちではテレビを買ったときに、東京オリンピックの円盤投げの置物みたいな物をもらいました。
しばらくはあったのですが、すでにがらくたとなって捨てられたかも知れません。

鈴木邦夫さんが誰なのか、今ひとつわかりません。

177 名前:杉の子堂:2007/07/12 21:02 ID:8fj/3yBNco
■新国道物語・追録 並木通りの話

 今月できたばかりの「雪国62号」が手元にありますが、雪国文学会の同人で
 ある柳沢昭三さん(仕出し弁当柳沢のご主人)の随想には、懐かしい湯沢の原風景
 が随所にでてくるので、毎回楽しみにしています。(今回はお休みのようです。)

 そんな柳沢さんが刊行した随想集の中で「ばあちゃんの春遠からじ」に「どうして
 並木通り!?」の話が出てきます。
 ちなみに、俗称「並木通り」は、国道13号駅通りから中央通りまでの区間で、もの
 すごく難儀して完成した路線です。

 氏によると、小さかった頃から、前森や大工町には朝鮮半島出身の人たちがたくさん生活
 していたそうですが、昭和35年に帰国事業で北朝鮮に戻ることになったそうです。
 湯沢の地を離れるにあたり、何か記念になるものを残して行きたいとのことで、この区間
 の両側に銀杏の苗木を植えたそうです。
 ところが、その年は大雪で、除排雪作業などが原因で折れてしまい、春には数本になって
 いたそうです。
 そこで、朝鮮総連秋田県南支部の協力で新たに30本植え替えたそうですが、これも
 やがて1本も残らず枯れてしまったそうです。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

178 名前:杉の子堂:2007/07/13 05:50 ID:KvQkWfr8vI
■懐かしのTV番組・底抜け脱線ゲーム

 ロォート、ロォート、ロォート  ロォート、ロォート、ロォート
 ロォート製やくぅぅぅぅーーー。
 
 「底抜け脱線ゲェーム(パフパフ)、司会の金原二郎です。」で始まるこの番組は
 芸能人が底抜けチームと脱線チームの2組に別れて、ナンセンスなゲームに挑戦し
 勝敗を争うものでした。

 おバカゲームのネーミング&内容を紹介します。
 ●「突破ジージョ(トッポジージョ)」
  巨大なネズミ捕り器の中に入り果物をゲットして出てくる

 ●「足引つくリーグ(パシフィックリーグ)」
  野球のグローブと足をメの字型にゴムでつなぎボールをつかむ

 ●「ぶつかり携行(ぶつかり稽古)」
  大きなウレタンを抱えてぶつかりあう。倒れたり土俵から出ると負け

 ほかには、メガホンを逆に顔につけて、床にひもでつくった迷路をたどり
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

179 名前:わっぱが:2007/07/14 02:55 ID:/l8IjHbnaQ
 底抜け脱線ゲーム、よかったですね。
 「ロッテ歌のアルバム」「スター誕生」「ラブラブショー」「紅白・歌のベストテン」「カックラキン大放送」「たのきん全力投球」「てんぷく笑劇場」
 「ずばり当てまショー」
 やっぱ「クイズグランプリ」から「スター千一夜」の流れが最高でした。

180 名前:わっぱが:2007/07/14 03:25 ID:/l8IjHbnaQ
■杉の子堂さん、御屋敷線物語、実に面白かったです。番外編も期待です。
>昭和35年3月に湯沢総合計画が策定されましたが、

 昭和35年というと、まだ湯沢駅にも特急が来てないころかなあ。
 旧国道も、国道とはいえ、まだクルマより人の行き来があったころですね。
 電柱があちこちに飛び出てて、実際、トラックのすれ違いも大変だったと聞きます。

 北高から市役所にカーブして駅前にいたる道路は、しかし、あの道が出来る前の姿を知るものとしては、実に残酷な道路に見えますね。古くは淡路屋敷があった場所でもあり、本来ならば市民の憩いの場所になるべきところだったのになあ・・・
 前森公園のなぞの町内会館&展望台と同様に、歴史を無視するものには未来が無いような気がするです。

■湯ノ原線番外編・大工町通学路に信号機が
 大工町交差点って、爛漫から両関に行くとこの信号機ですかね。
 あそこは、湯の原の南側・金池・北荒町・柳町のワラシたちの通学路でしたから(北高の裏通りも併用)、確かに子どもらには重要な場所でしたね。
 買い食いや寄り道の誘惑が多いので、東小では旧国道ではなく、1本、東の通り(やまの店で合流)を通学路として指定していました。
 よって、あそこの信号はあって当然、なければ飛ばしてくるクルマの餌食になるワラシが多発したことでしょう。

181 名前:わっぱが:2007/07/14 03:25 ID:/l8IjHbnaQ
あ、板ちがいでした。

182 名前:わっぱが:2007/07/14 03:27 ID:/l8IjHbnaQ
>■御屋敷線物語A 市議会に反対の陳情が
 新幹線延伸運動同様、いったい誰が要望してたんでしょうね。(やっぱ土建やだろうなあ・・・・)

 反対の陳情は実に至極当然の内容でありますね。(S48)
>@16m幅の道路は不要
 そう思います。しかも力水を見にカーブに駐車したり、カーブで歩行者が横断したり、だいぶん事故もおきているようです。
 交通安全のための拡幅が、逆に事故の増加を生んだ典型例でしょう。

>A中央公園の遊園地としての目的が損なわれる
>B市民広場が道路建設によって危険
 そのとおりです。あの道路ができて、中央グランドとガッコやまを何度も往復するような遊び方ができなくなりました。
 子どもの意見・子どもの遊び空間を無視するような町に未来があるわけがありません。
 一方、クルマを極力カットした増田の真人公園や、横手公園は子どもが駆け回っても安心ですね。

>C事前説明がなく、地元の意見が反映されていない
 まあ、いつものことですね。市役所も属している町内なのに、説明会を十分にされてない、という批判がでること自体、恥ずかしいことだと思わねばなりません。まして金池といえば、400年前からの旧家が軒を連ねている場所ですしね。

183 名前:わっぱが:2007/07/14 03:27 ID:/l8IjHbnaQ
>●日本キリスト教団湯沢教会代表ほか700名
>交通混雑により幼児教育の環境と市民いこいの風致地区を破戒し、交通公害をまねく。

 意図的か変換ミスか「破壊」ではなく「破戒」ですな。
 古くより、力水の付近は、湯沢のこどもたち全員の場所であったはずです。湯沢小学校があり、プールがあり、キリスト幼稚園があり、東西に小学校が分かれる前の湯沢のワラシは、全員、ものごころがつく前から、あそこで自由自在に駆け回り、泥ダンゴをこねて、ゴムとびをし、力水を飲んで夢のような日々をすごしていた場所です。
 まさに、湯沢の旧市内人の意識を共通化するエルサレムのような場所だったところのど真ん中に不要な道路を通して、こどもの遊びを急速に収縮させた罪は少なくありません。
 古くからの馬だし小路である、旧由利館から前森公園やまの店までの道路は、30年あれば十分に拡幅できたはずです。
 あそこを安全を保持したまま両方通行にしていれば、今の力水のとこの道路は不要だったと思います。
 北高方面から、時計回りに一方通行の2斜線幅の市役所を回る道路があれば十分にことたりたと思いますし、さらに、由利館のところから「さべん」までを昔のように道路にして通すこともありえたと思います。

>この3件の陳情は昭和51年9月議会で姿を消します。
>採択、不採択、継続審査のいずれでもないので、たぶん取り下げ。

>ようやく、昭和54年の6月議会になり委員の任期切れで審議未了ですと。
>つまり、廃案ですな。実質的には「不採択」と同じ結果に。  だから、今の道路があるともいえる。
>こんだけ、引っ張った陳情の取り扱いほかにあるんだろうか。やれやれ。

 うーむ、改めて書かれると凶悪なことやってますなあ。>湯沢市
 重要な案件も、ウダウダやってるうちになし崩しに・・・というのは、病院立地や、今の合併高校とかの議論にも通底するのかも。怖いですねえ。

184 名前:杉の子堂:2007/07/15 18:59 ID:Lh6b.kLyj.
■杉の子堂からのお詫び

 店頭に並べる本の執筆を「スピーディー勝山」さんにお願いして
 いますが、遅筆で催促しても受け流されています。

185 名前:杉の子堂:2007/07/15 19:19 ID:Lh6b.kLyj.
■懐かしのTV番組・ズバリ当てましょう(秋田放送TV、日曜日午後0時15分)

 昭和41年8月28日(日)の放送分は、ワイドショーの司会者グループ
 4組を迎えてのゲスト大会でした。
 @「木島則夫モーニングショー」の井上加寿子さんと栗原玲児さん
 A「おはよう!にっぽん」の小野清子さんと友竹正則さん
 B「11PM」の藤本義一さんと安藤孝子さん
 C「小川宏ショー」の木元教子さんと露木茂さん
  のみなさんでした。なつかすー方々ですね。

 ●底抜け脱線ゲーム・追伸
  「ベルリンはどいつだ」ー30個の目覚まし時計の内3個だけ鳴らし、それを当てる。
  三波伸介は●●●、鳳啓助は●●○で、ポテチンの勝ち。
  そのほかには、熱いお湯の入った湯たんぽをモモの上に乗せて我慢できなくなったら
  次の人にバトンタッチするゲームなど。
 

186 名前:杉の子堂:2007/07/15 19:55 ID:Lh6b.kLyj.
■湯沢駅にも、いよいよ特急が

 ●昭和40年2月15日広報ゆざわ第149号
  「やまばと(特急)の湯沢駅停車周辺町村の協力を得て実現運動に乗り出す」
  ・10月に行われる秋のダイヤ改正で、上野ー山形間の特急「やまばと」の秋田
   延長が確実視されているので、運動に乗り出すとのこと。
  ・湯沢市、雄勝郡、十文字町、増田町と期成同盟会を設置していること。
  ・やまばとの延伸は秋鉄局が長距離列車の混雑緩和のため昨年から計画していたこと。
  ・秋まで及位ー院内間に新たな信号場が設置できるメドが立ったこと。
  ・湯沢駅の乗降客は1日平均で7,000人、そのうち130人くらいが準急以上の
   列車利用客であること。

 ●昭和40年10月15日広報ゆざわ第161号
  「特急の初停車を祝う」
  ・湯沢駅開業60周年、特急停車記念行事は10月1日午後1時30分
   湯沢駅1番ホームで、第2つばさ運転手への花束贈呈、市長のハサミ入れなどが、
   小中学生450人による鼓笛隊、ブラスバンドの演奏の中執り行われました。
  ・午後2時から家政学校ホール(さつき町に移転前)で記念祝賀会。
  ・市役所前広場で市内幼稚園児を対象にミニSLの試乗会。
  ・この日、特急に乗車したのは17人だったそうです。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

187 名前:わっぱが:2007/07/15 23:21 ID:i9SAsHT/Bo
昭和40年は湯沢の盛り上がりの開始期ですね。
・湯沢商業高校が杉沢にできる。
・中央デパート開業
・国鉄湯沢駅に特急がくる
・犬っこまつりが観光イベントになって盛り上がる
・七夕の絵どうろうもますます巨大化

 西馬音内線のチンチン電車や、羽後交通のボンネットバス(まだ車掌がいたはず)から、周囲20km以上から、歴史上例を見ないほど、わんさか湯沢の町に人が集まりはじめてくる時期ですね。

188 名前:杉の子堂:2007/07/16 14:13 ID:V4l5G62OiI
■七夕まつりと雄勝線

 羽後交通は、(昭和41年8月)6日、7日の両日、湯沢市の七夕まつり
 に雄勝線の臨時列車を運転する。
 《上りの臨時列車》
  梺発午後7時、西馬音内発午後8時45分
 《下りの臨時列車》
  湯沢発午後9時20分ー梺着午後9時58分
  湯沢発午後10時45分ー西馬音内着午後11時13分

 ●雄勝線の思い出
  中学生のとき、郡市陸上競技大会の応援で三輪のグラウンドに雄勝線を
  使って行きました。
  私は、応援に行ったのか、オランダせんべい食べに行ったのかよくわかりませんでしたが。
  左に緩いカーブを描いて電車が湯沢駅から離れていくんですよ。  

189 名前:杉の子堂:2007/07/16 22:02 ID:V4l5G62OiI
■住居表示@

 昭和49年1月1日、かねて準備を進めてきた住居表示がスタートしました。
 この結果、実施区域から「字」表示がなくなり、私なんか単純に住所だけ田舎
 モードから脱出したような気分でした。
 逆に、由緒ある地名の存続を願い未実施区域となった「内舘」「荒町」「新町」
 などは、依然と同様に頭に「字」がつきました。(今日現在も)
(湯沢地区は、他の地区と違い「大字」がなく「小字」表示だけです。)

190 名前:杉の子堂:2007/07/16 22:14 ID:V4l5G62OiI
■住居表示A

 湯沢地区町内会の区域は、字が基本となっていたので、街区方式に移行するに
 あたっては、さまざまな問題が発生したようです。
 しかし、街区方式に移行しても町内会の区域は従来のとおりとしたので、
 住所と町内会の関係が、ものすごく分かりづらいものになりました。
 逆に、由緒ある地名が町内会の名称として存続できたケースもあります。
 (「内廓町」「金池町」「根小屋町」など)

 私の推測ではありますが、町内会も街区に併せて再編成する計画であったら、
 おそらく反対論が多数を占め計画は頓挫したと思います。

191 名前:杉の子堂:2007/07/16 22:24 ID:V4l5G62OiI
■住居表示B

 ●昭和46年7月 住居表示整備審議会の設置
          (いわゆる有識者といわれる名士のみなさん)
          地区委員の選任
          (町内会の代表選手、会長ですね。)
 ●昭和46年9月 町内別説明会
          (午後7時頃からやったようです)
 ●昭和48年1月 実施時期を延期
          (ホントはやりたかったようですが、区割り案の
           変更や町名の存続を願う陳情が多く、議会の承認
           が得られなかったのが実情)
 ●昭和48年9月 新住居表示案を議会が承認

  そして、現在の住居表示の原型ができました。

192 名前:わっぱが:2007/07/17 02:38 ID:9hr7vzlwbI
>梺発午後7時
 おお、梺で午後7時とは、すごい遅いですね。もう真っ暗。
 湯沢に泊まり覚悟だったんでしょうか(笑)
 それでも、湯沢発最終10:45ですから、9時について1時間は遊べるかな。

 きっとその頃は舗装道路も少なく、よって街灯も殆どなかったろうから、電車から川べりのホタルとか、星空が見えてたかもしれませんね。
 ゴトゴトと、暗闇のなかをのんびり走っていく、チンチン電車。
 なんか、銀河鉄道の夜、みたいですね。

193 名前:わっぱが:2007/07/17 02:44 ID:9hr7vzlwbI
 住居表示は昭和49年だったですか。
 オイルショック、狂乱物価の頃ですね。田中角栄さんかな。

 湯沢でもやっとこさ、豊かさが実感される時期で、実際、これから5年ばかりは就職難で結果として「地方の時代」とか「脱サラ帰農」とか流行った頃ですね。
 「んだ、湯沢もそろそろ近代化さねまねんだ」という気運があって、住居表示変更が実現できたんでしょうか。
 (まっさきに、オヤガダ衆が反対しそうな話ですが)

 でも、ほんと、昭和40年代は、パックス・ユザワーナ時代というか、本当に黄金時代だったと思います。
 その終焉の一端が住居表示変更だったりしたら、ちょっと呪術的ですね。

 町内の名前は、うちの場合、親族の屋号のようになっています。
 電話に出るときも親族の場合、町内を言ったりします。(なんか落語家みたいね)
 ・・・てことは、昔は地元就職・地元結婚が多かったんだなあ、と気が付くのです。

 町内会は、ちょっとしたイベントだけでもいいから、残って欲しいもんすね。

194 名前:杉の子堂:2007/07/17 04:11 ID:/T/XZylcgA
■町内PTAの衰退

 かつて町内会と町内PTAの共催で運動会などをやっていました。
 児童公園などを利用した小規模運動会でしたが、終了後、大人は
 ビール、子どもはお母さんたちがつくった料理を食べました。
 共催といっても、実働部隊はPTAで町内会長さんは名誉職的な
 実行委員長といったところです。
 他の町内役員の人は、意味不明な「参与」とか。

 ところが、子どもの数が減り町内PTAはすっかり衰退してしまいました。
 総会=役員会ですもんね。
 ということで、町内会も活力なくなるという図式ですか。
 でも、平均年齢が高くても花見や芋の子汁、清掃活動などで頑張っている町内
 もあります。
 この温度差は愛飲家の比率が大きく影響しているものと考えられます。
 とにかく、交流酒飲み会がキーワードですから。

195 名前:杉の子堂:2007/07/17 04:37 ID:/T/XZylcgA
■「広報ゆざわ」新聞記事に激似

 昭和41年に湯沢の大町交差点に初めて信号機が設置されたときのこと

 ●秋田魁新報(昭和41年11月11日)
  「初の信号機 湯沢市の大町かどに」
  湯沢市の大町かどに湯沢署管内で初の交通信号機がとりつけられ十日から正式に
  運用をはじめた。
  大町かどは国道十三号線と湯沢駅通り線が交差するところで自動車の通行が多く
  朝晩のラッシュ時には歩行者が道路を横断するのに苦労していただけに、「こんど
  は安心して渡れる」と喜んでいる。

 ●広報ゆざわ(昭和41年12月15日)
  「大町かどに初の信号機」
  市内の大町かどに湯沢署管内では初めての「交通信号機」がとりつけられ、先月十日
  から運用をはじめました。
  大町かどは、みなさんもごぞんじのように国道13号線と駅通り線の交差するところ
  で自動車の通行が多く、とくに朝夕のラッシュ時には歩行者が道路を横断するのに苦労
  していましたが、この信号機の完成で歩行者も安心して横断できるようになったわけです。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

196 名前:スナドリネコ:2007/07/17 10:50 ID:k4iAAHqz4w
明らかに、そっくりです。
昔は著作権とか、今ほどうるさくなかったですからね(笑)

197 名前:杉の子堂:2007/07/17 21:15 ID:/T/XZylcgA
■やっぱり

 これを偶然の一致と主張するのは、家のばあさんがカール・ルイス
 と競走して勝つことより難しいようです。
 ここまで、パクルとむしろ清清しい気もします。

198 名前:杉の子堂:2007/07/18 07:34 ID:0eE4TXkCNE
■「吉野や」で肉丼、「とん八」でホルモン

 かつて中央通りの北側に「吉野や」という食堂がありまして、そこで肉丼を
 食べました。(吉野家の牛丼じゃなくて)
 同じ北側の西に「天平」があって、天平の西に知る人ぞ知る、知らない人は
 知らないホルモン焼き「とん八」がありました。(ギャグも昭和でスミマセン)
 向かいの南側には移転する前の寿司屋「浜銀」がありました。
 とん八では、すべてのお客さんが「あんつぁ」と呼ばれていました。
 「あんつぁ、なんぼ(何人前)焼く」

199 名前:スナドリネコ:2007/07/18 09:03 ID:Slhr5CSu1w
浜銀は、昔は中央通りにあったのですか。
今の場所には、湯沢にいたときには良く行きました。
内装を改築してからは、殆ど行っていないんですよね。

200 名前:杉の子堂:2007/07/18 21:13 ID:0eE4TXkCNE
■特上を食べたのが最後

 まだ浜銀が中央通りにあった頃、最後に食べたのが特上でした。
 (貧乏な俺がどうしたんだろう?思い出せない。)
 結婚する前、妻に寿司屋のカウンターで好きなものを食べさせ、好きなものを
 食べていたら精算がとんでもない事態に。
 余裕の表情で払いましたが、しばらく立ち直れませんでした。
 (赤貧の青年時代に「今日は、ごちそう様」が重くのしかかった。)

201 名前:杉の子堂:2007/07/18 21:25 ID:0eE4TXkCNE
■預金ゼロの小切手帳盗み御用

 昔々、秋田市であったとさ。
 会社に忍び込み、机の中にあった小切手帳の2枚に印鑑を押して持ち出した男が
 金額を書き込み銀行で現金化しようとしたところ、残高がなかったため怪しまれ
 警察に突き出されたそうな。
 うーーん!間抜けなのか不運なのか。
 やっぱり、残高なかったら普通振り出さないので怪しまれるわな。                           

202 名前:わっぱが:2007/07/19 02:06 ID:JOQOo7zMwo
>■町内PTAの衰退

 なずがしんしな。>ちょうないかい

 町内にグランドがあったところは便利だったんしべね。
 家政学校(旧湯沢中学校)では、よく近隣の町内とか、宗教系の運動会やってました。

 とにかく、出れば、かっぱえびせんの10円袋、とか、鏡せんべいの小袋とかもらえるので、ワラシたちがよく出てました。
 (湯沢にもいろんな宗教の教会ありますけど、湯沢の場合、イベントやれば人が来るけど、肝心の教徒があつばらねくて大変みたいです。意外なほど寺の檀家意識&正月はしんめさんか愛宕さんにいかねどバジあだるべ。という家が多いようです)
 (でも、寺も神社も、けっこーお金かかるです。んだども「オッサン(坊様)」どが「ほいさま(神主)」に拝んでもらわねど御先祖さ悪りった気がするんし)

203 名前:わっぱが:2007/07/19 02:07 ID:JOQOo7zMwo
 確かに、町内会と子ども会の区別はねがったんしな。昭和40年代は、町内、振り返れば子どものいない家がなかったように思います。(3世代同居がデフォ。跡継ぎとか婿取りとか全然普通でしたし)
 柳町とか駅前、清水町、大町、田町なんかも、お店の裏とか、2階とかに住んでいる家が多かったので、商店街・飲み屋なのに意外にワラシがいたもんだんし。よく友達のどこさ遊びにいったもんだんしね。

>かつて町内会と町内PTAの共催で運動会などをやっていました。
>児童公園などを利用した小規模運動会でしたが、終了後、大人は
>ビール、子どもはお母さんたちがつくった料理を食べました。

 よく酒屋さんが現場まで酒いっぺたないで配達したもんだんし。
 ビニールでねくて、まだムシロの世界だったので、イグサの香りの上で、地球サイダー(懐かしー)ひとり1本あたるのが非常に嬉しかったです。(当時は、地球サイダーは湯沢のサイダーだったんですよね)

 町内には、こういうイベントが好きな親父さんらがいて、なんでかんで、細やかにダンドリ組んでました。
 今思うと、頭が下がる思いですね。子どもがいない年寄りのみ家も、町内会の行事だから、ワラシださンミャオノ買ってけれ、ということで頼まなくても寄付金だしてけだと聞いています。(なので、冬は玄関の雪かきぐれシけねばね)

204 名前:わっぱが:2007/07/19 02:08 ID:JOQOo7zMwo
>でも、平均年齢が高くても花見や芋の子汁、清掃活動などで頑張っている町内もあります。

 そうですね。なかなか大名行列の日には帰省できないんですけど、祭りの日に旧市内を散歩すると、まだ、あちこちの町内で、町内会館とか、みじばだのガレージとかで、焼肉しながら、冷酒っこ傾けている「町内会の埋み火」を目撃できますね。
 いろいろメンドくせごども多いんですけど、ここまで衰退してしまえば、うるさい年寄りも大人しくなっているので、もし湯沢に戻ることがあれば、積極的に町内会の飲み会・子ども会をシけたいと思います。

> この温度差は愛飲家の比率が大きく影響しているものと考えられます。
> とにかく、交流酒飲み会がキーワードですから。

 まさに。
 子どものイベントでも、紙でくるんだ一升瓶2本つなぎ、3本つなぎ、を持ってくる人多かったです。
 あまり酒飲まない家とか、ゴシュギどか進物でもらった一升瓶をここぞとばかり供出するので、タヤネ酒飲みにとっては激嬉しかったイベントだと思います。一升瓶から互いに茶碗こさ注ぎあって、水みんたにしてガハハと笑いながら飲んでました。
 とにかく、昭和50年以前の湯沢の地元イベントは、確実に、湯沢の酒消費量を伸ばしたと思います。
 まだ明るいうちから飲み始めて、裸電球つけて深夜まで飲んでましたから、1人1升くらい飲んでたかもしれません。
 あと、昔はそったに焼酎って飲まなかったですね。基本は「銀紋」+ガッコ+なしじげ+茶色くて指がべたつくさきいか。

205 名前:わっぱが:2007/07/19 02:33 ID:JOQOo7zMwo
>■「広報ゆざわ」新聞記事に激似
>昭和41年に湯沢の大町交差点に初めて信号機が設置されたときのこと

 おお、すごいっすね。つまりは、昭和41年11月までは、湯沢に「交通信号機」(昔はこういってた)ねがったんですね。
 
>大町かどは国道十三号線と湯沢駅通り線が交差するところで自動車の通行が多く

 ってごどは現旧国道がまだ現役の国道の頃ですね。あの角近くに「なかよし」があったんでねがったかな。
 とにかく、すごい数の羽後交通バスが、全てこの通りを通って、直進・右折してたんで、人とリアカーとクルマとバスが交じり合って、大変な混雑でした。特に日曜日はクルマの間に人が埋まってる感じでしたし。
 (大曲の月岡劇場の前なんかは、もう現在の渋谷センター街そのものでした。)

206 名前:わっぱが:2007/07/19 02:35 ID:JOQOo7zMwo
>昔は著作権とか、今ほどうるさくなかったですからね(笑)

 むかし、というか、レンタルレコード屋ができてパソコンが普及するまでは、著作権の概念自体が希薄でしたからね。
 コピー機も高かったし(なので普通はガリ板・青焼き)、カセットテープ60分も1本200円(現在の価値では2000円ぐらい)なので、聞かなくてもとりあえずダビング、ということが無かったです。

 今の新聞記事の著作権の運用からすれば、
・事実の羅列については適用なし
・ただし、語順や見出しについては、著作物性があると考える
・発言部分は著作物性がないが、別途、不法行為に抵触する(汗の評価=フリーライドの回避)
ということなので、
(1)見出しは変える → これはクリア
(2)事実関係は同じとしても、トラブル回避のため語順を変える →ここはあやしい
(3)不法行為に問われないため、「参考=(・・・)」などとし、営業上の配慮をする
 → 発言とかはないので特になし
・・・あたりかと思います。
--------------------------
「初めての信号機、大町かどに」
 湯沢市の大町かどに湯沢署管内では初の「交通信号機」が設置され、
十日から正式に運用されました。
 国道十三号線と湯沢駅通り線が交差する大町かどは、交通量が多く
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

207 名前:わっぱが:2007/07/19 03:08 ID:JOQOo7zMwo
>■「吉野や」で肉丼、「とん八」でホルモン

 中央通りは食い物やが多かったですね。
 1つには、中央デパートの魚館(?)があって、子どもづれでない人にとっては、大食堂は混むしちょっと客層に合わない、よって、なんでも食える食堂が歓迎されたんでねがな、と思います。今でも「おぎた」さんとか現役ですよね。中華そばから、うどん、ざるそば、カレー、カツどんなど何でもあります。(味も製法も昭和40年代のまま)

 「吉野や」さんて、2階もあるとこでしたっけ。サンというか、手すりが格子であって外が見えたりして。
 とにかく昔は親子丼や卵子丼がお気に入りでした。湯沢衆は肉が嫌いな人も多く、見てると、カツどんは1割、親子丼3割、玉子丼4割、麺類2割ぐらい、だったと思います。(値段と腹持ちでベストバランスか)(うどんて腹減るのよね)
 あんかけカレーがかかった、カレー丼という不思議な丼もあったような・・・・

 「天平」は憧れでしたね。今も昔もあげたての天ぷらの魅力に勝てる人は少ないです。塩つけて、あれで酒っこ飲んだらなんぼがウメがったでしょうか。それが適う前に無くなった様に思います。あとは、大丈裏・高久さんのとなりの「すてーきのさいとう」ですかね。当時は「ビフテキ」とか言ってました(憧れ=なんせナイフ使うんですよ)。牛肉は高かったです。

208 名前:わっぱが:2007/07/19 03:08 ID:JOQOo7zMwo
>ホルモン焼き「とん八」がありました。

 ホルモン焼きは、あのにおいが堪らないですね。小野崎医院の隣のお風呂やさんに通ってたころは、向かいがホルモン屋さんで風呂から出るたびに「ああ、オトナになったら風呂上りにここ通うぞ」と心に決めてましたが、これも無くなってしまいました。
 早い時間だと、墓場の角にあった照井の焼き鳥やさんで、鳥皮を1本(\10)買って食べながら帰ってました。(しかし墓場の前で焼き鳥というのもいいのかな?)(ここも今はやってないですね)

>向かいの南側には移転する前の寿司屋「浜銀」がありました。

 浜銀は入りやすいお店でした。
 新国道越えたすし屋さんは本格的なおすし屋さんでした(「一力(いちりき)」さん?)。
 今も山田一平酒屋さんの隣の松井寿司やさんが、キレイで新しいお店でがんばってますね。
 あと、秋田木工の工場(今はパチンコ)のとなりの飲み屋小路の「河童の川太郎」さんですかね。

 そう思うと、意外とすし屋さんて行ってましたね。貧乏だったけど(だから?)なんか良いことがあったり親族が来たりしたら、奮発してすし屋に行ったもんでしょう。(中央デパートは遅い時間やってないし、長時間、クダまけないしね)
 そんで、女子どもは先に家に帰って花火やってスイカ食って、オヤジどもはホルモン焼きやさんなどをハシゴするのでありました。

209 名前:わっぱが:2007/07/19 03:09 ID:JOQOo7zMwo
 浜銀の隣には甘味どころの喫茶部があったように思います。(中央デパート開店後の話。昭和49年前後)
 お汁粉、あんみつ、お団子などがメニューでした。推測するに、明らかに放課後の北高生狙いだったと思います。
 あの頃は、中央通りだけでも、喫茶店風やお菓子やが激増した時代でもありました。
 北高から、山田眼科、柳町交差点、小林スポーツまでの間に、ケーキや2軒(リスボン、モンドウル)、和菓子や3軒(わかさや、みやぎや、あと忘れた)、甘味どころ2軒、喫茶店3軒、駄菓子や、・・・きっとあの頃の北校生って、今の渋谷の高校生なみに、放課後のよりみちの楽しみがあったのだと思います。

 今も黒まる食堂をはじめ、赤いポスト、ちゃっぷりん、ラッシュライフなど喫茶店が残ってますが、あの湯沢の黄金時代の喫茶店・甘味どころの充実振りはすごかったと思います。どの家もそんなに裕福でなかったけど、一所懸命カシェで、娘を北高さへで、あのベレー帽かぶって写真とるのが夢だったんです。(南高には、今ほど女子は入ってなかったので)
 商業は遠ぎがったですし、昭和40年代は杉沢はお店は皆無でしたから、ちょっとでも遊びたい女子は北高志望でベレー帽でした。あとスキー部とバスケは自動的に北高でした。よく家政学校で野球してると、坊主あたまで山谷までランニングしていく北高のおねえさまがたを見かけたものです。実に熱血スポ根な時代でありました。(顧問は入江大先生)
 南高はジャンプ台ですかね。湯沢スキークラブ。商業の学生も飛びに着てたとおもいました。

210 名前:スナドリネコ:2007/07/19 09:52 ID:mif0dn7/x6
私が湯沢のお店に行くようになったのは、大人になってから、特に東京から帰ってきてから
なので、高校生の頃までは中央デパートとショッピングデパート周辺しか行きませんでした。
あの辺で買い物して、柳町からバスに乗り、中央通りには全くといって良いほど行きませんでしたね。
喫茶店はカトレアとかレアだったかな?
その頃は、他には行った記憶がありません。

211 名前:杉の子堂:2007/07/19 20:04 ID:sbpr6gSh4o
■柳町のバス停といえば

 おおー、柳町のバス停といえば「高安商店」さんの前ですか。
 このお店は、昔から営業していますから当時も同じかと。
「カトレア」は栗駒会館と同じSさんの経営ですね。
 私の頃は、高校生が喫茶店に出入りしたら、もう不良扱いでしたね。

 >浜銀の隣には甘味どころの喫茶部があったように思います。
 嫁さんは、高校生の頃、そこで「あんみつ姫」状態だったと申しております。
 たぶん、それがいけなかったのでしょう。

212 名前:杉の子堂:2007/07/19 20:25 ID:sbpr6gSh4o
■御先祖さま

 生ある者を導く仏教に、祖霊を尊び祭る風習が取り入れられたのは、日本人
 として、ごく自然なことのように思えます。
 ところで、いつになく墓掃除に行くと、墓地の花立てに枯れ果てたドライ
 フラワーが、そのまま放置されているのが目に付きます。
 (黄砂もすごいときありますが。)
 
 かえってさみしいですね。何かお墓が痩せてみえますね。
 地元在住の無精者は別として、生活の基盤が湯沢にない人は、本堂にお参り
 して帰るとき、持ち帰ったほうがよいかもしれません。
 なんか、実行しにくい話ですが。いつも、そう思います。 

213 名前:杉の子堂:2007/07/19 20:34 ID:sbpr6gSh4o
■現場配達王は外前森の斉為酒店さんだった。

 斉為さんに頼めば、現地まで酒を配達してくれたし、ケース入りのグラスも
 貸し出してくれました。
 今は、その種のイベントが激減したと思いますが、昭和の配達王だったと思います。
 お店の電話番号は、「酒は斉為2292」で今でも覚えています。

 ところで、最近は木村酒造の本醸造生貯蔵酒「秋田杜氏」にハマッています。

214 名前:杉の子堂:2007/07/19 20:56 ID:sbpr6gSh4o
■「ビフテキ」をテーマにモノマネ初挑戦

 地方から消えた〜美しい国笑い
 ビフテキ取り立て破壊生活どうかな弱者階級はカンコひろってホント?
 いかがですか〜 酒っこ一杯 よしやるか〜 
 著作権? ??…

 秋田杜氏で悪乗りしてしまいました。スミマセン。木村酒造さんゴメンナサイ。

 ビフテキを食べるのは、庶民のあこがれでありました。
 思えば、早くそういう身分になりたくて頑張ったのでした。

215 名前:スナドリネコ:2007/07/20 11:27 ID:Xet0Av7ZME
昔は、ごちそうと言えばすぐに連想されるのが、寿司とビフテキでした(笑)
子供の頃は食べたことが無くて、あこがれでしたね。
自分でお金を稼ぐようになってから、やっと食べることができました。

木村酒造のお酒は、地元よりも東京で評価が高いようですね。
元々は、大阪の陣で有名な木村重成の子孫だそうですが、今はナショナルだそうで、
ちょっと寂しいです。

216 名前:杉の子堂:2007/07/20 18:08 ID:usH0JmdBE.
■木村酒造の番頭さん

 ナショナル物産の経営になる前の福小町には、Kさんという古くからの
 番頭さんがいました。昔は、あちこちのお店に番頭さんがいたものです。
 元々は「福娘」だったのですが、上方の「冨久娘」と商標で争い、結果
 「福小町」に改めたと、何かの本で読んだけど忘れてしまいました。
 記憶の力が低下していて、思い出すのに一苦労です。

217 名前:杉の子堂:2007/07/20 18:29 ID:usH0JmdBE.
■大名行列に南新町初参加

 昭和29年の大名行列は、旧暦7月23、24日にあたる8月21、22日
 の両日、南新町が初めて格番町として古式にのって執り行いました。
 南新町が格番町として参加していたことは、子ども心に覚えています。
 (南新町の同級生が行列に出ていたから)
 いつ、南新町が戦線を離脱して、本来の外町5町に戻ったか不詳です。
 (昭和30年代のうちだったような)
 南新町は、湯沢駅が出来るまで百姓町だったので、新外町として参加しようとの
 地元の熱意があったのか、参加を要請されたものか?

 行列に参加すると、沿道のお店から「鉛筆」や「ノート」を抱えきれないほど
 貰うので、プレゼントを運ぶ家族が同伴することがお約束でした。
 (あと、団扇で扇ぐことと、ポータブルの腰掛)
 家には、知り合いや親戚からサイダーが届けられたりもしました。
 これらの品々には、赤のしを付けますが「進上」と書くのが慣わしでした。
 (これも、風化しつつあるでしょう。)
 

218 名前:わっぱが:2007/07/21 15:59 ID:ECJBHGNDmE
>高校生の頃までは中央デパートとショッピングデパート周辺しか行きませんでした。

 実際、むかしだったら、そこを1日に往復しえれば、同級生にもあうし、お金なくても楽しいし、そこで待ち合わせして自転車であちこちに遊びにいったり、と、「市民みんなの待ち合わせ場所」「ひまつぶしの場所」でしたね.
 川井書店とかも、参考書の売り上げがすごかったとおもいます.
 それに、この距離ならば、中央デパートから文具のとみやまでは、ほぼ1つのショッピングモールみたいなもんでしたし.
 なので、強烈な集客力があるお店が2,3個あれば、町の賑わいは違ってくると思います.

 私が商工会長ならば、ユニクロとしまむらを、大丈ビルに、無料で入居させます.
 1階=食品館、2階=しまむら/ユニクロ、4階=ダイソー&サイゼリア、屋上=プリクラ&ビアガーデン

219 名前:わっぱが:2007/07/21 16:03 ID:ECJBHGNDmE
>あの辺で買い物して、柳町からバスに乗り、
>中央通りには全くといって良いほど行きませんでしたね。

 中央通りは地場の人が多かったかもです.
 柳町はバスで降りた人、駅前通は西馬音内線の人、大町田町は行商の人.あたりですね.
 どちらかというと、中央どうりは夜も明るくて、飲み屋の含有率が高かったからだと思います.
 なお、田町もそうですね.飲み屋さん.

220 名前:わっぱが:2007/07/21 16:05 ID:ECJBHGNDmE
 「カトレア」と「はまぎん」わかる方がいてうれしいです.
 しかも当時、現役の学生さんだとは.

 学生さんも入っていいお店には、戸口に「カエルマーク」が貼られていたのは知ってましたか.

221 名前:わっぱが:2007/07/21 16:10 ID:ECJBHGNDmE
 みゃもりは広れんしがら.酒屋(さがや)さんもやんべあったんしな.
 花見時期には、そのような酒屋さんが出店を出していたと思います.
 酒屋ちょっけつなので、足りなくなればすぐに補充、お値段もリーズナブルだったと思います(なにせ、店から持ってきているのがバレバレですから、プレミアつけれない)

 今も、犬っこまつりだと、肉屋さんが鶏クシとかステーキ串とか出しますよね.

222 名前:わっぱが:2007/07/21 16:18 ID:ECJBHGNDmE
 福小町=木村酒造さん、創業1615年の大老舗ですね.
 ご先祖は、大阪夏の陣で豊臣秀頼の忠臣/木村重成の縁者とか(無明舎の酒の本から)
 それで、大阪から湯沢に逃れてきたらしいです.

 1722年には、蔵元自身がはるばる関西に旅して伊丹で技術の研鑽につとめ、1755年には杜氏を伊丹から招いて技術指導を受けた.
 また、1820年には、山形大山より杜氏を招いているなど、つどつどに技術研鑽に勤めているようです.
 蔵元が杜氏を行う珍しいぱたーんだそうで.

 以上、無明舎「秋田の酒蔵 −全体験ほろよいガイド(河本祐一)」からでした.

223 名前:わっぱが:2007/07/21 16:25 ID:ECJBHGNDmE
>南新町が初めて格番町として古式にのって執り行いました。

 そうなんですか.
 格番の負担は相当のものですから、5年に1回が、6年ぶりになるだけでも負担感の軽減は大きいのだと思います.
 今であれば、駅裏の住宅街あたりに格番をやらせたほうが、ワラシのあつばりがよくていいと思います.
 (もう、柳町にはワラシほとんどいませんから)

 小林スポーツから、解体されたマルトヨあたりまでは、今でも古い家が続いていますね.
 ざっと思い出しても、昭和30年以前からある家ばかりかと思います.
 途中には家人がいなくなった廃屋もあります.

 あそこを拡幅して明るいイメージにかえれば、場所は湯沢インターから湯沢駅を結ぶ道なのでポテンシャルがあると思います.
 あそこの途中のヤキトリやさんはよく行きます.

224 名前:杉の子堂:2007/07/22 15:44 ID:ECX.d6PaZ6
■もしかして

 >小林スポーツから、解体されたマルトヨあたりまでは、今でも古い家が続いていますね

 南新町が1本北側の通り(平清水新町ー清水町)になっているようですが。
 それとも、南新町とは、別口ですか。

 清水町のミートイトウの焼き鳥は、私も買います。
 (伊藤さんがやっている材木町の湯沢プラザ敷地の簡易店舗のほうが近いけど)

225 名前:杉の子堂:2007/07/22 15:58 ID:ECX.d6PaZ6
■製材所@ 材木町

 かつて湯沢は製材所の街でした。
 とりわけ「材木町」には、製材所が集中していたのです。
 甲州屋製材所(創業者が山梨の出身)、花立製材所、拡大製材所(旧ジャスコ)、大野製材所
 (現・薬王堂)、丸吉製材所(現・羽後交通営業所)、芳賀製材所(ロイヤルホテル南側)
 思い出すだけで、これくらいあります。
 「キーィィィーーン、キン」大型電動モーターを動力に電気ノコギリがウナリを上げ
 慣れていても、うるさかったですね。

226 名前:杉の子堂:2007/07/22 16:05 ID:ECX.d6PaZ6
■製材所A 子どもの遊び場

 丸太を積み上げていた土場(どば)は、ガキの格好の遊び場でした。
 製材所の人にみつかると、「コラァァーーア」と追いかけられて、
 蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、それでも懲りずにまた戻ってきます。
 
 危険だと叱ってくれたのに、いつも仕事の邪魔をしてごめんなさい。

227 名前:杉の子堂:2007/07/22 16:15 ID:ECX.d6PaZ6
■製材所B 運の尽き

 あるとき、丸太の上から思い切りジャンプして着地したらウン●を踏んでしまい
 ました。(どこの犬だ、こんなところに…人?)
 当時は、裸足にゴム製の短靴を履いていたので、足がウン●まみれ。
 光速で逃げ帰り、石けんで洗えど洗えど臭気が。
 (今は大丈夫です。)
 製材所のおじさんに首根っこ捕まえられるよりツライ思い出でした。
 
 

228 名前:杉の子堂:2007/07/22 16:24 ID:ECX.d6PaZ6
■製材所C完 オガクズ

 親戚の家ではオガクズストーブを使っていて、ものすごく暖かったことを覚えています。
 製材所からオガクズを運んで手間賃をもらっている人もいました。
 
 昭和38年12月15日の広報にゴミ焼却炉が雄物川沿いのし尿処理施設内に新たに
 完成した記事がありますが、市内製材業者の寄付金50万円でオガクズ用の炉を設置
 したとあります。ストーブ程度の消費じゃ追いつかなかったんですね。

 しかし、時代の波は、これら大小の製材所を自然淘汰し、昔日の面影は今いずこ。

229 名前:スナドリネコ:2007/07/23 11:55 ID:PdqafJY.iM
昔は、おがくずを固めて薪のようにした燃料というのもありましたね。
今もあるのでしょうか。
今なら、結構需要がありそうな気がします。

230 名前:杉の子堂:2007/07/23 15:11 ID:hV.9U.CM6.
■オガライト

 「オガライト」名前だけは聞いたことがあります。
 ちょっと検索したら経済産業省の「石油代替燃料」のリストに載っているですと。
 「21世紀オガクズの復権」でしょうか。

231 名前:杉の子堂:2007/07/23 19:30 ID:hV.9U.CM6.
■「盗難お見舞い」は初めて

 昭和42年3月26日の秋田魁新報広告欄に「盗難お見舞いお礼申しあげます」
 が出ていてビックリ。(「近火お見舞いお礼」はよくみるけど)

 「24日、当店において時計・指輪・ネックレスなど大量の盗難にさいし、
  皆様方よりお見舞いとはげましの言葉をいただき略儀ながら紙上をもって
  お礼申し上げます」というもの。

 広告主は、湯沢市駅通り 滑川時計店さんでした。(JAこまち湯沢中央支店の西隣)
 そういえば、かすかではありますが、事件の記憶があります。
 盗んだ貴金属の闇のルートとかあるのでしょうか。

232 名前:わっぱが:2007/07/24 04:23 ID:otMloH0qXU
 住居表示:

表町一丁目  南新町の一部、平清水新町の一部、清水尻の一部
表町二丁目  南新町の一部、平清水新町の一部、清水尻の一部、小豆田の一部

 おお、表町って、昔からあったように思うけど、実は新しかったんですね。
 南新町と平清水は昔から「わがじぇまち」ですね。

 おがくず捨て場では、よくカブトムシ掘ってました。
 家政学校の裏とかにもおがくず置き場あって、よく彫りにいってました。
 

233 名前:わっぱが:2007/07/24 04:42 ID:otMloH0qXU
 シナガワレンタン、オガライト、マメタンは耳になじんでますね。
 石炭は火が付きにくくて、それこそ石炭ストーブしか使い道なかったけど、練炭・おがらいと・マメタンはいろいろ使えましたね。
 オガ炭ってあったんですね。というか、オガ炭のことオガライトだと思ってました。

 で、旧湯沢市内の場合、生木(薪)が安かったので、やっぱモクモクけぶ立てて薪で風呂たいていました。
 アンカとコタツはマメタンでしたね。魚焼きは昔は炭、わりと早めに電機になったかも。

 いま、HDDレコーダーで「時をかける少女」見てます。
 アニメだけど(すまんす)面白い。筒井さんがほめたのもわかる。
 リメイクでも続編でもないところがいいかも。(結果として続編だが)
 ちゃんと少年ドラマシリーズしてる。

 このスタッフで、「赤い月」とか「謎の転校生」やってほしいある。

234 名前:杉の子堂:2007/07/25 00:54 ID:U6Cjh0Bex2
■杉の子二等兵ただいま帰りました

 杉の子二等兵ただいま冷酒パーティーから帰りました。ベロベロ。
 わっぱがさん、若干修正させていただきます。 

 表町一丁目  南新町の一部、平清水新町の一部、野口町の一部
 表町二丁目  南新町の一部、平清水新町の一部、野口町の一部

 町内名と地名が入り乱れホント分かりづらいです。
 南新町は、旧サンエーから湯沢駅までの駅通り南北両側の町内会で、
 国道13号の東側が南新町第一町内、西側が南新町第二町内です。
 昔流で言えば、上新地のことですね。
 同じ新地同士でも下新地の南にあるから南新町、東京に近いから上新地。
 
 下新地=平清水新町は、中央通り大堰の西側から清水町の踏み切りまで。
 東側から平清水新町第一、第二、第三、第四。
 ホント、それがどうしたという感じでスミマセン。

 自宅は鉄砲風呂、母親の実家は五右衛門風呂でいずれも薪でした。
 五右衛門風呂背中つけたら熱いーーーー!
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

235 名前:スナドリネコ:2007/07/26 11:25 ID:3itkbYD4ug
冷酒パーティーですか、湯沢周辺にいるときには券をもらったり、付き合いで
買わされたりして行きましたね。

昔、西小の付近の国道沿いに、五右衛門風呂の残骸がありませんでしたか。
車で通る度に、捨ててある物なのか気になっていました。

236 名前:元杉の子堂:2007/07/31 19:28 ID:7vqvnoL7nw
■大家さまへ

 3月ほどお世話になりながら、お礼のあいさつもそこそこに閉店し、大変失礼いたしました。
 今後は、湯沢市掲示板に退職したOBとして歳相応の自覚を持ち「目立ち杉」ないことをを念頭に
火縄銃より散発的に投稿しますので、御容赦ください。
 五右衛門風呂の残骸については、残念ながら記憶にありません。
 ちなみに、冷酒パーティーは毎回のように節度を弁えないため、撃沈しています。
 あげくの酩酊投稿を深く反省しています。免許取り消しでしょうかね。
 

237 名前:わっぱが:2007/08/01 02:15 ID:8/6XMUUX1g
■杉の子堂さん
 どうぞ、お気軽に、任意で開店してくださいませ。
 夏は、暑くて眠れぬ夜もあるので、昔の記憶が思い出しやすいですよね。

 ひねるタイプの裸電球(あんず球みたいな親子電球付き)に、緑色の蚊帳、みんじゃには粘着式のハイ取りリボンに、お皿にかぶせる網みたいなの、それに皿に入れてた殺虫菊とか。
 側溝からの消毒の香りなど、とにかく、夏はさまざまな香りのオーケストラみたいな感じでした。
 フシギと嫌な匂いではなかったですね。

 風鈴の音、遠くの花火の音、深夜の町に響く貨物列車の出発の汽笛と連結器のガチャーンという音
 窓を見れば、街灯の明かりも少ないので星がたくさん見えました。

238 名前:元杉の子堂:2007/08/02 22:46 ID:dh1nV1q5D6
■今日も酩酊・湯沢中OB

 今日は生ビールでした。どんだけー!このため、冷酒より軽度です。
 湯沢市掲示板をみていたら、せいろくさんの書き込みありましたね。
 ちょっと気になったので一言。やはり知ったかぶり病気です。助けてー!

 湯沢中学校は、東小通学区の生徒が北中に分離されてからも、西小通学区の
 生徒だけで、そのまま存続していました。
 (昭和27年生まれは、1年間だけ同じ校舎に東・西相乗りしているはず)
 昭和43年4月に三関中学校と名目統合し、その歴史に幕を降ろしています。
 湯沢中学校が誕生したのは、昭和22年のことで「学校教育法」が施行され、
 6・3・3・4制に移行したためです。
 意外と歴史短い。
 だから、新制中学は弁天中であろうが岩崎中であろうが昭和22年生まれの
 同い年なんですよ。
 湯沢雄勝校長会が作成した「湯沢雄勝教育百年史」は参考になるでしょう。
 やっぱり、グッタリしてきました。さいなら。

 省エネ型1ワット豆電球を付けたら、まったく役に立たなかった。(悲)

 

239 名前:わっぱが:2007/08/03 03:02 ID:C/B48MlUS2
 なるほど。
 北中=湯沢中(東小学区)+弁天中+幡野中+岩崎中
 南中=湯沢中(西小学区)
   →(s43)湯沢中(西小学区)+三関中
ですね。

 また、全ての中学校は新生であれば、昭和22年=1947年=今年で60周年ちうことですわな。
 卒業時は15歳なので、現在、75歳の人が第1期卒業生ですね。

240 名前:元杉の子堂:2007/08/03 08:10 ID:cgpBFDOtp.
■呉越同舟

 昭和40年ころの湯沢中学校は9クラスありました。
 東組5クラス、西組4クラスですね。
 同じ動物園でしたが、あえて同じ檻には入れなかったようです。

 小学校時代に老朽校舎でお互いにいがみ合っていた歴史があるからね。
 
 「東(西)の学校、ボロ学校、行っってみればクソだらけ!」ってね。
 また余計なことを書いてしまいました。(生活習慣病で要医療)

241 名前:スナドリネコ:2007/08/05 11:19 ID:e0ueGu0wrY
閉店だったのですか、てっきり仕事の方が忙しくてと思っておりました。
そんなに連発してネタが続くと言うのも難しいでしょうから、散発的でも投稿ください。
市の掲示板は、今後一般の人が投稿しやすい様になって欲しいですね。

242 名前:杉元:2007/08/05 17:24 ID:nQh/qIMJFg
■研究の日々

 ネタは、まず切れないですね。秋田魁新報ネタはまだ昭和42年段階で
今年のうちには、43年に移行できそうもありません。
 TV番組ひとつでも、相当引っ張れると思います。
 「広報ゆざわ」も重要な情報源で、各号の見出しを作成中です。
 見出しができたら、テーマ別に分類しようと思っています。
 「箱モノ編」とかね。
  「元杉の子堂」改め「杉元」にします。(我ながら馬鹿っぽい)
 

243 名前:杉元:2007/08/05 17:31 ID:nQh/qIMJFg
■開票作業

 御両所とも、開票を取り上げていましたね。
 そもそも、開票作業に従事する市職員は、ほとんどが投票事務にも従事して
 いるはずです。午前7時に投票開始ですから、早朝から起きだして深夜に及ぶ
 開票作業、もう早く終了させて帰宅したい想いはいかばかりでしょう。
 いくら時間がかかっても、次の日(その日ということも)は平常勤務のようです。
 もう、必死でしょう。

244 名前:わっぱが:2007/08/06 01:13 ID:3b.d/sxa9o
●杉元さん、おばんなんし
 まんずこっちはアラシも暴風もなく静かなものですので、
ゆっくりまいりましょう

 湯沢黄金時代である昭和40年前後は、実に興味深い時代ですよね
 特に、インフラがまだ出来上がっていない時代のことは既に自分でも記憶の向こう側に消えてしまっているので(アルツハイマーかな)、魁や広報の情報があると、糸口になって思い出される嬉しいです

245 名前:わっぱが:2007/08/06 01:23 ID:3b.d/sxa9o
●東小はウンコ色、西小はドンベ色
 前森公園の山の上にある東小はクリームがかった黄土色、西小は浅黄っぽい緑色ということで、別系統の色です
 というわけで、前森公園でよく行われた市内小学校対抗相撲大会とかでは、「ひっがししょーは、ウンコ色ー」という、小学生らしいほほえましい野次が西小のみなさんからよく飛びました
 それに対抗して、東小側は、当時流行した「水色は涙色」という唄のフシに合わせて、「にししょうはー、ドンベ色、それはホントなのー」とか歌ってました(アホですね)

 ちなみに当時は下水道なんか概念もなかったので、ほとんどのドンベはアオミドロとかで、緑色に染まってました

246 名前:わっぱが:2007/08/06 01:47 ID:3b.d/sxa9o
 謎が多かった新国道については、だいぶん杉元さんのおかげで
わかってきました.
 あとは、昭和38-40年前後に改革のあった「犬っこまつり」の経緯とか、
(インナーなお祭り+犬っこ市ぐらいだったのが、対外的な「犬っこ/お堂っこまつり」に転化した経緯など)
 当時はまだあそこに小学校があったので、グランドに全部あつめるというのも難しいはずで、各町内の広場に作っていたと思います

 あと、絵どうろうまつりが巨大化したのは、中央デパートができてから、と聞いています.(ということであれば、昭和40年以降)
 とすれば、昭和30年代以前の湯沢の七夕はどんなものだったのか、これも興味あるところですね

247 名前:わっぱが:2007/08/06 01:48 ID:3b.d/sxa9o
昔の絵どうろうはどんな大きさだったのか、電気がない時代には、やはりろうそくだったのか、笹飾りは3色を短冊にする形だったのか(これは京都風なんだそうです)
 いろいろ疑問がありますね

 大名行列は昔の写真が残っていますが、あまり風景として変わってない感じでした
 昭和初期のころから、子供が主体の構成だったようです

248 名前:わっぱが:2007/08/06 01:48 ID:3b.d/sxa9o
 それにしても江戸期の道具が散逸せずに残っているのは奇跡的ですね
 その奇跡の程度が、地元の方が気が付いてないのも面白い現象です.気が付いてないが故に残ったのかもしれませんね.
 (全国各地の大名行列は、マジな大名だったが故に、道具類は殆ど借金のカタに売り飛ばされて、もとのものを使っている例は殆どありません.
 湯沢の大名行列は、大名でない佐竹南家が、愛宕神社の例大祭のアトラクションとして、佐竹家どころか士族でない町衆に大名のマネゴトをさせて、自分が観覧する、という不思議な風習が今に続いているものです
 江戸時代からあったようで、本職の武士とのイザコザは絶えなかったようですが、逆にこの期間は大名行列の格番(町)の方が士族よりも格上になる、という特例があり、ケンカしたら士族(といっても御囲地町とかの徒歩衆ですが)の方が注意された、という話が残っています

 佐竹南家宗家は、家の前に御座所を作って、御神体を直座して待って拝んでた、といいますから、殿様が地べたに座って、町衆からなるパレードを迎える、という実に不思議なお祭りですね.本当にそんなことでいいんでしょうか(笑)
 しかも、南家、東京移転にあたっては、このお祭りだけは、各町内で工夫して残して言って欲しい、という文書まで残していますので、えらい力の入れようですね
 南家が、いかに愛宕神社への寄与が強かったかがしのばれるエピソードです
 まあ、お家の年俸が1/3に切り下げられた財政の大破綻を、偶然の院内銀山の隆盛でもりかえしたという状況をみれば、やっぱ神頼みになる気分はわかりますね

249 名前:杉元:2007/08/06 15:38 ID:.4CkCJWuNI
■犬コまつり物語@ 旧小正月行事ピンチ

 戦後、旧正月は「新生活運動」という大寒気団に包み込まれました。
 昭和32年12月9日に旧正月の廃止など4項目を運動目標にする新生活
 運動協議会が発足しました。
 会長に伊藤市長、副会長に花立市議会議長、役員には湯沢の名士が連なり
 市を挙げた組織体と言えます。
 もっとも、正月については、湯沢地区では大部分が新正月に移行していたよう
 ですが、農家の比率が高い他の地区では、やはり旧正月だったようです。
 明治5年に改暦されてからも、庶民レベルでは旧暦が大事にされてきたようですね。
 何といっても、農暦ですからね。
 女正月と言われた旧小正月も当然御法度。
 「この運動は、今や議論の時ではなく日本国中で唯一つ東北の一隅に取り残された
  旧正月地帯を、その土地の人が払い去るか否かにかかっている。」
 すごーーい。次回は、犬コ市の復活ですよ。

250 名前:杉元:2007/08/07 20:39 ID:/ZPUWbvsAA
■犬コまつり物語A 犬コ市の復活

 昭和42年2月17日の秋田さきがけに次のような記事が。
 「夢の世界に誘う 湯沢市で犬ッコ祭り」
 戦後、新生活運動で旧正月を廃止したことから、犬ッコ祭りも一時
 すたれたが、30年に観光目的で復活、年々盛んになっている。

 この記事には、一時すたれ復活したのを犬ッコ祭りとしてありますが、正確
 には犬コ市でしょうね。

 それを裏付けるように、昭和31年3月15日の広報に「湯沢名物犬ッコ
 市、去る23日(旧正12日)早朝からにぎやかに開かれた。」とあります。

 ということは、新生活運動が華やかな時期に、すでに復活していたことに
 なります。政策で衰退し、政策で復活した行事なのでありました。
 しかし、統一した表記ってないのね。

251 名前:杉元:2007/08/07 20:50 ID:/ZPUWbvsAA
■犬コまつり物語B 犬コ祭りの誕生

 昭和40年に発行された「湯沢市史」に次のような記述があります。
 「戦後生活の合理化運動によって一時廃れたが、観光ブームに乗って
  昨年より復活し、犬コ祭りを行うようになった。」

 また、昭和40年2月15日の広報に犬コ祭りについて「この行事は
 市観光協会が昨年復活開催し……本市の数少ない冬の観光行事として
 また子ども達の情操教育の一端もかねて、今後ますます盛り上げて行
 きたいものです。」とあります。

 以上、市の公式記録により犬コ祭りは昭和39年に誕生(進化)した
 のでありました。

252 名前:杉元:2007/08/07 21:26 ID:/ZPUWbvsAA
■犬コまつり物語C 市役所主導

 前回、湯沢市観光協会が復活開催したとの広報記事を紹介しました。
 湯沢市では、長年にわたり観光協会事務局長のポストに市職員を派遣
 していましたので、これは湯沢市役所が復活開催したと読み替えても
 よいのです。

 しからば、当時の状況を振り返りましょう。
 旧湯沢市では、昭和32年に「新市建設十カ年計画」を策定して施策
 を進めてきました。
 つまり、合併町村時代からの継続事業や課題を解決するのに10年かかった
 と見るべきでしょう。
 合併後10年間の歴史をみると、学校、公民館等公共施設の整備、道路、河川改修
 そして、橋の架け替え、建設事業のオンパレードです。

 しかし、これらも一段落し、昭和43年に策定された「湯沢市振興計画」の
 観光分野に次のような方向が示されています。
 「七夕、大名行列、犬っこまつりなどの保存行事郷土芸能の開発促進に努め
  ます」とね。
  西栗駒一帯の自然観光と行事観光を両輪と位置づけていたんですね。

253 名前:杉元:2007/08/07 21:38 ID:/ZPUWbvsAA
■犬コまつり物語D 中央公園広場

 初期段階では、町内の空き地利用又は家並みお堂っこ状態だったでしょう。
 私も、子どものとき自宅前にお堂っこと呼ぶのが恥ずかしい規模のものを
 造った記憶があります。

 中央公園広場の言葉が初めて広報に出てきたのが、昭和45年2月15日で
「ことしも中央公園広場で」とあります。
 昭和43年以前の状況を勘案すると、中央公園広場デビューはズバリ
 昭和44年と推測します。

254 名前:杉元:2007/08/07 21:47 ID:/ZPUWbvsAA
■番外編

 このように、お堂の制作は市役所の政策であったのですから
 心やさしい市職員は、極度の学業不振が心配で心ならずも
 動員されたB少年にラーメンの一杯もごちそうしてあげれば
 よかったのです。(できればチャーシューメンを)

 そうすれば掲示板は平和になったのでありました。(大笑い) 

255 名前:わっぱが:2007/08/08 08:53 ID:xwgPdiDKeU
 うーん、詳細な解説ありがとうございました
 今にいたる元少年の転びの構造まで言及とは恐れ入ります
 感想はおいおい仕ります

256 名前:スナドリネコ:2007/08/08 13:14 ID:RD2IlKvLF6
情操教育の一端だったんですか。
しかし、中には教育効果がなかった元少年も居たと言うことですね。
環境が人を作ることもありますが、多くは本人の資質ですから。

257 名前:杉元:2007/08/09 19:26 ID:rnJTEBvKGM
■えっ、本人の脂質ですか?

 お盆休み明けに、絵どうろう物語を投稿させていただきます。
 まずは、「地口とうろう」からアプローチする予定です。
 それでは、休暇モードに突入しまーす。
 

258 名前:わっぱが:2007/08/10 02:01 ID:MHGTE8mCzQ
 はい、休暇、ごゆるりと。
 個人的には、京都奥様の周辺あたり興味のあるところです。
 最大の謎=なんで摂関家の正嫡の姫様が、地方一支筋のところに興し入れしたか、ですね。
 久保田の本家の殿様でも恐れ多いことなのに(しかも姫様のおば様は将軍家ですぜ)

 今の私の読みでは、姫様が醜女であったことが遠因かな?とか
 古い古い記録では、京都輿様は醜女であったが、心優しく聡明で皆から敬愛された、とか書いていた文献があったかと思います。
 絵どうろうの由来にかかる人物なので、いつのまにかその形容はなくなりましたが、謎の回答の1つの説にはなるかと。

 もう1つの案は、南家はよく久保田宗家の代わりに、江戸や京都に行かれてたことに縁があるのかな、と。
 たまたま京都を散策していた南家の若様が、身分を隠した鷹司の姫様と出会い、姫様が強く気に入って、親父様など全ての反対を押し切って、はるか辺境の湯沢に降嫁された。とかいうもの。
 浪漫的ではないですか。(これなら良い物語になるよね)
 時は元禄ですもの。華やかなロマンスがあってもいいかもしれないし。

259 名前:わっぱが:2007/08/10 02:13 ID:MHGTE8mCzQ
 絵どうろうまつり、という形がいつ確立したかも興味の点ですね。
 以前、湯沢図書館や行ってた、七夕の関連図書展示の際に見たのは、将棋のコマの形や立体化した武者絵など、まさに「ねぷた」「ねぶた」系のものも混じってました。
 また、絵どうろうも、今の子供絵どうろうくらいの大きさしかなく、地味さでは今よりずっと地味の様子でした。
 あと、おびきゅうさんだかの記載で、七夕の灯篭を行くのをみた、とかあった記憶もありますから、まじで、ねぶたみたいな感じでやってたのかもしれません。

 江戸期では、京都奥様とその侍女らが京都風の七夕の飾りつけ=竹に3色の帯をたれ下げたもの=をしたのを見て、屋敷内、さらには、下々の町衆まで真似をした、というあたりでしょうか。
 このころのお日記の記載をみると、若様も町に出て芝居や相撲を見物して楽しんだり、町衆もそのために席を設営したり、という、ある種のデタント的な空気が流れていたようです(ちなみに財政はこのときも既に相当大変。後年、早世する跡継ぎが多く、石高が1/3くらいに大幅削減になった)

 京都奥様のエピソードでも、相撲ご高覧の際に、高家格式を取ったため、相撲側があわてて格式の仕切り直しをした、という話が残っています。
 家来集・町衆は誇らしげだったと思いますし、こりゃ大事せんとあかんなあ、と皆が思ったに違いありません。
 姑さんと、小安に温泉旅行に行ったり(総勢150名の大所帯)、お子さんが生まれたり、と、ひょっとするとホームシックで泣き暮らしている期間は短かったのかもしれません。
 岩明 均さんあたりに、ぜひ、コミカライズして欲しいところです。

260 名前:杉元:2007/08/15 19:20 ID:JcsuvJOF96
■謎の京都奥様

 事務記録簿である佐竹南家日記から結婚の理由や背景を読み取るのは
私の力では至難の技ですね。
(株)佐竹の湯沢出張所長に、なぜお嬢さんが嫁いだのか。年収も低く
町人金融からの借り入れさえあるのに、なぜお嬢さんを嫁に望んだのか。
 嫁を迎えるための支度金ですか、更に借り入れしているようですね。
 どうも、義安様のおっかさん(未亡人)が、かなり主導している気がします。
 かわいい息子のため、おっかさんがどこに出しても恥ずかしくない嫁を望んだのかも
 しれませんね。
 (株)佐竹専務取締役(家老)の渋江内膳殿も深くかかわっていますね。
 南家と親戚だからね。

 いずれ霧の摩周湖状態。

261 名前:杉元:2007/08/16 07:17 ID:2WuZfawo4.
■絵どうろう物語@ じぐちとうろう

 湯沢市史に次のような記述があります。
「…その後七夕祭りも進化して、明治年間にはそれに地口燈籠を加えて賑やかにし…」
 また、「目で見る横手・湯沢・平鹿・雄勝」にも、
「…かつては各家庭で青竹に短冊や吹流しをつけて門前に飾ったが、明治以後は地口
 灯篭をも下げられるようになり…」とあります。
(注)とうろうの漢字表記は出典原文による

 私は、この「じぐちとうろう」らしきものを子どもの頃みています。
 それは、大町のカクトトミヤさんが毎年出すものでした。
 地口とは、言葉遊びと理解されますが、絵が無くて何やらユーモア、ウイットそして
 エロチシズムにあふれた文章が書かれているのでありました。
 (子ども心に大人の世界が感じられました。)
 今は、残念ながら絶滅しましたね。
 瀬戸トミヤのご主人(故人)は、一風変わった人でしたね。店のトラックに赤いハートを描いて
 その中に「利一郎+敦子」とありました。敦子さんは奥さんでしょう。なんか目立ちました。    

262 名前:わっぱが:2007/08/18 02:25 ID:qHWZuN8AmA
http://www.kosho.or.jp/list/302/05912384.html
 地口燈篭ではgoogleでhitなかったですが、地口行灯(あんどん)では結構、研究成果があるそうです。
 文頭は、足立区立郷土博物館のものだそうです。

 主に秋祭りの神社の参道などに飾られていたもののようですが、とにかくお祭りの流れで飾られるようなものだったようです。
 西馬音内の盆踊りの歌詞も、まあ、地口っぽいものですね。

 セトモノの富谷さんにはよく行きました。昔はお使い物に食器というのはよくありました。
 今は100円均一で何でも食器が買える、というのは信じられない時代ですね。
 自分のお気に入りの飯茶碗を買うために、数日日参したとかありました。
 赤いハートのトラック、というのもいいですね。

 昔、昭和初期とか明治時代の七夕をみると、遥か頭の上に、タテ2m×ヨコ1mのような燈篭をつるしている感じでした。
 昔ですから、明かりはたぶんロウソクなんだったと思います。

263 名前:わっぱが:2007/08/18 03:41 ID:qHWZuN8AmA
 御日記以外の情報ソースが出てくるといいですね。
 豪農や肝煎の日記とかが見つかるといいんですが。

 湯沢の場合、七夕の短冊をつけるコヨリに、古文献が使われた、ということで、他より古文献の残り方が悪いという考察もありました。
 七夕の普及が、七夕の由来をマスクしたというオハナシ。

 湯沢が期待できないとすれば、家老家の渋江家や京都の鷹司家の記録が命かなあ。
 初代・渋江内膳のお墓は京都にあるとか。

264 名前:杉元:2007/08/19 03:00 ID:T9.0/WlhSU
■「思い出のアルバム湯沢」

 昔の写真を探しましたが、この本で一番多いのかなー。少ないですね。
 明治末期のものが1枚だけ掲載されていますが、本当に素朴ですね。
 今からすると、短冊や飾り物が少ないだけ、青竹の清々しさが新鮮な感じがします。
 最初は、もっと素朴なものだったと思いますが、宮中女官の雅が偲ばれます。
 大正期になると、ずいぶん華美になった印象ですが、絵どうろうのサイズとしては
 今の児童作品よりやや大きめくらいでしょうか。
 とにかく、「絵心のある素人さんが頑張りました」という風体で、絵柄が素朴ですね。
 昭和30年代以降は、美人浮世絵が主役になりました。
 
 スーパージャンボサイズは、湯沢サンエー提供作品が印象的で、ビックリしたものです。
 昔は、審査と関係なく、どの家庭でも青竹を買って出していたものですが、
 めっきり少なくなりました。
 今では、祝日に国旗を掲揚している家庭の数と同規模くらいでしょう。
 やはり、家に子どもがいないとねー。老夫婦ではテンション上がらないでしょう。

265 名前:杉元:2007/08/19 03:27 ID:T9.0/WlhSU
■武家のサラブレット「サタケオー」

 経済力はともかく、由緒正しいことでは、江戸期の大名にあってピカ一だと思います。
 南家は、陪臣であっても、名門佐竹の一族ですから。
 まさか、どこのサラブレットの骨ともしれない奴に、摂関家としてもね。

 なんかの資料で、「虚弱化した武家(大名)」というのがありましたね。
 代々、狭い範囲で婚姻しているので、虚弱化して繁殖力も低下したという説です。
 そういえば、世継ぎもいないのに早世したとか。
 わずかな人口の範囲で、婚姻を繰り返しているから当然かもしれません。
 系図見ても、直球でつながることはありませんから。
 まれに、繁殖力旺盛な種馬将軍とかいましたね。
 不自由な大名生活にあっても、本人が望めば、本人が望まなくても側室だけはOK
 だったようです。

266 名前:わっぱが:2007/08/20 06:19 ID:OIUjz.AYSY
 まあ、昔の七夕の写真は、下記にもありますね
http://www.kurikomanosato.jp/yuzawatanabata-2.htm

 絵柄は今よりもラフな感じです
 絵灯篭が巨大化したのは、中央デパート、それに、ショッピングデパート大丈の登場かな、と思います
 昭和40年代は、竹飾りも豪華になって、仙台のようなぼんぼりも多くなりました

 道幅が狭いほど、かつての七夕の風情がしのばれますね
 その点では、東京神田の神田湯沢絵どうろうまつりの方が、
かつての風情をしのばせるものがあります
 湯沢在住の方もぜひとも御一見を (来年は開催年.7月7日あたり)

267 名前:わっぱが:2007/08/20 06:34 ID:OIUjz.AYSY
 公家時代から、同一の家が保持されている点では、関東の佐竹家と対馬の宗家の2つのみが、現代にも連綿と残っている数少ない名家なのだそうです

 佐竹南家の系譜は、ご当主のHPに詳しいですが、2年ぐらい更新がないです
http://www.ne.jp/asahi/home/sata/index1.htm

 京都奥様が生きていた時代には、南家の御当主は短命な方が多かったんです
 だんな様とは幸せな日日だったようですが、没後は悲しいことが多かったようで心痛みます
 京都奥様は宗派が違いますので、お墓は清涼寺ではないです

268 名前:杉元:2007/08/20 11:14 ID:G/rmYA4Bsw
■絵どうろう物語A 広報からみた七夕

 ●昭和33年以前は旧暦開催
  新暦8月6、7日開催に移行したのは昭和34年のことで、それ以前は
  旧暦開催でした。昭和30年は8月23、24日ですか。

 ●「七夕絵どうろうまつり」は昭和39年から
  昭和38年までは「七夕まつり」でしたが、翌年から「絵どうろう」が入りました。
  一方、審査ですが、昭和37年までは、装飾・絵どうろうを併せた総合審査方式でした。
  昭和38年から一般と児童にわけた絵どうろう審査が独立したようです。
  
  昭和30年代後半は、犬コまつりと同様に市役所が観光に力を入れ始めた時期ですね。
  昭和41年の審査員は、市内高等学校の美術部の生徒さんにお願いしたようです。

269 名前:杉元:2007/08/20 15:55 ID:G/rmYA4Bsw
■絵どうろう物語・番外編

 雄勝中央病院の1階中央待合ホールに「鷹司の姫君」と題した2対の
 絵どうろうが展示されています。
 絵に描いたような美男美女カップルですよ。(笑)

270 名前:スナドリネコ:2007/08/21 13:36 ID:TTwvGUQOvw
昔は、仙台の七夕のような飾りも結構多かったと思うのですが、最近は少ない気がします。
絵灯篭に、力を入れるようになったからなんでしょうかね。

子供の頃は、七夕に行くと傷痍軍人の人がいたりして引きました。

271 名前:杉元:2007/08/22 08:49 ID:lg7AG6L2qc
■道路拡幅の影響も

 確かに飾り部門は昔からするとさびしい感じがします。
 昔は道路幅が狭かったので密度が高かったこともあると思います。
 そして、残念なことではありますが、出品する商店自体の密度も高かったのです。
 現在も装飾部門の審査があると思いますが、サングリーンや愛宕荘など福祉施設
 中心部から離れた事業所などが気を吐いていて七夕飾りの飛び地状態でしょうか。
 わざわざ施設まで見に行くことはないので。
 「七夕まつり」は、全国的に行われていますので、絵どうろうで差別化を図ったの
 でしょう。

 今年も、見物しましたが、祭りにどこか翳りを感じたのは杞憂でしょうか。

 いましたね。旧陸軍の戦闘帽又は飛行帽に白い病衣、そしてアコーデオンやバイオリンを弾きながら
 善意をお願いしていましたね。善意の箱は「更生資金」となっていたような。
 子どもの眼から見ても本当か疑わしいと思いましたね。

272 名前:杉元:2007/08/22 09:01 ID:lg7AG6L2qc
■食べてみたい

 昨日TVのニュースで県特産品開発コンクールが取り上げられて
 いました。
 そして、さきがけの朝刊をみると最優秀賞は「キャビとん」で、とんぶりを
 ハタハタのしょっつるで味付けしてキャビア風に仕上げた作品でした。
 私が注目したのは、数ある優秀賞の中で、あの進藤冷菓が開発した「ババヘラ・
 モナカアイス」です。
 モナカアイス大好き派としては、注目の一品です。

273 名前:スナドリネコ:2007/08/22 10:19 ID:tZ8rMLua12
モナカに、へらで入れてくれるのでしょうか?
ババがへらで入れてくれなかったら、すでにババヘラではないですよね。
ヨミーの、8月の特集アイスでババヘラが紹介されていました。

https://yorimo.yomiuri.co.jp/

もしかしたら、会員登録しないと見られないかも知れません。

274 名前:杉元:2007/08/22 19:14 ID:lg7AG6L2qc
■雨の日のババヘラ

 19日に所用で秋田まで行きましたが、雨の中で営業するババ発見。
 (私は、時間を金で買わないので、一般道利用です。)
 本人の心中を察することは出来ないのですが、ひたすらお迎えの車を
 待つのでしょうか。
 でも、あの天候ではアイスの気分じゃないね。
 どうにも気がかりでした。

275 名前:杉元:2007/08/22 19:29 ID:lg7AG6L2qc
■田町若者会

 田町若者会の会長名で「大名行列について」の文書が田町町内及び周辺町内
 に配布されたようです。
 @田町若者会では、昨年9月の七町会議反省会でで、大名行列保存会と七町
  会議に脱会届を提出した。
 A7月18日の(田町若者会の)全体協議会で、大名行列にかかわらない事
  に決定した。
 B2年連続の赤字、会員の減少、参加児童の減少が現状であること。
 C注連縄、(田町の)灯篭、余興、(行列の)編成表の配布を廃止するので
  御理解をお願いしたいとのこと。

 コメントは次回に。

276 名前:スナドリネコ:2007/08/23 09:01 ID:zgUn2uGjC2
そうやって、正式な手順を踏んで自分たちの意見を出すのは良いと思います。
やめるにしても、ちゃんと意思表示して話し合うべきですね。
現実では何も言えないでお金は払っていながら、掲示板に嫌がらせでは卑怯です。

277 名前:杉元:2007/08/23 09:02 ID:PeaI.qiRNM
■わぎゃもの

 わぎゃものと言っても、実際は結構年配者です。
 昔から、親から子、子から孫へと世襲制のように運営されてきましたが、加齢により退会しても
 跡を継ぐ息子がもう家にいませんから。配布された文書では「退会による会員の自然減少」と言っているようです。
 会員数が減少するから、残った会員の負担が増えます。
 若者が定住できないことに加え、少子で子どもがいません。
 こんな状況で、会員の新規加入は見込めないでしょう。
 経済的にも(文書では「若者割当金」と言っています)にも大変だと思います。
 
 田町ほどではないかもしれませんが、他の町内でも同じような実情だと思います。
 結局、負担感だけで楽しくない状況になってしまいました。
 歴史ある愛宕神社祭典の神渡行列、大名行列ですが、祭りを支えてきた町内若者会
 が地殻変動を起こしている状況で、現在のスタイルでは存続が難しいと思います。

 かつて湯沢地区における南の鎮守様として崇められてきた愛宕神社ですが、時代の流れ
 は、住民から氏子意識を奪ってしまいました。
 世の中の永遠不滅のものはありませんので、私はそれで良いのではないかと思います。
 市役所が行事観光と位置づけても、そもそも客を呼ぶための祭りではないのですから。
 それにしても、豚骨とタコ焼きごとき身の程知らずが僭越にも廃止論を唱えたり、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

278 名前:杉元:2007/08/26 03:58 ID:f7x49WpZdQ
■ばっけ焼酎

 甲乙混和で、一般には流通していないようですね。
 菊芋焼酎「太陽の花」も顔なじみのママさんに飲ましてもらいましたが、
 今回もやはりお世話になりました。
 早春の香りがありますね。
 ただ、最初から「ばっけ」と承知しているからで、いきなり飲ませられて
 「ばっけ」と言い当てられるか、ちょっと自信がないですね。

279 名前:杉元:2007/08/27 07:24 ID:iWfpgvB3.k
■ばっけ焼酎A

 一般に流通していないと書いたら、市内某スーパーにありました。
 1,050円で買ってしまいました。

280 名前:杉元:2007/08/28 19:01 ID:s1RHZvlJTA
■出張

 出張して掲示板にチャチャ入れたらドン引きされたようですね。
 こりゃ、余計なことしたしちゃったかな。
 何かエアポケット状態なんで、もう少しだけ投稿してみますか。

281 名前:わっぱが:2007/08/29 03:29 ID:mQek7DcU..
>■絵どうろう物語A 広報からみた七夕

 湯沢のまつりの開催日は、他の市町村同様、いろいろと変動があるようですね。
 本来の星まつりの趣旨であれば、旧暦7月7日になるのでしょうが、毎年日付が変わると分かりにくいので、1月遅れというイベントが多いようです。

>●昭和33年以前は旧暦開催
>  新暦8月6、7日開催に移行したのは昭和34年のことで、それ以前は
>  旧暦開催でした。昭和30年は8月23、24日ですか。

8月23日とかだと、ほぼ大名行列ですね。

> ●「七夕絵どうろうまつり」は昭和39年から
>  昭和38年までは「七夕まつり」でしたが、翌年から「絵どうろう」が入りました。
>  昭和30年代後半は、犬コまつりと同様に市役所が観光に力を入れ始めた時期ですね。

 たしか、湯沢の犬っこ市が、観光行事の「犬っこまつり」に変貌したのは昭和39年2月ですから、ご指摘のとおり、昭和39年に何か意欲的な市長とか観光担当がいたのは間違いないようです。

>昭和41年の審査員は、市内高等学校の美術部の生徒さんにお願いしたようです。

 そんな感じで、市民が主人公、学生さんも主人公みたいな演出はいいですね。
 復活してみて欲しいアイディアだと思います。

282 名前:杉元:2007/08/29 20:21 ID:b4rgZvXmcc
■撤退

 完璧にスベっているので撤退すます。
 原稿をあと3本くらい用意していますたが、いずれこちらで。
 ばっけ焼酎の消費に全精力を。オー!
 絵どうろう保存会のエースが入れ替わってから路線と言うか
 作風が大きく変わった気がします。当たり前ですけど。

283 名前:スナドリネコ:2007/08/31 10:33 ID:UHwi6D8Fn6
作風が変わりましたね。
私も絵の好きな人がいたんですけど、最近見かけません。
漢字二文字でしたが、名前は忘れてしまいました。
美人画の人でした。

284 名前:杉元:2007/09/01 08:17 ID:rBkrW2bySQ
■夏の風物詩

 絵どうろうは、さすがに描きませんでしたが、昔は我が家でも
小振りな青竹に七夕飾りをやっていました。
 毎年、中央公園広場に青竹売りが店開きして夏の風物詩でした。
(流れで文章が過去形になってしまった。)
 私は、観光行事というより地域に伝わる素朴な民俗行事として存続
してほしいと願っています。
 犬コ市もそうですが、観光行事化することで原点が見失われたような
気がします。
 

285 名前:わっぱが:2007/09/02 12:24 ID:fF8NPsov62
■大名行列考

 思えばユニークな行事ですね > 湯沢の大名行列

 江戸時代から続いていたとはいえ、成り立ちは愛宕神社の例大祭の「余興」
 しかし、「余興」というには、あまりに大掛かりでリスキー(なにせ格式が10万石というから、ご本家に知れたら無事ですまない)で、しかも祭りの資金は当然、佐竹南家でなく町衆がまかなったというから、ますます不思議なお祭りです。

 まだ十分に封建社会だった元禄時代のあたりに、町衆が武士の真似をして、道具立てもマネっことはいえフル装備で、さらには殿様もダミーというのは実に不思議な現象です。
 なんで、そんなお祭りが許されてたんでしょうね??
 京都奥様のお輿入れと並ぶ、湯沢の不思議の1つです。

 しかも、江戸期には淡路屋敷、明治以降は、南家ご一家も、ムシロに平座して「コスプレ大名行列」一向を迎えたといいますから、実に不可思議な光景です。

286 名前:わっぱが:2007/09/02 12:24 ID:fF8NPsov62
 江戸期には、久保田本家の直臣のいる上町以南(いわば南家と同僚=県庁職員)と南家直属の内郭以北(陪臣=市役所職員)と町衆(一般市民)の居住地にはそれぞれ木戸があったと聞きますから、祭りの日はそれぞれが開け放たれて、当然、ケンカがあちこちで起きてたとか。
 そんで、このお祭りの期間には、大名行列の格番町が士族より上位にあったという、これまた不思議な特別ルールがあって、実際に、御囲地町の士族と、格番の町衆の若い衆とがケンカしたら、格番衆はおとがめなし、士族の方が謹慎とかいう裁定だったそうです。

 というわけで、最初からコスプレ祭りで、しかも、町衆の若い衆のウップン晴らしの側面もあった様子も伺え、なんかお屋敷の借金の棒引きとバーターなお祭りに仕上げてしまったのでしょうか。
 ここのあたり、「御日記」の次に発売される巻で明らかになるかもなので、次巻の発売が待ち遠しいですね。

287 名前:わっぱが:2007/09/02 12:25 ID:fF8NPsov62
 あと、このお祭りは京都奥様のご存命の期間に始まったはずなので、格式10万石ウンヌンあたりは、奥様や腰元の肝いりだったのかもしれません。
 そもそも、南家は「大名」ではなかったわけで、苗字は佐竹とはいえ、あくまで「部下」であり、実際に頻繁に贈り物をしてた先は渋江家、梅津家などの家老のみなさんでした。
 それでも、南家はご本家の信頼は最初から厚く、秋田転封の一番乗りも南家ですし、安定後の江戸行きや京都行きの代参も南家が努めるようになったのも非常に意義深いことです。
 それを見越して、秋田最南端の治領を望んだとしたら、南家湯沢初代の先見の明でしょう。

 さらには、渋江家とは最初から縁戚を結んでいましたし、その娘さんはご本家に娘を出してますので、その意味でもご本家や家老家との結びつきが強かったようです。(それにしては、元禄以降、3割カットの連続で資産が半減してしまいましたが)
 
 ちなみに渋江内膳の年寄りライバル=梶原美濃守も秋田出奔後、大阪夏の陣でともに出陣していますので、現地で出会ったかもしれませんね。(内膳は京都で死亡)

 京都奥様が来る直前まで藩主だった3代・佐竹義処は借金王でムチャムチャ評判が悪く、このあおりもあって湯沢のリストラにつながったかもです。その後も4代は名君ですが早世し。5代は暗君でさらに借金を増やし、「秋田騒動」の発端となり、久保田城下が何度も大火にあうなど、1700年代の秋田県はむちゃくちゃな時代だったです。
 ・・・・というときに、こんなノー天気なお祭りが始まったこと自体、すごく奇跡的ですね。

288 名前:わっぱが:2007/09/02 12:25 ID:fF8NPsov62
 それにしても、1800年代に入っては、ますます町衆がのしてきて、大名行列のコスプレ道具を京都に発注したりして、いよいよ盛んになってくるわけで、町衆による町衆の祭りとして定着したのでしょうかね。(この時期を以って発祥とする説も有力のようです)

 ・・・というわけで、愛宕神社の祭典という側面よりも、町衆による秋作業前の景気付けという側面が強いような感じで、チカラのいる若い衆には新町のワカジェを当てるルールまで出来て、ますます祭りの担い手が山手の方でなく、西の方に広がっていくわけです。
 新町は、江戸期中期から川の荷揚げ場に集まった人夫街とそれを当てにした歓楽街が成長したもので、後には木戸を通って士族のみなさんまで飲みに来てたといいますから、身分の差もへったくれもないですな。

 というリベラルな雰囲気の象徴というか帰結というのがコスプレの大名行列まつり、なのでしょうかね。

289 名前:わっぱが:2007/09/02 12:33 ID:fF8NPsov62
 信仰篤い佐竹南家ですけど、結局、最初の100年で財力を使い尽くして、さらには当初の9000石ぐらいから、3割カットで6000石ぐらいにされてしまいました。
 さらには、こまめな付け届けと久保田からの物資要求があったりして、御日記を見ると、やりくりが大変そうな様子がみれます。

 幸いだったのは、初代は間違えて町衆を何人も撃ち殺してしまって怖い存在だったのが、元禄期にはお屋敷の依頼に対し想定以上の人夫が集まったり、貢物が集まったりと、お屋敷に対する親しみが大幅に向上していたみたいで、かなり頻繁に町衆や周辺の肝いりが役所に相談にきています。
 行政体制が確立した、といえるのかもしれません。
 なにしろ、国境に近いところですので、頻繁に盗賊が現れたみたいで、市役所というより警察官や用心棒として、お屋敷の侍のみなさんを頼る局面が少なくなかった、ということもあるかと思います。
 あとは、やっぱり銀山の隆盛で、町衆に膨大な財が貯まってきたのかもしれません。

 というわけで、湯沢のお祭りはこれ以降、お屋敷(市役所・県総合庁舎)でなく、町衆主導で行われるようになってきてるのでしょう。
 このことからすれば、町衆の経済力が限りなくゼロに近づいている現在は、まつりの形態も300年ぶりに大幅変更せざるを得ないのでしょうね。

290 名前:わっぱが:2007/09/02 12:41 ID:fF8NPsov62
 そもそも純粋な大名行列(まつり)って、どこでもあるもんだと根拠なく思ってましたが、実は全国を見渡しても10数箇所しかないようですね。
 (・・と日本のまつりの本を見て気がつきました)

 もちろん金沢の百万石まつりのように、大大名のいるところでは、武者行列というコスプレはよくありますが、封建時代であった江戸時代に、大名でない、単なるいち家臣が、ウソっこの「大名行列」を自分の所領でお祭りの余興でやった例などはきわめて稀です。(というか、よく久保田ご本家が見逃してたかなあ・・・)
 ましてや、それがお屋敷主導でなく、5つの格番(町)が持ち回りで、というのは、まるでルネサンス期のイタリア自由都市のようですね。

 それにしても、明治以前に、大名行列があったのは本当に事実なのかなあ・・・

291 名前:わっぱが:2007/09/02 13:09 ID:fF8NPsov62
■大名行列はいつ始まったか?

 街道がまだ十分に整備されてない時期の湯沢はまだ宿としての成長がなく、柵(城)と、湯の原から松沢にかけて、畑とちょっぴりの集落のあるよくある村だったわけで。
 そんで、この大名行列は、湯沢の郷が、村から「町」に昇格したお祝いに始められた、という記録があります。
 あと、もうひとつの説は、山田の方の田んぼから、ご神体が掘り出されたので、そのお祝いに始まったという説。

 いずれにしても、早期に羽州街道が整備され、富谷村から土木一族を招聘して作った湯沢大堰も順調でますます生産性があがり、人口がぐんぐん増えたみたいです。
 町割りも完了して、町としての体裁も整ってきた、ということで、ここらでいっぱつ、町としての一体性をPRすべえ、ということになったのでしょうか。

292 名前:わっぱが:2007/09/02 13:09 ID:fF8NPsov62
 行政区としての「町」昇格は、1681年説、1682年説、1714年説などいろいろあるようです。
 愛宕神社自体は、坂上田村麻呂の建立とされ、最も古い説では802年ごろというから、もはや7人の落ち武者以前の原野の湯沢の頃ですね。
 というわけで、植民都市として開発された400年前の新生・湯沢町としては、いつでもおかしくない、ということでしょうか。

 お道具がそろったのは。1818年に、格番町の5町のそれぞれの発案と出資で(ここが凄い。やっぱこの時代の町衆はお金がいっぱいあったのね)、地元でなくわざわざ京都の「播磨屋喜兵衛」に、大町の「粟野屋清兵衛」を行かせて御神輿を注文したとのこと。(「湯澤城」)
 おみこしが土崎港に着いたのは1826年(なんと8年もかかってる)
 今神輿は格番で保存するそうだが、古い御神輿は田町で固定されて保存されている(一番多額を出資してるから?)とのこと。
 それからすれば、今般、田町が格番から外れるのはなかなかに感慨深いですね。 
 5格番でも、前森・吹張は職人町、柳町・大町は純粋な商人町、田町は歓楽街を有する町ということで、個性も少しづつ違いますよね。
 愛宕神社の門前町は、吹張ですから、おみこしも吹張にあってもいいのかもですね。

 あと、本陣は松井家といいますから、高田屋旅館のあたりだったのかも。
 通常、宿場町なら本陣が町の中心ですので、大町が中心といってもいいのかも。
 歴史を昔からたどっていくのもいいですね。

 江戸時代(明治以前)から、ある大名行列のHPもありました。
 無礼講祭りというわけですな。
http://www.d1.dion.ne.jp/~sira1998/daimyou.html

293 名前:わっぱが:2007/09/02 13:27 ID:fF8NPsov62
■夏の風物詩

 うちでも七夕のときは、毎年、笹だけに大量の短冊をぶら下げて飾ってました。商店でないのにね。
 でも、昔はこどものいる家庭は、旧国道沿いでなくても、笹竹を中央グランドに買いに行って、自転車に乗っけて買って飾ってたと思います。
 その証拠に、湯沢の旧市内のお宅の前には、道路整備したあとに、3つの穴(通常は金属のふたを閉めている)があけてあります。
 真ん中の穴に笹竹をさして、左右の穴にくいを挿して笹を支えるのです。

 短冊が足りなくなって、何度も「とみや文具」さんとか往復したもんです。
 基本は3色の短冊(赤、紫、黄)(後には青とか緑とか橙とかも増えた)にキリで小さな穴をあけて、そこに片結びしたコヨリを通すのです。
 さやさやした葉っぱの葉ずれの音や、笹の葉のにおいが好きでした。
 枯れ気味の笹の場合は、いったん、川に浸すと長持ちします。(という風に、昔はヘゲや大堰のような開水路が多かったのでした。

 昭和40年代後半は、柳町や駅前通は吹流しの飾りも増えて、仙台の七夕風でした。
 昼は、まだ、人でも少なくて自転車でその飾りの下を通れたものでした。
 記憶を思い起こせば、今の七夕は昔よりも人手が激しいのかもしれません。
 (バスが通行止めになるので、七夕は、通常の日曜日ほど人出はなかったと思います。
 その代わり、旧市内の人はみな集まってくるイメージです。
 マイカー時代以前で大曲まで行くマニアも少なかったので、湯沢の花火もそこそこ喜ばれてたと思います。

294 名前:杉元:2007/09/04 17:06 ID:xwuok3jkkc
■モンゴルで休養を

 これだけの投稿内容があると、しばしモンゴルで休養が必要です。
 ただし、精神科医の診断がありません。

295 名前:わっぱが:2007/09/06 01:33 ID:/BoHKS7onY
 マターリと、ゆっくりでokです。
 モンゴルいって、ゲルで寝てみたいですねー。
 星が綺麗だそうです。

296 名前:杉元:2007/09/06 21:16 ID:MY/iCWXdl.
■高砂株暴落

 今回の朝青龍騒動で男を下げた大ちゃん。
 現役時代から愛嬌のあるキャラで、ファンだったのに。
 結婚したときも、大関でよかったな「大ちゃん」と心から祝福したものです。
(何しろ、大関でなかったら、ただのデブで、しかもブ男ですから。
 あんなにきれいな嫁が来るはずない。やっかみ根性全開)

 今、その彼の指導力が問われています。
 どちらが弟子で師匠か判然としないような状況なので、この際「高砂」を改め
「逆子(さかさご)親方」にしたらどうでしょうか。

 「大ちゃん相撲ファンがカンカンですよ」
 「大ちゃんヤバイなー」
 「ま!甘くない状況には甘くないコーヒー」
 
 「大ちゃんが大ピンチだー」

297 名前:わっぱが:2007/09/08 16:05 ID:/i4L1ZDymc
 今回の相撲問題、なんか、世論がいじめっぽくなってていやですね。
 仮に偽病、詐病だったとしても、くびにすればいいだけの話なのに、やはり外国人は・・・などの論調になっているのは、コンプレックスの投影のようで悲しくなってしまいます。
 それだけ、貧乏人が増えたという証拠でしょうし、ひきこもりやニートなど国籍以外に誇るものが無くなってしまった人が増えているという証拠なのかもしれません。
 30年ぐらい前の、米国やドイツのホワイトプア問題のようですね。

 いまや現実として、韓国や中国やその他のアジアでも、教養深い人や、富裕層がフツーにいるので、あまり恥ずかしいものいいがわが国から出ていると、実際に恥をかいているのは日本の方だ、ということになるでしょう。(まるで誰かさんのようですね)
 偏見の払拭のためにも、それらの国に行ってみるのも一案かと。
 なに、パチンコ3日分のお金で、2泊3日のパックには参加できますし。

298 名前:杉元:2007/09/08 22:16 ID:3GH9FOfTY2
■国技が大ピンチだー

 このあいだ、大相撲の新弟子検査の模様を放映していましたが、日本人は
5、6人しかいなかったようです。
 もう事実上、国技というより国際競技に移行しているのに、相撲協会の体質
が古すぎるような気がします。
 日本人でさえ失いつつあるものを、外国の人に求めてもね。
 考え方の違いを認めつつ共通のルールで同居するしかないでしょう。
 個人的には、虫の音を騒音でなく、妙なる音に感じられる日本人でよかった。

299 名前:杉元:2007/09/09 19:18 ID:SJDxMflHz6
■見聞百物語@ 序

  秋の夜長、本棚から手にした1冊は、「湯沢市郷土資料」の中に
 収められた「見聞百物語(正式には見聞雑話百物語)」です。
(昭和59年に湯沢市昔を語る会が20周年を記念して発行したもの
 を、大金千円を出して買いました。)

  この物語は、医師・須田春育が天保4癸巳年(1833年)に数
 え71才のとき書き表したもので、その序文の一部を「現代誤訳」
 すると、「私の家は、寛文年間(1661〜1672年)から医術
 に携わり私に至るまで5代150年間にわたり病人の治療にあたっ
 た様々な話があるけれど、草医(いなか医者)なので、先代までの
 業績を書き出して後世の人に笑われることがあっては、どうかと思
 い医者の話はのせず…」とあります。

  壮年期に京都に遊学し、医術を学び、名医の誉れが高かった春育
 翁にしてこの謙遜、これを煎じて服用したいものです。
(今だったら、アメリカ帰りの気鋭の内科医という感じですか。物語
 全5巻は、湯沢市指定文化財で須田家門外不出の品であるとのこと)

300 名前:杉元:2007/09/09 19:41 ID:SJDxMflHz6
■見聞百物語A 須田家その1

  須田家は、農学で高名な佐藤信淵を生んだ佐藤家の分家になります。
  羽後町郷土史によると、佐藤家の始祖は義経の身代わりになった
 佐藤継信で、32世信正は大戸城主として小野寺氏に属していました。
  ところが、佐竹氏が入部し、小野寺残党である佐藤家は500石の
 所領のうち400石を南家義種に没収され、床舞村の肝煎(村長)に
 降格されたそうです。
  かつての家臣の面倒もみれない身分となった佐藤家では、耕地を拡
 大すべく新堰を掘ったところ、勝手に掘ったことを南家から咎められ
 て所領没収のうえ、雄勝郡から追放処分になりました。
  しかし、残党に対する仕置きは、情け容赦ないですね。

  湯沢郷土史の重鎮・佐々木千代治先生は「これが正保3年なので、
 正保年間が始まりとされる湯沢犬っコと何らかの関連がうかがえる。」
 と推測されています。
  確かに、冷や飯も食わされなかった残党が武装強盗に転職した可能
 性は、かなり高いと言えます。
  信正は、とりあえず娘婿のところに身を寄せたようです。

301 名前:わっぱが:2007/09/09 21:43 ID:B509fiR4Sk
■もともと国技だったのか、とかいう話も(実際、定義はない)

 「大相撲」は、もともと大名の意地争いから発祥したもので、
チカラビトの奉納であった村相撲とは発祥が異なるもののようです。

 本当は、本業を持っていて、マツリの時に、相撲を奉納するのが
正道であって、相撲専業というのはやはり無理があったのだと思います。

 柔道も、そもそも国際化を目指して作り上げたのに、柔よく剛を制する
ことが出来なくなったとたんに、カラー柔道着だめ、とか、怪我した足を
狙うのは卑怯などと、いまさらながらのことを言い出したりして、どうも
悲しいです。

 歴代の相撲の親方と興行とのつながりをみれば、品性どころの騒ぎでは
なく、違法行為に身を投じていないだけ、モンゴル横綱の方が罪が少ない
(もちろん弟弟子らへの暴行は論外ですが)わけで、精神疾患であることを
労働医自体が認めているのに、病気療養も認めないのは、確実に労働協約
違反だし、なにより基本的人権の無視でしょう。
 (かの横綱が詐病である可能性を勘案しても、です)

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

302 名前:杉元:2007/09/10 07:37 ID:2uMzOuS6ok
■そういえば

 なるほど国技といっても、現在の大相撲のスタイルは歴史が浅いですね。
 人気力士の登場などで短期的な浮き沈みはありますが、人気は低下傾向
 であることを考えれば、このまま存続することは難しいでしょうね。
 でも、ちゃんこ鍋は残りますね。わたしが残します。                               
 

303 名前:スナドリネコ:2007/09/10 10:25 ID:FyWGSGuhGg
佐々木千代治先生の本は、私も持っています。
郷土史研究には欠かせないですよね。
私の先祖も、小野寺氏の客将で領地もいただいていましたが、佐竹以降は十文字近辺で肝煎
になっていたようです。
地域的に見て、西馬音内(小野寺)茂道に属していたらしいです。

304 名前:杉元:2007/09/10 19:48 ID:2uMzOuS6ok
■見聞百物語B 須田家その2

 そうですか。遠い先祖が何を思い、どのように行動したのか興味が
尽きないですね。

 信正は、肝煎として村衆のため新田開発を目指したと思いますが、
南家は隠し田開発の意図ありと受け止めたのでしょう。又は口実に
されたのでしょう。
 しかし、不運はこれに止まりませんでした。
 
 娘婿のいる下堀村(十文字睦合地区)に身を寄せた信正と、その子
信利一家が流行り病に罹り、家族8人のうち5人が亡くなり、信利と
娘2人だけが生き残りました。
 その後、信利は貝沢村の海蔵寺住職の好意で寺の傍らに小さい家を
建てたそうです。
 そして、娘に婿を取りました。

 この人が、由利郡上塩越村(現にかほ市)須田惣左衛門の4男で、
当時大久保村の医師・佐藤玄春の下で修行していた信栄(のぶまさ)
です。義父が「とがびと」であったことと、貝沢村の地頭が南家の
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

305 名前:スナドリネコ:2007/09/11 09:40 ID:RocmpHlo/w
その須田家は、横手精機の須田さんのご先祖様でしょうか?
たしか、にかほ市方面の出身でした。
また横手城代の伊達宣宗が、大眼宗事件で失脚した後に城代となったのが、
須田盛久という人でした。
佐竹の家臣にも、須田という姓は多かったみたいです。

306 名前:杉元:2007/09/11 16:39 ID:8pCsUF9q82
■何とも言えませんが

  須田信栄の実家は、上塩越村(旧象潟町)の大庄屋だったようです。
 ですから、その方が直系又は傍系の可能性はありますね。
  元武士であった可能性は否定できませんが、佐竹とは縁がないような
 気がします。
  ここで、物語から脱線しますが、雄勝須田家初代の信栄から利秀に
 継がれた家系は、子々孫々繁栄して現在の当主・春泰先生で十一代目
 になります。
  春泰先生は、前森一丁目で須田医院を開業しています。
 (初代から、代々医業に携わっている家系は稀少だと思います。湯沢
  では内舘の渡部家でしょうね。須田家は、後で詳述しますが、貝沢
  村ー倉内村ー湯沢町(大工町)と転住しています。住所は、前森一
  丁目なのに町内会は大工町第一なんですよ。倉内からは昭和14年
  に移られたそうです。)
  
  私は、第十代の春育先生(春育を襲名・春男)に子どもの頃診て貰
 ったことがあるそうですが、記憶がありません。
  明治34年生まれで東北帝大医学部で外科と耳鼻咽喉科を専攻され
 たそうです。

307 名前:わっぱが:2007/09/13 02:33 ID:de3Q0sjT8M
 佐竹南家の御展医さんというと、松下家(2家あり)と吉田家もありますね。
 金池・北荒町・内廓のあたりは、今でも医者の密集地域になっています。
 以前は、横手の山田眼科の湯沢支店(?)もありましたし、金池の産婦人科で生まれた方も少なくないと思います。
 近世成立した分野である歯医者さんも、昔の図書館の向かいとか、小番医者さんとか、もともと医者が多かった地域に新規開業していますね。
 そこ付近はお店がないのに、旧国道から徒歩数分の距離なので、周辺地域からバスで来る方々にも便利だったということだと思います。

 渡部病院さんには、「解体新書」があるそうです。すごいなあ。

308 名前:杉元:2007/09/13 21:10 ID:WyoQQ0Mop.
■昔、お世話になりました

 北荒町の山田眼科は大先生と奥さんが夫婦で診察していました。私も結膜炎で診て
もらいました。
 御夫妻には実子がいなかったはずで、横手の先生は養子になると思います。
 歳がいって廃業し、横手に引っ越しましたが、眼科医の空白地帯になり大変だった
ことを覚えています。
 金池町の菅原産婦人科医院で長男が産まれました。日曜、深夜、差額ベットの個室
(部屋はそこしか空いていなかった)で、退院するとき大変でした。
 菅原先生の子どもさんは、4人姉妹でしたが、病院内に「男女産み分け法指導します」
と貼紙してあったのを覚えています。
 女の子を望んだのかもしれませんが、説得力に欠けるような気がしたものです。  

309 名前:わっぱが:2007/09/14 02:23 ID:I5QPSd24No
 山田眼科は大賑わいでしたね。
 私も結膜炎でかかりました(笑)

 あそこから、市役所に向かうと松下医院、前森に進むと須田医院でしたかね。
 さらに、山谷方面に進んで、橋のたもとが守口医院(のど医者?)でしたかね。金池には菅原産婦人科、
 総合病院はなかったですが、いろんな専門医があつまっていて、さながら総合病院みたいな感じでした。

 そういえば中央病院のそばのお風呂屋さんの隣が小野崎医院ですけど、お客の分捕り合戦にはならなかったんでしょうかね。
 よく、ピンク色の風邪薬シロップをもらいました。

310 名前:杉元:2007/09/14 20:01 ID:RFz2p/bl06
■佐藤先生も

 金池には、メタボリックなお医者さんだった佐藤安定先生の医院もありました。
「わたしが言うのもなんだが、痩せなさい。」と指導していたようです。

311 名前:杉元:2007/09/14 20:32 ID:RFz2p/bl06
■見聞百物語C 須田家が倉内に

 須田家二代の仙庵さんは、わが子玄仙に代を譲り貝沢村で悠々自適な
生活を送っていたと思われますが、倉内村から手紙を携えた使者がやって
きました。(候文を現代風にしてみました。)

「わざわざ使いの者を差し向けたことについて、恐れながら手紙をしたため
ました。
 まずもって、寒さの厳しい時節ではありますが、先生にはご家族共々ご健
勝のことと存じます。まことにもって喜ばしいかぎりに存じます。
 私どもの村では医師が不在のため、大変難儀していたところでありますが、
かねて出入りさせていただいている大久保玄春様に、お弟子さんの中からお
一人、村で開業していただくようお口添えをお願いしておりました。
 大久保様がおっしゃられるには、貝沢村の仙庵、玄仙親子は、私の門弟で
療治と学文に秀でている医師なので、願ってみれば希望に添えるであろうと
のことなので、村一同が相談した総意としてお願いいたします。何とぞ私ど
もの村に移られて開業してくださるようお願い申し上げます。
 当然ではありますが、村でお招きしていることなので、できうるかぎりご
不自由をおかけしないようにいたしますから、ご家族とも相談されて、希望
がかなうようお願い申し上げます。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

312 名前:わっぱが:2007/09/15 03:21 ID:sbUXnyuX66
 うむ、昔の人は偉かったなあ、ということで

313 名前:杉元:2007/09/16 23:40 ID:wyPmWshGeo
スレッドを巨大化させることと、上げには寒心して気力なくなるね。
厳しい言い方すると共同正犯に近いとも言える。
あのスレッド見ただけで嫌な気分になるのに、なんで協力するんかね。
もう、どうでもよくなった。

314 名前:わっぱが:2007/09/17 02:03 ID:FBgqNK145M
 掲示板の雰囲気を悪くしようという試みが、
成功させてしまっているのがちょと悲しいです。
 スルーのみで解決するわけでもないですが、
健全な書き込みがつづけば、良貨が悪貨を駆逐することだってあるんじゃないですかね。

 明日当たり、大名行列についての所感を考えたいと思います。

315 名前:スナドリネコ:2007/09/17 11:27 ID:Gdk7AJnSDE
やはり、管理者の責任が大きいと思います。
一本筋が通っていませんよね。

316 名前:さすらいの名無しさん:2019/08/19 17:26:00 ID:vG..s1Mg8Y

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