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湯沢市を良くしたい人、意見をどうぞ
1 名前:スナドリネコ ★:2006/10/19 11:45 ID:VVg00xxuBU
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住みよい湯沢市のために、どのような取り組みが必要なのか、意見などありましたらどうぞ。
常軌を逸した行為でなければ、非難や批判もOKですが、できるだけ建設的に考えていきましょう。
ここに書き込んだからといって、変わるわけではありませんが、意思表示にはなります。
2 名前:スナドリネコ ★:2006/10/19 11:58 ID:VVg00xxuBU
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昨日、大崎市で東北市長会が開かれました。
東北の各市政自治体から、市長や代理で助役などが集まったのですが、福島県のとある市と
秋田県の湯沢市、仙北市からは誰も出席しなかったとのことです。
こういう会合というのは、ネットワーク作りには欠かせない物なのではないかと
思うのです。
孤立していたのではなにも発展しないし、よその取り組みを聞き、良いことは
積極的に取り入れていくという姿勢は必要ですよね。
そういったことを考えると、誰も出席しないという湯沢市の考えにはがっかりさせられます。
市政に対しても、積極的でないものを感じてしまいます。
一つ一つの市では弱いので、横との繋がりは大切にしないといけないのではないでしょうか。
一本では折れてしまう矢も、3本だったら折れないみたいな(笑)
大崎市で開かれたのですから、隣の市が出席しないのはいかがな物かと思いました。
3 名前:わっぱが:2006/10/20 01:51 ID:o3Vny.mPvc
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まあまあ、
理由がなんかあるかもしれませんので。
(1)お誘いがかからなかった
(2)出席する人が日付を間違えていた
(3)まあ、殆ど誰も出ないとタカをくくっていた
(4)経費節減の折、貧乏ですから、という理由で自粛した
(5)なんか腹が立ったので欠席した
結果として、3市だけ欠席、しかも何か特段の理由がない、となれば、センスねえなあ、という感想は免れませんですが。
なお、岩手県陸前高田市長も出席してたとしたら、協賛市長だから、という理由ではないことになりますね。
しかし、確かに隣の市が出席しないのはヘンかも。こういうのは主催市への礼儀とかも関わりますからね。
「いけなくなってごめんね」とお詫びの電話とか入れたかなあ。
なんにしても、代理も出ない、というのは奇異、というご意見、同感です。
もしも積極的に代理も出さなかったとしたら、アンテナが低いか・担当係員が何かヘマったか、ということでしょうか。
というわけで、次回は手を挙げるくらい、がんばりましょう。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
4 名前:スナドリネコ ★:2006/10/20 13:59 ID:VvJPVf1SBQ
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わっぱがさんの書かれた理由で、可能性のあるのは(5)くらいでしょうか(笑)
もしくは、やはりセンス無いと言うことなのかも知れません。
他に来ていなかったのは、福島県のいわき市だそうです。
いわき市ならば、遠くて来られなかったのかなとか、フラガールのヒットで
忙しかったのかなとか、理由はいろいろと考えられます(笑)
また、陸前高田市は、ちゃんと市長自ら出席していたようです。
大仙市の栗林市長は旧社会党系ですが、出席はきっちりとしてましたが、
懇親会の前にさっと帰ったそうです。
人脈作りには、懇親会が大切な気もしますが(笑)
横手市の五十嵐市長などは、かなり積極的に親交を深めていたという話です。
各自治体が生き残りをかけて、合理化や財源の確保、地域振興などに知恵を出し
ていかないと、夕張市のようなことにもなりかねません。
そう言った意味で、県南地区では横手市一歩リードといった感じがします。
これからは、国対地方自治体という対決姿勢になっていきますので、周りとの
強調や強いリーダーシップが求められていく気がしますね。
黙っていたら、国からどんどん不利益を押しつけられてくると思います。
5 名前:スナドリネコ ★:2006/10/20 15:33 ID:VvJPVf1SBQ
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協調ですね、間違えました。
6 名前:Horus:2006/10/20 23:40 ID:gfyLenBn6M
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なんか難しい話になってるっすねー。
退散しま〜す。
ε≡ヘ( ´Д`)ノ ニゲロッ〜ε=ε=\(;´□`)/ ニゲロッ〜
7 名前:わっぱが:2006/10/21 17:43 ID:d9JBtzkaok
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まあなんにしても、市役所さんとか市長さんには、
前向きな話題をいっぱい提供して欲しいなあ、と思っています。
統計的に見れば悲しい話しかないのですが、交流人口を増やすのは、
キーマン数名が企画するイベントだけでもできることが有るですから。
トップセールス=市町村長が足を運んでPRや営業するのって、
例えば九州とか四国とかだと結構やってることなので、東北でも
マネしてみてはいいように思うです。
まず動く・しかも前向きに・明るく、って感じの雰囲気が
出てくるといいなあと思いました。
8 名前:スナドリネコ ★:2006/10/25 11:09 ID:M0jnh4sH5w
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湯沢市の職員というのは、よそに比べたらやる気がある方のようです。
地方自治に対する、住民の意識も高いということですよ。
ただ、市長がトップセールス頑張ってるかと言えば、かなり難しいと思います。
今や、地方自治にイデオロギーは必要ないのです。
どうやって、安定した財源を確保できるのかとか、地域振興をどうやるのかという
方向性が重要になってきます。
まずは、何をやるのかの方向性を示して、リーダシップを取れなければなりません。
何でも反対で壊してきた人には、何も作り出せなかったと言うことは、東京都の例で
分かっているとも言えます。
湯沢市長には、そういうことのない様にお願いしたいです。
9 名前:スナドリネコ ★:2006/11/01 16:30 ID:I33aeztPGw
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もちろん、いわき市の市長も見たでしょうけど、午後からフラガール見てきました。
けっこう面白かったですね。
湯沢市のも、なにか映画の題材になるようなエピソードはない物ですかね。
十文字映画祭は横手映画祭になるのでしょうか。
10 名前:わっぱが:2006/11/07 03:47 ID:cBA8jf3Hlo
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まあ大仙市になっても「大曲の花火」ですから、十文字映画祭のままでいいんでないかな、と。
それしてもこれだけ長期間続けるエネルギーはすごいと思います。
資金力のある湯布院は別として、夕張は市が財政破綻してしまいましたし、映画祭を残すにはますますのエネルギーが要りますね。
ちょうど湯沢のイベントと引っかかるので、タイアップして、昼は映画、夜は湯沢のお祭り、みたいなwin-winができるといいんですけどね。
企画として、常盤ハワイアンセンターに着目した点は見事だと思いました。
11 名前:スナドリネコ ★:2006/11/07 10:01 ID:c5lX5n8/UU
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湯沢と十文字のタイアップは無理だとおもいます。
そんなに仲良しだったら、湯沢と合併したのではないでしょうか。
仲が悪いとはいいませんが、この間十文字人と話をした範囲では、湯沢は眼中にない
という雰囲気を感じました。
十文字と接しているのが岩崎なので、それが湯沢のイメージになってはいまいかと思ってしまいました(笑)
フラガールは面白いですよ。
スイングガールズと、青春の門筑豊編と、悲し別を足したようなものでしょうか。
市の掲示板で映画の紹介をすると、湯沢に関係ないなどといちゃもんを付けられてしまいますからね。
こちらでは、そういう了見の狭いことはいいません(笑)
12 名前:わっぱが:2006/11/15 03:18 ID:zkC7i0YGc.
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湯沢市との合併はまあ「想定外」でしょうね。
でも、ものすごく合併協議会が荒れて、ニッチもサッチも行かなかったら、ありえたかもしれません。
湯沢高校とかの十文字比率はハンパでないですしね。
今は全く信じられませんが、十文字から湯沢に買い物に来てたとか聞きましたし。(昔は横手の町は駅から遠かったから、という消極的理由ですが)
映画なんかも湯沢に見に来てたそうです。娯楽が映画中心のときは湯沢の引力になってたんですね。
親戚はいませんが、友達は不思議と十文字衆多いです。
昔は三角そば・まるたま食うためだけに汽車で十文字に行ってたもんです(どうみても汽車賃の方が高いのに)
で、マルシメ寄って帰ってました。あの通り・五叉路も栄えてました。
13 名前:わっぱが:2006/11/15 03:23 ID:zkC7i0YGc.
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作りたてのサイダー買うためだけに、
汽車で十文字まで行って、
佐吉開(駅の裏)の永井サイダー屋工場まで行ったことあります。
作りたてだと泡が細かいのですよー。個人的にニテコより上。
14 名前:スナドリネコ ★:2006/11/15 15:50 ID:e.1g1aeWlg
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マルシメも、当時はちょっとしたデパートでしたよね。
小さかったですが、十文字駅前には大丈もありました。
現在は十文字のシンボルとなっている白鳥ですが、当初は湯沢側の岸に来ていたそうです。
それを湯沢の方から十文字側に追い立てて、十文字側では餌をあげたりしたので、居着いたと聞きます。
湯沢側で餌をやっていれば、白鳥は湯沢のシンボルになっていたのかも知れません。
こういう話を聞くにつけ、湯沢は先見の明がないなと思います。
15 名前:スナドリネコ ★:2006/11/15 16:05 ID:e.1g1aeWlg
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湯沢の人は、お祭りを人を集める物だと勘違いしているのでしょうか?
だから人の来ない祭りはやめた方が良いという、ズレた感覚になる人が出てくるのではないでしょうか。
本来祭りとは、日にちが固定されていた物ですが、伝統ある祭りを土日にずらしたのは湯沢だけではないでしょうか。
角館の山ぶつけや火ぶりかまくらなどは、観光客用と自分たち用を分けて行われていますね。
観光客を意識しないで、自分たちが楽しむためにやる祭りだからこそ、伝統になりえた訳なのですが。
16 名前:わっぱが:2006/11/17 05:36 ID:ZybhomqAzc
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まあ、いろんな見方があっていい、ということだと思います。
>湯沢の人は、お祭りを人を集める物だと
・・・という感覚はないと思います。その証拠に祭りの日でも18時で店閉めてるし。
(へたすると、土日に定休日というお店すらありますし。大手町なみ)
17 名前:わっぱが:2006/11/17 05:36 ID:ZybhomqAzc
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そもそも湯沢には伝統ある祭りというのが無く、伊藤市長時代の市役所スタッフとか町場衆が頑張った結果だと聞いています。
(1)犬っ子まつりは、昭和39年2月に、湯沢市役所が観光行事として再編したのが盛大になったきっかけで、それまでは、カマクラと言ってたとこもあるようです。(ザイでは「とりぼい」(おそらく「鳥追い」のことかと))
戦前の新聞では、「湯沢の犬っこ市」ということで、かまくらまつり用のシンコ細工の犬を売る朝市が立つ、という点が報道ポイントでした。
(2)絵どうろうまつりも、昔は「七夕」の名称の方が多く、戦前の写真では将棋のコマとか、移動するやつとか、要はミニねぷたのような感じでした。
盛大になったのは、やはり昭和40年に中央デパートができ、柳町vs大町の大型店(?)が巨大な絵どうろうをつくり始めてから、ということでした。
記録では、京都奥様の頃の、京都の七夕は竹飾りに三色の帯をたらすごとくのもので、絵付の蝋燭灯篭ではなかったようです。
よって、湯沢に、七夕を盛んにお祭りする風習を持ち込んだのは京都奥様ですが、絵つきの蝋燭灯篭は江戸時代末期に始まり、明治時代、鉄道により再び湯沢に脚光があびるようになってから、親方衆がよそのまねして始めたのが結局、湯沢のみ残った、という側面もあります。
中央デパートと、大丈と、ヤマツさんの競演がなければ、ひょっとするとミニねぷた、になってたかもしれませんね。
(3)大名行列はさらに日付が移動しまくって、いまや例大祭の日付とは大きく異なっています。
これも発祥は古いのですが、町内会の活発化とともに、格番(当番町5町)のほかの町内も加えた「こどもまつり」の側面が高度成長期に定着しました。戦前はちゃんと、各家の少年や、各商家のハタラキの若い衆が出てたそうですが、問屋業が次々小売業に業態変化した結果、担い手が子供中心になっていったようです。いつからか女子も参加できるようになってますよね。
18 名前:わっぱが:2006/11/17 05:37 ID:ZybhomqAzc
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土日にずらしたのは、観光のせいでなく、祭りの担い手である大人が日曜しか休めなくなったこと、それに3大まつりが高度成長期には完全に子供まつりになったため、土日でないと学校を休ませないといけなくなるからです。(まあ、他の町では祭りの日は公認で休んでいい、というところも多いですが)
観光客のことを未だに考えていない点は、かなりマイナスだと思います。
観光行事でなければ、公費の投入はありえないからです。
あくまで、私の知ってる範囲の情報での判断ですが、
(1)湯沢の祭りは、「体制としては」意外に歴史は浅い
(2)基本的に3つの祭りとも「こどもまつり」である。よって土日にした。
(3)農業比率が低いため、大人も本番は日曜でないと困る。
(4)昭和40年代の湯沢市役所の方針として、祭りの公式化を推し進め、観光開発の先途とした(具体的には湯沢駅に特急を止めるための理由作り)
というわけで、観光客も新しい住民も楽しめるものでなくと、伝統の祭りはどこも守れないのが現実なので、今年のお祭りのように、殿様を格番以外(というか旧湯沢町以外)から出したことなどは祭りの存続にはプラスになると思います。
以前、事情通さんが掛かれてたように、格番町の経済的・人的負担があまりに重過ぎるのが祭りの存続に黄色信号を出しているので、コースを短くして総経費や制約時間を節約し、徒歩組など下級武士の部分は、格番にこだわらず、新湯沢市の各小学校高学年から「希望者が」担うようにすれば良いように思います。
旧湯沢町の「自分たちのため」だけだと、おそらく経済面で存続は無理と思われます。
直接経費では、公費は殆ど出ていないものの、駐車場や観光協会による地図やポスターなどは公費なので、それを勘案すると数千万円の投入に該当します。(横手の線香花火大会は1000万円程度でよく運営できていますね)
19 名前:わっぱが:2006/11/17 05:48 ID:ZybhomqAzc
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とにかく、近いうちに新しい地方交付税の算定方式になりますから(名称すら変更)、過疎地の湯沢市には増額になることはまずありえません。
義務的経費を除き、教育と雇用の部分をさっぴくと、まず削られるのはイベント経費です。
その点では、湯沢の3大まつりといえど、聖域ではありえないと思われます。
直接投入は少ないものの、観光PRは公が行ってる部分がもし無くなれば、あとは商工会がどれだけ付き合ってくれるかの勝負でしょう。
地方の公共工事の激減で、すでに大手砂利やさんも手を引き始め、建設業全体がもはや昔のいきおいどころか維持もむずかしくなっている中では、観光を中心にすべての事業の建て直しを図る必要があります。
それが、今回の「小野小町の里総合計画」なのだと思います。
各祭りのどこをコアとするか、単なる縮小コピーではなく、純化や原点回帰という観点で、十分な時間をかけて総合的点検を行う時期と思います。
それにしても、寂れてるからツブせ、という短絡的な考えはガッカリさせられるものがありますね。
どうやれば残るか、残すにはどこをどう変えればいいか、・・・・ということを常に絶え間なくチェックし的確に変身してきたものが「伝統」として存続してきているわけです。
考える機会・考える場・当事者意識を持って考えてくれる人の増加が望まれますね。こればっかりは放置ではなんともならないので、やっぱ、JCさんとか市役所さんにキーマン、リーダーシップを期待したいです。
20 名前:スナドリネコ ★:2006/11/17 10:07 ID:8LrbBKxhvE
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第何回と付かないのが、昔からの祭りという認識でした。
現在の形になったのは、意外と最近と言うことなのですね。
なるほど、観光化されたからお金もかかるようになったとも言えますね。
地域によっては、観光化されることを嫌っているところもありますので、
積極的に祭りをやってる方々は、皆そういう雰囲気なのかと思っていました。
そもそも、村おこしで始まっているわけではありませんが、伝統も時代の
変化に迎合していかないと維持できないと言うところなのでしょうね。
岸和田のだんじりにしても、西馬音内の盆踊りも、角館の山ぶつけも、
会社を休んでまで参加するとか、その為に親戚に死んでもらって帰郷する
と言う話を聞いていましたので、伝統の祭りとはそういう物なのかと思っていました。
諏訪神社の、坂道を丸太に乗っておりる祭りも、死人が出てもやっていますしね。
そのあたりは、私も価値観が違うので理解できないとは思っていましたが。
21 名前:スナドリネコ ★:2007/01/19 16:49 ID:Wg5r7HQq1g
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確かに、テレビでなんと放送されようと、いちいちコメントしてはいけません。
市長はスルーしておけば良かったのですね。
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