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何かありましたらどうぞ

1 名前:スナドリネコ:2006/09/27 17:33 ID:B/xPwuQ2D2
湯沢の話題などありましたら、書き込んでください。

267 名前:わっぱが:2007/08/20 06:34 ID:OIUjz.AYSY
 公家時代から、同一の家が保持されている点では、関東の佐竹家と対馬の宗家の2つのみが、現代にも連綿と残っている数少ない名家なのだそうです

 佐竹南家の系譜は、ご当主のHPに詳しいですが、2年ぐらい更新がないです
http://www.ne.jp/asahi/home/sata/index1.htm

 京都奥様が生きていた時代には、南家の御当主は短命な方が多かったんです
 だんな様とは幸せな日日だったようですが、没後は悲しいことが多かったようで心痛みます
 京都奥様は宗派が違いますので、お墓は清涼寺ではないです

268 名前:杉元:2007/08/20 11:14 ID:G/rmYA4Bsw
■絵どうろう物語A 広報からみた七夕

 ●昭和33年以前は旧暦開催
  新暦8月6、7日開催に移行したのは昭和34年のことで、それ以前は
  旧暦開催でした。昭和30年は8月23、24日ですか。

 ●「七夕絵どうろうまつり」は昭和39年から
  昭和38年までは「七夕まつり」でしたが、翌年から「絵どうろう」が入りました。
  一方、審査ですが、昭和37年までは、装飾・絵どうろうを併せた総合審査方式でした。
  昭和38年から一般と児童にわけた絵どうろう審査が独立したようです。
  
  昭和30年代後半は、犬コまつりと同様に市役所が観光に力を入れ始めた時期ですね。
  昭和41年の審査員は、市内高等学校の美術部の生徒さんにお願いしたようです。

269 名前:杉元:2007/08/20 15:55 ID:G/rmYA4Bsw
■絵どうろう物語・番外編

 雄勝中央病院の1階中央待合ホールに「鷹司の姫君」と題した2対の
 絵どうろうが展示されています。
 絵に描いたような美男美女カップルですよ。(笑)

270 名前:スナドリネコ:2007/08/21 13:36 ID:TTwvGUQOvw
昔は、仙台の七夕のような飾りも結構多かったと思うのですが、最近は少ない気がします。
絵灯篭に、力を入れるようになったからなんでしょうかね。

子供の頃は、七夕に行くと傷痍軍人の人がいたりして引きました。

271 名前:杉元:2007/08/22 08:49 ID:lg7AG6L2qc
■道路拡幅の影響も

 確かに飾り部門は昔からするとさびしい感じがします。
 昔は道路幅が狭かったので密度が高かったこともあると思います。
 そして、残念なことではありますが、出品する商店自体の密度も高かったのです。
 現在も装飾部門の審査があると思いますが、サングリーンや愛宕荘など福祉施設
 中心部から離れた事業所などが気を吐いていて七夕飾りの飛び地状態でしょうか。
 わざわざ施設まで見に行くことはないので。
 「七夕まつり」は、全国的に行われていますので、絵どうろうで差別化を図ったの
 でしょう。

 今年も、見物しましたが、祭りにどこか翳りを感じたのは杞憂でしょうか。

 いましたね。旧陸軍の戦闘帽又は飛行帽に白い病衣、そしてアコーデオンやバイオリンを弾きながら
 善意をお願いしていましたね。善意の箱は「更生資金」となっていたような。
 子どもの眼から見ても本当か疑わしいと思いましたね。

272 名前:杉元:2007/08/22 09:01 ID:lg7AG6L2qc
■食べてみたい

 昨日TVのニュースで県特産品開発コンクールが取り上げられて
 いました。
 そして、さきがけの朝刊をみると最優秀賞は「キャビとん」で、とんぶりを
 ハタハタのしょっつるで味付けしてキャビア風に仕上げた作品でした。
 私が注目したのは、数ある優秀賞の中で、あの進藤冷菓が開発した「ババヘラ・
 モナカアイス」です。
 モナカアイス大好き派としては、注目の一品です。

273 名前:スナドリネコ:2007/08/22 10:19 ID:tZ8rMLua12
モナカに、へらで入れてくれるのでしょうか?
ババがへらで入れてくれなかったら、すでにババヘラではないですよね。
ヨミーの、8月の特集アイスでババヘラが紹介されていました。

https://yorimo.yomiuri.co.jp/

もしかしたら、会員登録しないと見られないかも知れません。

274 名前:杉元:2007/08/22 19:14 ID:lg7AG6L2qc
■雨の日のババヘラ

 19日に所用で秋田まで行きましたが、雨の中で営業するババ発見。
 (私は、時間を金で買わないので、一般道利用です。)
 本人の心中を察することは出来ないのですが、ひたすらお迎えの車を
 待つのでしょうか。
 でも、あの天候ではアイスの気分じゃないね。
 どうにも気がかりでした。

275 名前:杉元:2007/08/22 19:29 ID:lg7AG6L2qc
■田町若者会

 田町若者会の会長名で「大名行列について」の文書が田町町内及び周辺町内
 に配布されたようです。
 @田町若者会では、昨年9月の七町会議反省会でで、大名行列保存会と七町
  会議に脱会届を提出した。
 A7月18日の(田町若者会の)全体協議会で、大名行列にかかわらない事
  に決定した。
 B2年連続の赤字、会員の減少、参加児童の減少が現状であること。
 C注連縄、(田町の)灯篭、余興、(行列の)編成表の配布を廃止するので
  御理解をお願いしたいとのこと。

 コメントは次回に。

276 名前:スナドリネコ:2007/08/23 09:01 ID:zgUn2uGjC2
そうやって、正式な手順を踏んで自分たちの意見を出すのは良いと思います。
やめるにしても、ちゃんと意思表示して話し合うべきですね。
現実では何も言えないでお金は払っていながら、掲示板に嫌がらせでは卑怯です。

277 名前:杉元:2007/08/23 09:02 ID:PeaI.qiRNM
■わぎゃもの

 わぎゃものと言っても、実際は結構年配者です。
 昔から、親から子、子から孫へと世襲制のように運営されてきましたが、加齢により退会しても
 跡を継ぐ息子がもう家にいませんから。配布された文書では「退会による会員の自然減少」と言っているようです。
 会員数が減少するから、残った会員の負担が増えます。
 若者が定住できないことに加え、少子で子どもがいません。
 こんな状況で、会員の新規加入は見込めないでしょう。
 経済的にも(文書では「若者割当金」と言っています)にも大変だと思います。
 
 田町ほどではないかもしれませんが、他の町内でも同じような実情だと思います。
 結局、負担感だけで楽しくない状況になってしまいました。
 歴史ある愛宕神社祭典の神渡行列、大名行列ですが、祭りを支えてきた町内若者会
 が地殻変動を起こしている状況で、現在のスタイルでは存続が難しいと思います。

 かつて湯沢地区における南の鎮守様として崇められてきた愛宕神社ですが、時代の流れ
 は、住民から氏子意識を奪ってしまいました。
 世の中の永遠不滅のものはありませんので、私はそれで良いのではないかと思います。
 市役所が行事観光と位置づけても、そもそも客を呼ぶための祭りではないのですから。
 それにしても、豚骨とタコ焼きごとき身の程知らずが僭越にも廃止論を唱えたり、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

278 名前:杉元:2007/08/26 03:58 ID:f7x49WpZdQ
■ばっけ焼酎

 甲乙混和で、一般には流通していないようですね。
 菊芋焼酎「太陽の花」も顔なじみのママさんに飲ましてもらいましたが、
 今回もやはりお世話になりました。
 早春の香りがありますね。
 ただ、最初から「ばっけ」と承知しているからで、いきなり飲ませられて
 「ばっけ」と言い当てられるか、ちょっと自信がないですね。

279 名前:杉元:2007/08/27 07:24 ID:iWfpgvB3.k
■ばっけ焼酎A

 一般に流通していないと書いたら、市内某スーパーにありました。
 1,050円で買ってしまいました。

280 名前:杉元:2007/08/28 19:01 ID:s1RHZvlJTA
■出張

 出張して掲示板にチャチャ入れたらドン引きされたようですね。
 こりゃ、余計なことしたしちゃったかな。
 何かエアポケット状態なんで、もう少しだけ投稿してみますか。

281 名前:わっぱが:2007/08/29 03:29 ID:mQek7DcU..
>■絵どうろう物語A 広報からみた七夕

 湯沢のまつりの開催日は、他の市町村同様、いろいろと変動があるようですね。
 本来の星まつりの趣旨であれば、旧暦7月7日になるのでしょうが、毎年日付が変わると分かりにくいので、1月遅れというイベントが多いようです。

>●昭和33年以前は旧暦開催
>  新暦8月6、7日開催に移行したのは昭和34年のことで、それ以前は
>  旧暦開催でした。昭和30年は8月23、24日ですか。

8月23日とかだと、ほぼ大名行列ですね。

> ●「七夕絵どうろうまつり」は昭和39年から
>  昭和38年までは「七夕まつり」でしたが、翌年から「絵どうろう」が入りました。
>  昭和30年代後半は、犬コまつりと同様に市役所が観光に力を入れ始めた時期ですね。

 たしか、湯沢の犬っこ市が、観光行事の「犬っこまつり」に変貌したのは昭和39年2月ですから、ご指摘のとおり、昭和39年に何か意欲的な市長とか観光担当がいたのは間違いないようです。

>昭和41年の審査員は、市内高等学校の美術部の生徒さんにお願いしたようです。

 そんな感じで、市民が主人公、学生さんも主人公みたいな演出はいいですね。
 復活してみて欲しいアイディアだと思います。

282 名前:杉元:2007/08/29 20:21 ID:b4rgZvXmcc
■撤退

 完璧にスベっているので撤退すます。
 原稿をあと3本くらい用意していますたが、いずれこちらで。
 ばっけ焼酎の消費に全精力を。オー!
 絵どうろう保存会のエースが入れ替わってから路線と言うか
 作風が大きく変わった気がします。当たり前ですけど。

283 名前:スナドリネコ:2007/08/31 10:33 ID:UHwi6D8Fn6
作風が変わりましたね。
私も絵の好きな人がいたんですけど、最近見かけません。
漢字二文字でしたが、名前は忘れてしまいました。
美人画の人でした。

284 名前:杉元:2007/09/01 08:17 ID:rBkrW2bySQ
■夏の風物詩

 絵どうろうは、さすがに描きませんでしたが、昔は我が家でも
小振りな青竹に七夕飾りをやっていました。
 毎年、中央公園広場に青竹売りが店開きして夏の風物詩でした。
(流れで文章が過去形になってしまった。)
 私は、観光行事というより地域に伝わる素朴な民俗行事として存続
してほしいと願っています。
 犬コ市もそうですが、観光行事化することで原点が見失われたような
気がします。
 

285 名前:わっぱが:2007/09/02 12:24 ID:fF8NPsov62
■大名行列考

 思えばユニークな行事ですね > 湯沢の大名行列

 江戸時代から続いていたとはいえ、成り立ちは愛宕神社の例大祭の「余興」
 しかし、「余興」というには、あまりに大掛かりでリスキー(なにせ格式が10万石というから、ご本家に知れたら無事ですまない)で、しかも祭りの資金は当然、佐竹南家でなく町衆がまかなったというから、ますます不思議なお祭りです。

 まだ十分に封建社会だった元禄時代のあたりに、町衆が武士の真似をして、道具立てもマネっことはいえフル装備で、さらには殿様もダミーというのは実に不思議な現象です。
 なんで、そんなお祭りが許されてたんでしょうね??
 京都奥様のお輿入れと並ぶ、湯沢の不思議の1つです。

 しかも、江戸期には淡路屋敷、明治以降は、南家ご一家も、ムシロに平座して「コスプレ大名行列」一向を迎えたといいますから、実に不可思議な光景です。

286 名前:わっぱが:2007/09/02 12:24 ID:fF8NPsov62
 江戸期には、久保田本家の直臣のいる上町以南(いわば南家と同僚=県庁職員)と南家直属の内郭以北(陪臣=市役所職員)と町衆(一般市民)の居住地にはそれぞれ木戸があったと聞きますから、祭りの日はそれぞれが開け放たれて、当然、ケンカがあちこちで起きてたとか。
 そんで、このお祭りの期間には、大名行列の格番町が士族より上位にあったという、これまた不思議な特別ルールがあって、実際に、御囲地町の士族と、格番の町衆の若い衆とがケンカしたら、格番衆はおとがめなし、士族の方が謹慎とかいう裁定だったそうです。

 というわけで、最初からコスプレ祭りで、しかも、町衆の若い衆のウップン晴らしの側面もあった様子も伺え、なんかお屋敷の借金の棒引きとバーターなお祭りに仕上げてしまったのでしょうか。
 ここのあたり、「御日記」の次に発売される巻で明らかになるかもなので、次巻の発売が待ち遠しいですね。

287 名前:わっぱが:2007/09/02 12:25 ID:fF8NPsov62
 あと、このお祭りは京都奥様のご存命の期間に始まったはずなので、格式10万石ウンヌンあたりは、奥様や腰元の肝いりだったのかもしれません。
 そもそも、南家は「大名」ではなかったわけで、苗字は佐竹とはいえ、あくまで「部下」であり、実際に頻繁に贈り物をしてた先は渋江家、梅津家などの家老のみなさんでした。
 それでも、南家はご本家の信頼は最初から厚く、秋田転封の一番乗りも南家ですし、安定後の江戸行きや京都行きの代参も南家が努めるようになったのも非常に意義深いことです。
 それを見越して、秋田最南端の治領を望んだとしたら、南家湯沢初代の先見の明でしょう。

 さらには、渋江家とは最初から縁戚を結んでいましたし、その娘さんはご本家に娘を出してますので、その意味でもご本家や家老家との結びつきが強かったようです。(それにしては、元禄以降、3割カットの連続で資産が半減してしまいましたが)
 
 ちなみに渋江内膳の年寄りライバル=梶原美濃守も秋田出奔後、大阪夏の陣でともに出陣していますので、現地で出会ったかもしれませんね。(内膳は京都で死亡)

 京都奥様が来る直前まで藩主だった3代・佐竹義処は借金王でムチャムチャ評判が悪く、このあおりもあって湯沢のリストラにつながったかもです。その後も4代は名君ですが早世し。5代は暗君でさらに借金を増やし、「秋田騒動」の発端となり、久保田城下が何度も大火にあうなど、1700年代の秋田県はむちゃくちゃな時代だったです。
 ・・・・というときに、こんなノー天気なお祭りが始まったこと自体、すごく奇跡的ですね。

288 名前:わっぱが:2007/09/02 12:25 ID:fF8NPsov62
 それにしても、1800年代に入っては、ますます町衆がのしてきて、大名行列のコスプレ道具を京都に発注したりして、いよいよ盛んになってくるわけで、町衆による町衆の祭りとして定着したのでしょうかね。(この時期を以って発祥とする説も有力のようです)

 ・・・というわけで、愛宕神社の祭典という側面よりも、町衆による秋作業前の景気付けという側面が強いような感じで、チカラのいる若い衆には新町のワカジェを当てるルールまで出来て、ますます祭りの担い手が山手の方でなく、西の方に広がっていくわけです。
 新町は、江戸期中期から川の荷揚げ場に集まった人夫街とそれを当てにした歓楽街が成長したもので、後には木戸を通って士族のみなさんまで飲みに来てたといいますから、身分の差もへったくれもないですな。

 というリベラルな雰囲気の象徴というか帰結というのがコスプレの大名行列まつり、なのでしょうかね。

289 名前:わっぱが:2007/09/02 12:33 ID:fF8NPsov62
 信仰篤い佐竹南家ですけど、結局、最初の100年で財力を使い尽くして、さらには当初の9000石ぐらいから、3割カットで6000石ぐらいにされてしまいました。
 さらには、こまめな付け届けと久保田からの物資要求があったりして、御日記を見ると、やりくりが大変そうな様子がみれます。

 幸いだったのは、初代は間違えて町衆を何人も撃ち殺してしまって怖い存在だったのが、元禄期にはお屋敷の依頼に対し想定以上の人夫が集まったり、貢物が集まったりと、お屋敷に対する親しみが大幅に向上していたみたいで、かなり頻繁に町衆や周辺の肝いりが役所に相談にきています。
 行政体制が確立した、といえるのかもしれません。
 なにしろ、国境に近いところですので、頻繁に盗賊が現れたみたいで、市役所というより警察官や用心棒として、お屋敷の侍のみなさんを頼る局面が少なくなかった、ということもあるかと思います。
 あとは、やっぱり銀山の隆盛で、町衆に膨大な財が貯まってきたのかもしれません。

 というわけで、湯沢のお祭りはこれ以降、お屋敷(市役所・県総合庁舎)でなく、町衆主導で行われるようになってきてるのでしょう。
 このことからすれば、町衆の経済力が限りなくゼロに近づいている現在は、まつりの形態も300年ぶりに大幅変更せざるを得ないのでしょうね。

290 名前:わっぱが:2007/09/02 12:41 ID:fF8NPsov62
 そもそも純粋な大名行列(まつり)って、どこでもあるもんだと根拠なく思ってましたが、実は全国を見渡しても10数箇所しかないようですね。
 (・・と日本のまつりの本を見て気がつきました)

 もちろん金沢の百万石まつりのように、大大名のいるところでは、武者行列というコスプレはよくありますが、封建時代であった江戸時代に、大名でない、単なるいち家臣が、ウソっこの「大名行列」を自分の所領でお祭りの余興でやった例などはきわめて稀です。(というか、よく久保田ご本家が見逃してたかなあ・・・)
 ましてや、それがお屋敷主導でなく、5つの格番(町)が持ち回りで、というのは、まるでルネサンス期のイタリア自由都市のようですね。

 それにしても、明治以前に、大名行列があったのは本当に事実なのかなあ・・・

291 名前:わっぱが:2007/09/02 13:09 ID:fF8NPsov62
■大名行列はいつ始まったか?

 街道がまだ十分に整備されてない時期の湯沢はまだ宿としての成長がなく、柵(城)と、湯の原から松沢にかけて、畑とちょっぴりの集落のあるよくある村だったわけで。
 そんで、この大名行列は、湯沢の郷が、村から「町」に昇格したお祝いに始められた、という記録があります。
 あと、もうひとつの説は、山田の方の田んぼから、ご神体が掘り出されたので、そのお祝いに始まったという説。

 いずれにしても、早期に羽州街道が整備され、富谷村から土木一族を招聘して作った湯沢大堰も順調でますます生産性があがり、人口がぐんぐん増えたみたいです。
 町割りも完了して、町としての体裁も整ってきた、ということで、ここらでいっぱつ、町としての一体性をPRすべえ、ということになったのでしょうか。

292 名前:わっぱが:2007/09/02 13:09 ID:fF8NPsov62
 行政区としての「町」昇格は、1681年説、1682年説、1714年説などいろいろあるようです。
 愛宕神社自体は、坂上田村麻呂の建立とされ、最も古い説では802年ごろというから、もはや7人の落ち武者以前の原野の湯沢の頃ですね。
 というわけで、植民都市として開発された400年前の新生・湯沢町としては、いつでもおかしくない、ということでしょうか。

 お道具がそろったのは。1818年に、格番町の5町のそれぞれの発案と出資で(ここが凄い。やっぱこの時代の町衆はお金がいっぱいあったのね)、地元でなくわざわざ京都の「播磨屋喜兵衛」に、大町の「粟野屋清兵衛」を行かせて御神輿を注文したとのこと。(「湯澤城」)
 おみこしが土崎港に着いたのは1826年(なんと8年もかかってる)
 今神輿は格番で保存するそうだが、古い御神輿は田町で固定されて保存されている(一番多額を出資してるから?)とのこと。
 それからすれば、今般、田町が格番から外れるのはなかなかに感慨深いですね。 
 5格番でも、前森・吹張は職人町、柳町・大町は純粋な商人町、田町は歓楽街を有する町ということで、個性も少しづつ違いますよね。
 愛宕神社の門前町は、吹張ですから、おみこしも吹張にあってもいいのかもですね。

 あと、本陣は松井家といいますから、高田屋旅館のあたりだったのかも。
 通常、宿場町なら本陣が町の中心ですので、大町が中心といってもいいのかも。
 歴史を昔からたどっていくのもいいですね。

 江戸時代(明治以前)から、ある大名行列のHPもありました。
 無礼講祭りというわけですな。
http://www.d1.dion.ne.jp/~sira1998/daimyou.html

293 名前:わっぱが:2007/09/02 13:27 ID:fF8NPsov62
■夏の風物詩

 うちでも七夕のときは、毎年、笹だけに大量の短冊をぶら下げて飾ってました。商店でないのにね。
 でも、昔はこどものいる家庭は、旧国道沿いでなくても、笹竹を中央グランドに買いに行って、自転車に乗っけて買って飾ってたと思います。
 その証拠に、湯沢の旧市内のお宅の前には、道路整備したあとに、3つの穴(通常は金属のふたを閉めている)があけてあります。
 真ん中の穴に笹竹をさして、左右の穴にくいを挿して笹を支えるのです。

 短冊が足りなくなって、何度も「とみや文具」さんとか往復したもんです。
 基本は3色の短冊(赤、紫、黄)(後には青とか緑とか橙とかも増えた)にキリで小さな穴をあけて、そこに片結びしたコヨリを通すのです。
 さやさやした葉っぱの葉ずれの音や、笹の葉のにおいが好きでした。
 枯れ気味の笹の場合は、いったん、川に浸すと長持ちします。(という風に、昔はヘゲや大堰のような開水路が多かったのでした。

 昭和40年代後半は、柳町や駅前通は吹流しの飾りも増えて、仙台の七夕風でした。
 昼は、まだ、人でも少なくて自転車でその飾りの下を通れたものでした。
 記憶を思い起こせば、今の七夕は昔よりも人手が激しいのかもしれません。
 (バスが通行止めになるので、七夕は、通常の日曜日ほど人出はなかったと思います。
 その代わり、旧市内の人はみな集まってくるイメージです。
 マイカー時代以前で大曲まで行くマニアも少なかったので、湯沢の花火もそこそこ喜ばれてたと思います。

294 名前:杉元:2007/09/04 17:06 ID:xwuok3jkkc
■モンゴルで休養を

 これだけの投稿内容があると、しばしモンゴルで休養が必要です。
 ただし、精神科医の診断がありません。

295 名前:わっぱが:2007/09/06 01:33 ID:/BoHKS7onY
 マターリと、ゆっくりでokです。
 モンゴルいって、ゲルで寝てみたいですねー。
 星が綺麗だそうです。

296 名前:杉元:2007/09/06 21:16 ID:MY/iCWXdl.
■高砂株暴落

 今回の朝青龍騒動で男を下げた大ちゃん。
 現役時代から愛嬌のあるキャラで、ファンだったのに。
 結婚したときも、大関でよかったな「大ちゃん」と心から祝福したものです。
(何しろ、大関でなかったら、ただのデブで、しかもブ男ですから。
 あんなにきれいな嫁が来るはずない。やっかみ根性全開)

 今、その彼の指導力が問われています。
 どちらが弟子で師匠か判然としないような状況なので、この際「高砂」を改め
「逆子(さかさご)親方」にしたらどうでしょうか。

 「大ちゃん相撲ファンがカンカンですよ」
 「大ちゃんヤバイなー」
 「ま!甘くない状況には甘くないコーヒー」
 
 「大ちゃんが大ピンチだー」

297 名前:わっぱが:2007/09/08 16:05 ID:/i4L1ZDymc
 今回の相撲問題、なんか、世論がいじめっぽくなってていやですね。
 仮に偽病、詐病だったとしても、くびにすればいいだけの話なのに、やはり外国人は・・・などの論調になっているのは、コンプレックスの投影のようで悲しくなってしまいます。
 それだけ、貧乏人が増えたという証拠でしょうし、ひきこもりやニートなど国籍以外に誇るものが無くなってしまった人が増えているという証拠なのかもしれません。
 30年ぐらい前の、米国やドイツのホワイトプア問題のようですね。

 いまや現実として、韓国や中国やその他のアジアでも、教養深い人や、富裕層がフツーにいるので、あまり恥ずかしいものいいがわが国から出ていると、実際に恥をかいているのは日本の方だ、ということになるでしょう。(まるで誰かさんのようですね)
 偏見の払拭のためにも、それらの国に行ってみるのも一案かと。
 なに、パチンコ3日分のお金で、2泊3日のパックには参加できますし。

298 名前:杉元:2007/09/08 22:16 ID:3GH9FOfTY2
■国技が大ピンチだー

 このあいだ、大相撲の新弟子検査の模様を放映していましたが、日本人は
5、6人しかいなかったようです。
 もう事実上、国技というより国際競技に移行しているのに、相撲協会の体質
が古すぎるような気がします。
 日本人でさえ失いつつあるものを、外国の人に求めてもね。
 考え方の違いを認めつつ共通のルールで同居するしかないでしょう。
 個人的には、虫の音を騒音でなく、妙なる音に感じられる日本人でよかった。

299 名前:杉元:2007/09/09 19:18 ID:SJDxMflHz6
■見聞百物語@ 序

  秋の夜長、本棚から手にした1冊は、「湯沢市郷土資料」の中に
 収められた「見聞百物語(正式には見聞雑話百物語)」です。
(昭和59年に湯沢市昔を語る会が20周年を記念して発行したもの
 を、大金千円を出して買いました。)

  この物語は、医師・須田春育が天保4癸巳年(1833年)に数
 え71才のとき書き表したもので、その序文の一部を「現代誤訳」
 すると、「私の家は、寛文年間(1661〜1672年)から医術
 に携わり私に至るまで5代150年間にわたり病人の治療にあたっ
 た様々な話があるけれど、草医(いなか医者)なので、先代までの
 業績を書き出して後世の人に笑われることがあっては、どうかと思
 い医者の話はのせず…」とあります。

  壮年期に京都に遊学し、医術を学び、名医の誉れが高かった春育
 翁にしてこの謙遜、これを煎じて服用したいものです。
(今だったら、アメリカ帰りの気鋭の内科医という感じですか。物語
 全5巻は、湯沢市指定文化財で須田家門外不出の品であるとのこと)

300 名前:杉元:2007/09/09 19:41 ID:SJDxMflHz6
■見聞百物語A 須田家その1

  須田家は、農学で高名な佐藤信淵を生んだ佐藤家の分家になります。
  羽後町郷土史によると、佐藤家の始祖は義経の身代わりになった
 佐藤継信で、32世信正は大戸城主として小野寺氏に属していました。
  ところが、佐竹氏が入部し、小野寺残党である佐藤家は500石の
 所領のうち400石を南家義種に没収され、床舞村の肝煎(村長)に
 降格されたそうです。
  かつての家臣の面倒もみれない身分となった佐藤家では、耕地を拡
 大すべく新堰を掘ったところ、勝手に掘ったことを南家から咎められ
 て所領没収のうえ、雄勝郡から追放処分になりました。
  しかし、残党に対する仕置きは、情け容赦ないですね。

  湯沢郷土史の重鎮・佐々木千代治先生は「これが正保3年なので、
 正保年間が始まりとされる湯沢犬っコと何らかの関連がうかがえる。」
 と推測されています。
  確かに、冷や飯も食わされなかった残党が武装強盗に転職した可能
 性は、かなり高いと言えます。
  信正は、とりあえず娘婿のところに身を寄せたようです。

301 名前:わっぱが:2007/09/09 21:43 ID:B509fiR4Sk
■もともと国技だったのか、とかいう話も(実際、定義はない)

 「大相撲」は、もともと大名の意地争いから発祥したもので、
チカラビトの奉納であった村相撲とは発祥が異なるもののようです。

 本当は、本業を持っていて、マツリの時に、相撲を奉納するのが
正道であって、相撲専業というのはやはり無理があったのだと思います。

 柔道も、そもそも国際化を目指して作り上げたのに、柔よく剛を制する
ことが出来なくなったとたんに、カラー柔道着だめ、とか、怪我した足を
狙うのは卑怯などと、いまさらながらのことを言い出したりして、どうも
悲しいです。

 歴代の相撲の親方と興行とのつながりをみれば、品性どころの騒ぎでは
なく、違法行為に身を投じていないだけ、モンゴル横綱の方が罪が少ない
(もちろん弟弟子らへの暴行は論外ですが)わけで、精神疾患であることを
労働医自体が認めているのに、病気療養も認めないのは、確実に労働協約
違反だし、なにより基本的人権の無視でしょう。
 (かの横綱が詐病である可能性を勘案しても、です)

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

302 名前:杉元:2007/09/10 07:37 ID:2uMzOuS6ok
■そういえば

 なるほど国技といっても、現在の大相撲のスタイルは歴史が浅いですね。
 人気力士の登場などで短期的な浮き沈みはありますが、人気は低下傾向
 であることを考えれば、このまま存続することは難しいでしょうね。
 でも、ちゃんこ鍋は残りますね。わたしが残します。                               
 

303 名前:スナドリネコ:2007/09/10 10:25 ID:FyWGSGuhGg
佐々木千代治先生の本は、私も持っています。
郷土史研究には欠かせないですよね。
私の先祖も、小野寺氏の客将で領地もいただいていましたが、佐竹以降は十文字近辺で肝煎
になっていたようです。
地域的に見て、西馬音内(小野寺)茂道に属していたらしいです。

304 名前:杉元:2007/09/10 19:48 ID:2uMzOuS6ok
■見聞百物語B 須田家その2

 そうですか。遠い先祖が何を思い、どのように行動したのか興味が
尽きないですね。

 信正は、肝煎として村衆のため新田開発を目指したと思いますが、
南家は隠し田開発の意図ありと受け止めたのでしょう。又は口実に
されたのでしょう。
 しかし、不運はこれに止まりませんでした。
 
 娘婿のいる下堀村(十文字睦合地区)に身を寄せた信正と、その子
信利一家が流行り病に罹り、家族8人のうち5人が亡くなり、信利と
娘2人だけが生き残りました。
 その後、信利は貝沢村の海蔵寺住職の好意で寺の傍らに小さい家を
建てたそうです。
 そして、娘に婿を取りました。

 この人が、由利郡上塩越村(現にかほ市)須田惣左衛門の4男で、
当時大久保村の医師・佐藤玄春の下で修行していた信栄(のぶまさ)
です。義父が「とがびと」であったことと、貝沢村の地頭が南家の
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

305 名前:スナドリネコ:2007/09/11 09:40 ID:RocmpHlo/w
その須田家は、横手精機の須田さんのご先祖様でしょうか?
たしか、にかほ市方面の出身でした。
また横手城代の伊達宣宗が、大眼宗事件で失脚した後に城代となったのが、
須田盛久という人でした。
佐竹の家臣にも、須田という姓は多かったみたいです。

306 名前:杉元:2007/09/11 16:39 ID:8pCsUF9q82
■何とも言えませんが

  須田信栄の実家は、上塩越村(旧象潟町)の大庄屋だったようです。
 ですから、その方が直系又は傍系の可能性はありますね。
  元武士であった可能性は否定できませんが、佐竹とは縁がないような
 気がします。
  ここで、物語から脱線しますが、雄勝須田家初代の信栄から利秀に
 継がれた家系は、子々孫々繁栄して現在の当主・春泰先生で十一代目
 になります。
  春泰先生は、前森一丁目で須田医院を開業しています。
 (初代から、代々医業に携わっている家系は稀少だと思います。湯沢
  では内舘の渡部家でしょうね。須田家は、後で詳述しますが、貝沢
  村ー倉内村ー湯沢町(大工町)と転住しています。住所は、前森一
  丁目なのに町内会は大工町第一なんですよ。倉内からは昭和14年
  に移られたそうです。)
  
  私は、第十代の春育先生(春育を襲名・春男)に子どもの頃診て貰
 ったことがあるそうですが、記憶がありません。
  明治34年生まれで東北帝大医学部で外科と耳鼻咽喉科を専攻され
 たそうです。

307 名前:わっぱが:2007/09/13 02:33 ID:de3Q0sjT8M
 佐竹南家の御展医さんというと、松下家(2家あり)と吉田家もありますね。
 金池・北荒町・内廓のあたりは、今でも医者の密集地域になっています。
 以前は、横手の山田眼科の湯沢支店(?)もありましたし、金池の産婦人科で生まれた方も少なくないと思います。
 近世成立した分野である歯医者さんも、昔の図書館の向かいとか、小番医者さんとか、もともと医者が多かった地域に新規開業していますね。
 そこ付近はお店がないのに、旧国道から徒歩数分の距離なので、周辺地域からバスで来る方々にも便利だったということだと思います。

 渡部病院さんには、「解体新書」があるそうです。すごいなあ。

308 名前:杉元:2007/09/13 21:10 ID:WyoQQ0Mop.
■昔、お世話になりました

 北荒町の山田眼科は大先生と奥さんが夫婦で診察していました。私も結膜炎で診て
もらいました。
 御夫妻には実子がいなかったはずで、横手の先生は養子になると思います。
 歳がいって廃業し、横手に引っ越しましたが、眼科医の空白地帯になり大変だった
ことを覚えています。
 金池町の菅原産婦人科医院で長男が産まれました。日曜、深夜、差額ベットの個室
(部屋はそこしか空いていなかった)で、退院するとき大変でした。
 菅原先生の子どもさんは、4人姉妹でしたが、病院内に「男女産み分け法指導します」
と貼紙してあったのを覚えています。
 女の子を望んだのかもしれませんが、説得力に欠けるような気がしたものです。  

309 名前:わっぱが:2007/09/14 02:23 ID:I5QPSd24No
 山田眼科は大賑わいでしたね。
 私も結膜炎でかかりました(笑)

 あそこから、市役所に向かうと松下医院、前森に進むと須田医院でしたかね。
 さらに、山谷方面に進んで、橋のたもとが守口医院(のど医者?)でしたかね。金池には菅原産婦人科、
 総合病院はなかったですが、いろんな専門医があつまっていて、さながら総合病院みたいな感じでした。

 そういえば中央病院のそばのお風呂屋さんの隣が小野崎医院ですけど、お客の分捕り合戦にはならなかったんでしょうかね。
 よく、ピンク色の風邪薬シロップをもらいました。

310 名前:杉元:2007/09/14 20:01 ID:RFz2p/bl06
■佐藤先生も

 金池には、メタボリックなお医者さんだった佐藤安定先生の医院もありました。
「わたしが言うのもなんだが、痩せなさい。」と指導していたようです。

311 名前:杉元:2007/09/14 20:32 ID:RFz2p/bl06
■見聞百物語C 須田家が倉内に

 須田家二代の仙庵さんは、わが子玄仙に代を譲り貝沢村で悠々自適な
生活を送っていたと思われますが、倉内村から手紙を携えた使者がやって
きました。(候文を現代風にしてみました。)

「わざわざ使いの者を差し向けたことについて、恐れながら手紙をしたため
ました。
 まずもって、寒さの厳しい時節ではありますが、先生にはご家族共々ご健
勝のことと存じます。まことにもって喜ばしいかぎりに存じます。
 私どもの村では医師が不在のため、大変難儀していたところでありますが、
かねて出入りさせていただいている大久保玄春様に、お弟子さんの中からお
一人、村で開業していただくようお口添えをお願いしておりました。
 大久保様がおっしゃられるには、貝沢村の仙庵、玄仙親子は、私の門弟で
療治と学文に秀でている医師なので、願ってみれば希望に添えるであろうと
のことなので、村一同が相談した総意としてお願いいたします。何とぞ私ど
もの村に移られて開業してくださるようお願い申し上げます。
 当然ではありますが、村でお招きしていることなので、できうるかぎりご
不自由をおかけしないようにいたしますから、ご家族とも相談されて、希望
がかなうようお願い申し上げます。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

312 名前:わっぱが:2007/09/15 03:21 ID:sbUXnyuX66
 うむ、昔の人は偉かったなあ、ということで

313 名前:杉元:2007/09/16 23:40 ID:wyPmWshGeo
スレッドを巨大化させることと、上げには寒心して気力なくなるね。
厳しい言い方すると共同正犯に近いとも言える。
あのスレッド見ただけで嫌な気分になるのに、なんで協力するんかね。
もう、どうでもよくなった。

314 名前:わっぱが:2007/09/17 02:03 ID:FBgqNK145M
 掲示板の雰囲気を悪くしようという試みが、
成功させてしまっているのがちょと悲しいです。
 スルーのみで解決するわけでもないですが、
健全な書き込みがつづけば、良貨が悪貨を駆逐することだってあるんじゃないですかね。

 明日当たり、大名行列についての所感を考えたいと思います。

315 名前:スナドリネコ:2007/09/17 11:27 ID:Gdk7AJnSDE
やはり、管理者の責任が大きいと思います。
一本筋が通っていませんよね。

316 名前:さすらいの名無しさん:2019/08/19 17:26:00 ID:vG..s1Mg8Y

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